1. 개요2. 가택류
2.1. 宮2.2. 殿2.3. 堂2.4. 舍2.5. 樓閣2.6. 房2.7. 院2.8. 城2.9. 臺2.10. 廊2.11. 廳2.12. 社2.13. 祠堂2.14. 寺2.15. 方丈2.16. 食堂2.17. 塔2.18. 輪藏2.19. 宅2.20. 宿2.21. 室2.22. 藏2.23. 窖2.24. 邸屋2.25. 肆2.26. 市2.27. 店2.28. 館2.29. 廬2.30. 庵2.31. 守舍2.32. 亭2.33. 坊2.34.
黌2.35. 關2.36. 驛舍2.37. 廚2.38. 浴室2.39. 廁2.40. 㢏2.41. 廄2.42. 𢇥2.43. 牢獄
3. 가택지용3.1. 棟3.2. 檐3.3. 柱3.4. 梁3.5. 枓3.6. 桁3.7. 欄額3.8. 長押3.9. 天井3.10. 榱3.11. 博風3.12. 懸魚3.13. 千木3.14. 桓3.15. 門3.16. 閤3.17. 扉3.18. 關木3.19. 圭窬3.20. 窻3.21. 𥴩子3.22. 庭3.23. 階3.24. 甃3.25. 垣3.26. 藩籬3.27. 築牆3.28. 壁3.29. 蔀3.30. 柵3.31. 簀子3.32. 欂3.33. 瓦3.34. 棧3.35. 榰柱3.36. 杙3.37. 栓3.38. 釘3.39. 鉜鏂3.40. 鎹3.41. 鐶鈕3.42. 枘3.43. 衽木3.44. 鎖鑰
1. 개요
81장 가택류(家宅類)는 책 구성상 꽤 특이한 위치에 있다. 바로 앞장은 지리, 뒷장은 초목 관련 장인데 비해 이 장만은 인간과 깊이 결부된 집과 가옥 구조, 건축 자재들을 다루고 있다. 이러한 것들은 사실 15~36장에서 다루는 도구류에 가깝다. 특히 이 장 후반부의 건축 자재들은 24장 백공구(百工具)와도 연관이 깊다. 못(くぎ)은 이 장에서 다루는데 못을 박는 데 쓸 망치(かなづち)는 24장에 있는 것을 확인할 수 있다. 이런 위치 때문인지 내용상으로는 너무나 인부(人部)인데도 지부(地部)로 되어있다.본 장은 크게 2개의 소 챕터로 나뉘어있다. 전반부는 가옥의 종류(절, 사당 등)를 다루며 후반부는 가옥을 구성하는 요소(기둥, 문 등)를 다루고 있다. 후반부는 본문에서도 가택지용(家宅之用)으로 내용을 분리하고 있다.
당시 일본 전통 미술의 경향인지 건축물 그림에 구름이 많이 그려져 있는 것이 특징이다.
본 장의 항목은 총 87개이며 전반부가 43개, 후반부가 44개이다.
2. 가택류
{{{#!wiki style="border: 1px solid currentColor; border-radius:5px"2023년 2월 기준으로 81권의 한문 본문은 모두 입력되었다. 훈독문/번역문은 몇 항목 누락되었다.
1. 개요2. 가택류
2.1. 宮2.2. 殿2.3. 堂2.4. 舍2.5. 樓閣2.6. 房2.7. 院2.8. 城2.9. 臺2.10. 廊2.11. 廳2.12. 社2.13. 祠堂2.14. 寺2.15. 方丈2.16. 食堂2.17. 塔2.18. 輪藏2.19. 宅2.20. 宿2.21. 室2.22. 藏2.23. 窖2.24. 邸屋2.25. 肆2.26. 市2.27. 店2.28. 館2.29. 廬2.30. 庵2.31. 守舍2.32. 亭2.33. 坊2.34.
黌2.35. 關2.36. 驛舍2.37. 廚2.38. 浴室2.39. 廁2.40. 㢏2.41. 廄2.42. 𢇥2.43. 牢獄
3. 가택지용3.1. 棟3.2. 檐3.3. 柱3.4. 梁3.5. 枓3.6. 桁3.7. 欄額3.8. 長押3.9. 天井3.10. 榱3.11. 博風3.12. 懸魚3.13. 千木3.14. 桓3.15. 門3.16. 閤3.17. 扉3.18. 關木3.19. 圭窬3.20. 窻3.21. 𥴩子3.22. 庭3.23. 階3.24. 甃3.25. 垣3.26. 藩籬3.27. 築牆3.28. 壁3.29. 蔀3.30. 柵3.31. 簀子3.32. 欂3.33. 瓦3.34. 棧3.35. 榰柱3.36. 杙3.37. 栓3.38. 釘3.39. 鉜鏂3.40. 鎹3.41. 鐶鈕3.42. 枘3.43. 衽木3.44. 鎖鑰
2.1. 宮
[ruby(宮, ruby=みや)] コン(gōng)・音躬 |
궁궐 | ||||
별칭: | |||||
上古穴居而野處後世聖人易之以宮室上棟下宇以待風雨取之雷天大壯卦黃帝始作宮室,,世本云禹王始作宮室呂氏春秋云高元始作宮室今以黃帝爲是葢古者貴賤所居皆稱宮至秦乃定爲至尊所居之稱 夫木[1] 天地の・神代はしらず・かし原の・宮居ぞ國の・始也けり[2] 定圓 [夫木30-14290] △按宮天子所居也故訓御屋皇子皇女皆稱宮神武天皇和州橿原宮爲始今稱宗廟之神祠亦曰宮其他神祠曰社 或書云推古天皇七年聖德太子奏曰歷代禁造或大或小未曾格理自今以定美疎者依時必不可大也方面三百六十五步二十八殿並立第二十五之一殿是爲祭神齋殿以他二十七殿爲天皇所領殿宜檜材造檜皮葺矣南面大殿移日少宮以柱支乎棟而梁裏天井則攝萬機之殿也是時以此法造小墾田宮 桓武天皇延曆十二年始造新宮於山背國翌年十月自南京遷北京今之平安城是也南殿前庭橘樹稱右近橘本者橘本太夫之宅則其時樹而枝條不改櫻樹稱左近櫻本者是梅也遷都之日所被植也而及承知年中枯失仍仁明天皇被改植之蓋大內裏始于此南北三十六町東西二十町秦始皇帝都摸咸陽宮一殿建之四方有十二門 東 陽明門 待賢門 郁芳門 南 美福門 朱雀門 皇嘉門 西 談天門 藻壁門 殷富門 北 安嘉門 偉監門 達智門 偉監門本名玄武門也俗號之不開門蓋花山院御出家之時自此門令出給云云其後不被開歟此外有二門 上東門在陽明門之北東面 上西門在殷富門之北西面 右平安城大內裏建以來至村上天皇天德四年十三代及百六十四年始炎上而後回祿數十度既而政事出於武家以降今爲小內裏矣古書所謂殿舍門閣等有名不知其處者多仍大內裏之圖省略記于左備考覽 不老門 豐樂院之北面外大門也無額 長生殿 以大藏省長殿謂長生殿歟其南面門亦名不老門與豐樂院門同名乎大藏省長殿在土御門之北坊城之東云云保胤詩云長生殿裏春秋留不老門前日月遲者取此所 [그림 4장] 百敷・大內山 新古狀 百敷や大內山の丑寅にわりへの司かや奉る 光俊 雲井 正治院百首 よもすから雲井の庭を照す哉衛士のたく火は有名の月 後鳥羽院 屋敷庭 同(正治院百首) 川竹の替らぬ色の深みとり玉しく庭の末ろしらるる 雅經 位山 拾遺 野紫たなひく雲をしるへにて位の山の岺を尋ん 元輔 花塵山 院百首 中々に情も深きとのもりの清めにつもる花の塵山 李保 大宮所 夫木 我國の・數の郡の・內にしも・をたきの里の・大宮所 公朝[夫木31-14594] 凡人參內裏曰參內 御臺所曰臺盤所 御繕所曰朝餉 評定所曰記錄所 女中部屋曰對屋 御亭曰鈎殿 御居所曰御座 御寢所曰夜殿 院御所曰仙洞 紫宸殿 即南殿也其御後曰北庇 淸凉殿 即中殿也又謂御殿在南殿之西常宸居 內侍所 即溫明殿也在南殿之東 后町 即常寧殿也在南殿之北 御匣殿 即貞觀殿在后町之北 弓場殿 即校書殿在淸凉殿之南殿上前 瀧口戶 在淸凉殿之北 陣座 左近在日華門之內右近在月華門之內 御書所 式乾門內在侍從所南有公卿別當預幷書手契食書也又有內御書所 大歌所 在圖書之東上西門內也新嘗時供奉有親王大納言非參議六位別當案主給年官 武德殿 又名弓塲殿在豐樂院之北騎射競馬等於此所御覽 豐樂院 在八省院西天子宴會之所又云馬塲殿 大極殿 即八省院之正殿名又云最大殿其後燒失數回至高倉院治承元年明雲僧正燒之以來不能造營 △按徃昔大內裏之殿舍堂門之名甚多不枚擧俗間多所聞傳之者略記之 |
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上古は穴居して野に[ruby(處, ruby=を)]れり。後世聖人、之に[ruby(易, ruby=かふ)]るに宮室を以てし棟を[ruby(上, ruby=あ)]げ[ruby(宇, ruby=のき)]を[ruby(下, ruby=ひき)]くし以て風雨を待つ。之を取る雷天大壯の卦に黃帝、始めて宮室を作る。世本に云ふ、禹王、始めて宮室を作る。呂氏春秋に云ふ、高元、始めて宮室を作る。今に黃帝を以て是とす。葢し古者、貴賤居る所を皆な宮と稱す。秦に至りて乃ち定って至尊所居の稱とす。 夫木和歌抄 [ruby(天地, ruby=あめつち)]の・[ruby(神代, ruby=かみよ)]はしらず・かし[ruby(原, ruby=はら)]の・[ruby(宮居, ruby=みやゐ)]ぞ[ruby(國, ruby=くに)]の・[ruby(始也, ruby=はじめなり)]けり 定圓 △按ずるに、宮は天子の居る所なり。故に[ruby(御屋, ruby=みや)]と訓す。皇子、皇女も皆な宮と稱す。神武天皇、和州・[ruby(橿原, ruby=かしわら)]の宮を始めとす。今に宗廟の神祠を稱す。亦た宮と曰ふ。其の他、神祠は社と曰ふ 或書に云ふ、推古天皇・七年、聖德太子、奏して曰く歷代[ruby(禁, ruby=みや)]造りは或は大く、或は小く、未だ曾て理を格さざる。今よりして以て定めん。美疎は時に依る、必ず大にすべからず。方面・三百六十五步にして、二十八殿並に立つ。第二十五の一殿、是れを祭神齋殿とし、他の二十七殿を以て天皇所領の殿とす。宜しき[ruby(檜, ruby=ひのき)]の材にて造り[ruby(檜, ruby=ひ)][ruby(皮, ruby=わだ)]葺にすべき。南面の大殿は日の少宮に移し、柱を以て棟を[ruby(支, ruby=ささ)]へて[ruby(梁裏, ruby=やねうら)]は天井、則ち萬機を[ruby(攝, ruby=ゆだ)]ぬる[5]殿なり。是の時、此の法を以て[ruby(小, ruby=を)][ruby(墾, ruby=はる)][ruby(田, ruby=た)]の宮を造る。 桓武天皇の延曆・十二年、始めて新宮を山[ruby(背, ruby=しろ)]の國に造り[ruby(翌, ruby=あ)]くる年・十月、[ruby(南京, ruby=なら)]より北京に遷りたまふ。今の平安城、是なり。南殿の前庭の橘の樹右近橘と稱す本は橘本太夫が宅にて則ち其の時の樹にて枝條、改めず。櫻の樹左近櫻と稱す本は是れ梅なり。遷都の日、[ruby(植, ruby=う)]ゑ被るる所なり。而して承知・年中に及びて[ruby(枯, ruby=か)]れ[ruby(失, ruby=う)]せぬ。仍て仁明天皇、改て之を植ゑ被る。蓋し大[ruby(內, ruby=だい)][ruby(裏, ruby=り)]は此れより始る南北三十六町、東西二十町秦の始皇帝の都、咸陽宮の一殿を[ruby(摸, ruby=うつ)]して之を建つと。四方に十二の門有り。 東には 陽明門 待賢門 [ruby(郁芳, ruby=いくはう)]門 南には 美福門 [ruby(朱雀, ruby=しゅじゃく)]門 皇嘉門 西には [ruby(談天, ruby=だんてん)]門 [ruby(藻壁, ruby=さうへき)]門 [ruby(殷富, ruby=いんぷ)]門 北には 安嘉門 [ruby(偉監, ruby=いかん)]門 [ruby(達智, ruby=たっち)]門 偉監門本名、玄武門なり俗に之を[ruby(不開, ruby=あかず)]の門と號す。蓋し花山の院、御出家の時、此の門より出でしめて給ふと云云。其れより後、開か被れざる。此の外に二の門有り。 上東門陽明門の北東面に在り 上西門殷富門の北西面に在り 右の平安城の大內裏、[ruby(建, ruby=た)]ってより以來、村上天皇に至るまで天德・四年十三代、百六十四年及んで始にて炎上して而して後回祿すること數十度、既にして政事、武家より出しより[ruby(以降, ruby=このかた)]、今に小內裏とする。古書に謂ふ所の殿、舍、門、閣等の名のみ有りて其の處を知らざる者多し。仍て大內裏の圖、省略して左に記して考覽に備ふ。 不老門 豐樂院の北面、外の大門なり。[ruby(額, ruby=がく)]無し。 長生殿 大藏の省の長殿を以て長生殿と謂ふか。其の南面の門も不老門と名づく。豐樂院門と同名か大藏省の長殿は土御門の北坊城の東に在りと云云。保胤の詩に云く、長生殿の[ruby(裏, ruby=うち)]には春秋[ruby(留, ruby=と)]めり不老門の前には日月遲しといふ。者此の所を取る。 [그림 4장] 百敷・大內山 新古狀 百敷や大內山の丑寅にわりへの司かや奉る 光俊 雲井 正治院百首 よもすから雲井の庭を照す哉衛士のたく火は有名の月 後鳥羽院 屋敷庭 同(正治院百首) 川竹の替らぬ色の深みとり玉しく庭の末ろしらるる 雅經 位山 拾遺 野紫たなひく雲をしるへにて位の山の岺を尋ん 元輔 花塵山 院百首 中々に情も深きとのもりの清めにつもる花の塵山 李保 大宮所 夫木 [ruby(我國, ruby=わがくに)]の・[ruby(數, ruby=かず)]の[ruby(郡, ruby=こほり)]の・[ruby(內, ruby=うち)]にしも・をたきの[ruby(里, ruby=さと)]の・[ruby(大宮所, ruby=おほみやどころ)] 僧正公朝 凡そ人、[ruby(內裏, ruby=だいり)]に[ruby(參, ruby=まい)]るを[ruby(參內, ruby=さんだい)]と曰ふ。 御[6]臺所を臺盤所と曰ふ。 御繕所を朝[ruby(餉, ruby=がれひ)]と曰ふ。 評定所を記錄所と曰ふ。 女中の部[ruby(屋, ruby=や)]を[ruby(對屋, ruby=たいや)]と曰ふ。 御[ruby(亭, ruby=ちん)]を[ruby(鈎, ruby=つり)]殿と曰ふ。 御居所を[ruby(御座, ruby=みくら)]と曰ふ。 御寢所を[ruby(夜, ruby=よん)]の[ruby(殿, ruby=をとと)]と曰ふ。 院の御所を仙洞と曰ふ。 [ruby(紫宸殿, ruby=ししんでん)] 即ち南殿なり。其の御[ruby(後, ruby=うしろ)]を[ruby(北, ruby=きた)][ruby(庇, ruby=びさし)]と曰ふ。 [ruby(淸凉殿, ruby=せいれうでん)] 即ち中殿なり。又た御殿と謂ふ。南殿の西に在り。常の宸居なり。 [ruby(內侍所, ruby=ないしどころ)] 即ち溫明殿なり。南殿の東に在り。 [ruby(后町, ruby=きさいまち)] 即ち常寧殿なり。南殿の北に在り。 [ruby(御匣殿, ruby=みくしげどの)] 即ち貞觀殿なり。后町の北に在り。 [ruby(弓場殿, ruby=ゆばどの)] 即ち校書殿なり。淸凉殿の南殿上の前に在り。 [ruby(瀧口戶, ruby=たきぐちのと)] 淸凉殿の北に在り。 [ruby(陣座, ruby=じんのざ)] 左近は日華門の內に在り。右近は月華門の內に在り。 [ruby(御書所, ruby=ごしょどころ)] 式乾門の內、侍從所の南に在り。公卿別當、預幷書手契食書に有り。又た內の御書所に有り。 [ruby(大歌所, ruby=おほうたどころ)] 圖書の東に在り。上西門の內なり。[ruby(新嘗, ruby=にいなめ)]の時、供奉、親王大納言非參議六位別當有り。案主給年官 [ruby(武德殿, ruby=ぶとくでん)] 又た弓塲殿と名づく。豐樂院の北に在りて[ruby(騎射競馬, ruby=のりゆみけいば)]等、此の所に於て御覽ある。 [ruby(豐樂院, ruby=ぶらくいん)] 八省院の西に在り。天子宴會の所、又た云ふ、馬塲殿と。 [ruby(大極殿, ruby=だいこくでん)] 即ち八省院の正殿の名なり。又た云ふ、最大殿。其の後、燒失せること[ruby(數回, ruby=たびたび)]にて高倉の院に至て治承・元年、明雲僧正、之を燒く[ruby(以來, ruby=このかた)]造營すること能はず。 △按ずるに、[ruby(徃昔, ruby=いにし)]へ大內裏の殿、舍、堂、門の名、甚だ多く、枚擧せず。俗間に多く聞傳る所の者、[ruby(略, ruby=あら)]々之を記す。 |
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아래 4페이지의 그림은 위에 표시된 대로 와카가 나오기 직전에 중간에 삽입되어있다. 3장은 궁궐 전각들의 배치도이고 마지막 한 장은 핫쇼인(八省院)의 구조를 나타낸 그림이다.
2.2. 殿
[7][ruby(殿, ruby=でん)] 音電 |
전각 [대궐 전] |
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별칭: | |||||
殿乃宮殿也字彙云堂高大者曰殿今天子宸居稱殿 紫宸殿 仁壽殿 承香殿 常寧殿 貞觀殿 春興殿 宜陽殿 綾綺殿 溫明殿 麗景殿 宜耀殿 安福殿 校書殿 淸凉殿 弘徽殿 後凉殿 登華殿 以上十七禁內之殿名也 大極殿 八省院正殿名 豐樂殿即豐樂院正殿名 神嘉殿 中院正殿名也天子祭社稷神所 唐令云宮殿皆四阿和名阿豆萬夜 此とのはむへもとみけり[ruby(幸, ruby=さき)][8]草のみつは四ッ葉に殿作りして |
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殿は乃ち宮殿なり。字彙に云く堂の高大なる者を殿と曰ふ。今天子の宸居を殿と稱ふ。 [ruby(紫, ruby=し)][ruby(宸, ruby=しん)]殿 [ruby(仁, ruby=にん)][ruby(壽, ruby=しゅう)]殿 [ruby(承, ruby=しゃう)][ruby(香, ruby=けう)]殿 [ruby(常, ruby=じゃう)][ruby(寧, ruby=ねい)]殿 [ruby(貞, ruby=じゃう)][ruby(觀, ruby=くわん)]殿 [ruby(春, ruby=しゅん)][ruby(興, ruby=けう)]殿 [ruby(宜, ruby=ぎ)][ruby(陽, ruby=やう)]殿 [ruby(綾, ruby=れう)][ruby(綺, ruby=き)]殿 [ruby(溫, ruby=をん)][ruby(明, ruby=めい)]殿 [ruby(麗, ruby=り)][ruby(景, ruby=けい)]殿 [ruby(宜, ruby=ぎ)][ruby(耀, ruby=よう)]殿 安福殿 [ruby(校, ruby=かう)][ruby(書, ruby=しょ)]殿 [ruby(淸, ruby=せい)][ruby(凉, ruby=りゃう)]殿 [ruby(弘, ruby=こう)][ruby(徽, ruby=き)]殿 [ruby(後, ruby=ご)][ruby(凉, ruby=りゃう)]殿 登華殿 以上、十七は禁內の殿の名なり。 [ruby(大, ruby=だい)][ruby(極, ruby=ごく)]殿は八[ruby(省, ruby=しゃう)]院の正殿の名なり。[ruby(豐, ruby=ぶ)][ruby(樂, ruby=らく)]殿は即ち豐樂院の正殿の名なり。 [ruby(神, ruby=しん)][ruby(嘉, ruby=か)]殿は中院の正殿の名なり。天子、社稷の神を祭りたまふ所なり。 唐令に云く宮殿は皆な[ruby(四阿, ruby=あづまや)]なり。和名阿豆萬夜 此とのはむへもとみけり[ruby(幸, ruby=さき)]草のみつは四ッ葉に殿作りして |
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전(殿)은 곧 궁전이다. 《자휘》(字彙)에 이르길 당(堂)의 크고 높은 곳을 전이라 하였다. 오늘날 천자의 거처를 전이라 한다.
일본 시 |
2.3. 堂
[ruby(堂, ruby=だう)] タン(táng)・音唐 |
당 [집 당] |
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별칭: | |||||
堂向陽之屋也言明禮儀之所也自黃帝始有堂之名爾雅云王者爲堂自半以前虛謂堂自半以後實之謂室明堂王者朝諸候之宮大內裏八省院內有十三堂 △按佛者殿亦曰堂造南面故諺曰論無益堂南向 新古今 ふたらくの・南の岸に・堂たてて・今そ榮ん・北の藤浪 えの本の明神御歌[14] [新古今19-1854] |
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堂は陽に向ふ屋なり。[ruby(言, ruby=心)]は禮儀を明す所なり。黃帝より始めて堂の名有り爾雅に云く王者、堂をする半より以前を虛するを堂と謂ひ、半より以後、實する之を室と謂ふ。明堂は王者、諸候を朝する宮なり。大[ruby(內裏, ruby=だいり)]八省院の內に十三の堂有り。 △按ずるに、佛者の殿も堂と曰ふ。南面に造る故に[ruby(諺, ruby=ことわざ)]に曰く論は[ruby(無益, ruby=むやく)]、堂は南向と。 新古今和歌集 ふたらくの・[ruby(南, ruby=みなみ)]の[ruby(岸, ruby=きし)]に・[ruby(堂, ruby=たう)]たてて・[ruby(今, ruby=いま)]そ[ruby(榮, ruby=さかえ)]ん・[ruby(北, ruby=きた)]の[ruby(藤浪, ruby=ふちなみ)] えの本の明神御歌 |
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당(堂)은 볕이 잘 드는 곳을 향하는 집이다. 이 말의 뜻은 예의를 비추는 곳이라는 것이다. 황제(黃帝)로부터 당이라는 것이 있었다. 《이아》(爾雅)에 이르길 왕은 절반을 나누어 앞부분의 공허한 곳을 당이라고 하고, 나머지 절반의 실질적인 곳을 실(室)이라 하였다. △생각건대 불교의 전(殿)도 당(堂)이라고 한다. 남향으로 만드는 까닭에 옛말에 "이론은 무익(無益), 당은 남향"[16]이라고 한다. 신코킨와카슈 보타락 산[17]의・남쪽 바다 기슭에・법당 세우고・이제는 번성하리・북쪽의 등나무는 에노모토노 묘진의 노래 [18] |
2.4. 舍
[ruby(舍, ruby=や)] セヱ、(shè)・音赦 |
사 [집 사] |
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별칭: | |||||
說文云市居曰舍从人从舌周禮云舍沐浴處也 照陽舍梨壼在溫明殿北 淑景舍桐壼在照陽舍北 飛香舍藤壼在弘徽殿北 凝華舍梅壼在飛香舍北 襲芳舍雷鳴壼在凝華舍北蓋此禁中之五舍也 |
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說文云、市居を舍と曰ふ。人从ひ[ruby(舌, ruby=した)]に从ふ。周禮に云く舍は沐浴する處なり。 [ruby(照陽, ruby=なし)][ruby(舍, ruby=つぼ)]梨壺溫明殿の北に在り。 [ruby(淑景, ruby=きり)][ruby(舍, ruby=つぼ)]桐壺照陽舍の北に在り。 [ruby(飛香, ruby=ふぢ)][ruby(舍, ruby=つぼ)]藤壺[ruby(弘徽, ruby=こうき)]殿の北に在り。 [ruby(凝華, ruby=むめ)][ruby(舍, ruby=つぼ)]梅壺飛香舍の北に在り。 [ruby(襲芳, ruby=かみなり)]の[ruby(舍, ruby=つぼ)]雷鳴壺凝華舍の北に在り。蓋し此れ禁中の五舍なり。 |
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《
설문해자》(說文解字)에 이르길 시장 건물을 사(舍)라 하였다. 人이라는 글자가 붙고 舌이라는 글자가 붙는다. 《주례》(周禮)에 이르길 사(舍)란 목욕하는 곳이다. ( 교토의) 궁궐에는 5개의 사가 있다.
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2.5. 樓閣
[19][ruby(樓閣, ruby=ろうかく)] 音漏, 音各 |
누각 [다락 루], [집 각] |
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별칭: | |||||
釋名云樓重屋者㸢之間有射孔慺慺然也黃帝爲五城十三樓[20] 禁中有蒼龍樓白虎樓栖鳳樓翔鸞樓 樓閣 或以藏書或以繪像或以爲登眺遊覽之所 △按樓二重屋之殿在武城則名矢倉者一物異品也 日本紀云雄略天皇十二年命木工闘[21]雞猪名部眞根始起樓閣 高きやにのはりてみれば煙たつ民のかもとは賑にけり 人德天皇 |
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釋名に云く樓は[ruby(屋, ruby=やね)]を重ねたる[22]者なり。[ruby(㸢, ruby=まど)]の間[ruby(射孔, ruby=ゆみいるあな)]有りて[ruby(慺, ruby=ろう)]慺然たるなり。黃帝、五城十三樓を爲くる[23] 禁中に蒼龍樓、白虎樓、[ruby(栖鳳, ruby=せいほう)]樓、[ruby(翔鸞, ruby=しゃうらん)]樓有り。 樓閣は或は以て書を藏し、或は以て像を[ruby(繪, ruby=ゑが)]き、或は以て登眺遊覽の所とす。 △按ずるに、樓は二重[ruby(屋, ruby=やね)]の殿、武城に在りては[ruby(矢倉, ruby=やぐら)]と名づくる者、一物異品なり。 日本紀に云く雄略天皇の十二年、[ruby(木工, ruby=たくみ)][ruby(闘雞, ruby=つげ)]の猪名部の眞根に命して始めて[ruby(樓閣, ruby=たかどの)]を[ruby(起, ruby=つく)]る。 高きやにのはりてみれば煙たつ民のかもとは賑にけり 人德天皇(257-399)[24] |
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《석명》(釋名)에 이르길 누각이란 지붕을 겹친 것이다. 창에는 활을 쏘는 구멍이 있어 든든(慺)하다. 황제(黃帝)는 5개의 성(城)과 13개의 누각을 지었다. (
교토의) 궁궐(禁中)에는 창룡루(蒼龍樓), 백호루(白虎樓), 서봉루(栖鳳樓), 상란루(翔鸞樓)가 있다. 누각은 책을 보관하거나 그림을 그리거나, 혹은 올라가 조망하고 노는 곳으로 쓴다. △생각건대 누각은 지붕이 중첩된 건물로, 군사 건물로서는 야구라(矢倉)라고 부르는 것과 같은 것이다. 《 일본서기》(日本書紀)에 이르길 유라쿠 천황(雄略天皇) 12년(468년) 목공 쓰게(闘雞)[25]노 이나베노 마네(猪名部眞根)[26]를 시켜 처음으로 누각을 짓도록 했다. 일본 시 닌토쿠 덴노 |
2.6. 房
[ruby(房, ruby=ばう)] ハン(fáng)・音坊 |
방 [방 방] |
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별칭: | |||||
三才圖會云房在室旁者所以防風雨燥濕也 倭名抄云禁中房名 華芳房在宮中東北隅 桂芳房在華芳房之東今爲樂所是也 蘭林房在式乾門之內東今分爲御書所 △按凡佛者曰堂曰院曰房者以比王者宮殿以其主稱房主今呼平僧及剃髮俗亦爲房主者非也 |
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三才圖會に云ふ、房は室の旁に在る者。風、雨、燥、濕を防ぐ所なり。 倭名抄に云ふ、禁中房の名 華芳房宮中東北隅に在り。 桂芳房華芳房の東に在り、今樂所とするは是なり 蘭林房は式乾門の內東に在り今分、御書所とす △按ずるに、凡そ佛者、堂と曰ひ、院と曰ひ、房と曰ふは以て王者の宮殿に比す。其の[ruby(主, ruby=あるじ)]を以て[ruby(房主, ruby=ばうず)]と稱す。今平僧、及剃髮の俗を呼んで亦た房主とするはあらず。 |
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《삼재도회》(三才圖會)에 이르길 방(房)이란 실(室)의 옆에 있는 것이다. 바람, 비, 건조함, 습기를 막는 곳이다. 《화명류취초》(和名類聚抄)[27]에 이르길 ( 교토의) 궁궐에는 다음과 같은 방이 있다.
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2.7. 院
[ruby(院, ruby=いん)] イユン(yuàn)・虞怨切 |
원 | ||||
별칭: | |||||
△按往昔大內裏時在二十有餘諸院其中 八省院圖出于前其正殿曰大極殿又謂中臺天子臨朝即位諸司告朝所也治承元年炎上後無造營如今即位元日諸司告朝等用紫宸殿 施藥院 聖武天皇天平二年始建於奈良救天下人民疾苦又建悲田院養病者及孤子於兩院二十年間四萬六千八百人死活者一萬四千五十人桓武帝遷都平安城亦建兩院今則絶矣乞丐所群居名悲田寺悲田院等其遺稱也 勸學院 藤原氏學生住焉在三條之北壬生西 弘文院 和氣淸麿卿建立之和氣氏諸生別當在勸學院之北 淳和院 即淳和天皇離宮也 㢡學院 王氏諸生別當也有源氏長者公卿並辨別當 天子讓位後所居稱院御所讓位皇后稱女院御所 凡僧尼所居院號多有之醫師賜院號最規模也 |
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△按ずるに、[ruby(往昔, ruby=そのかみ)]、大內裏の時、二十有餘の諸院、其の中に在り。 八省院圖、前に出づ其の正殿を大極殿と曰ひ、又た中臺と謂ふ。天子、臨朝・即位のとき諸司の朝を告る所なり。治承元年、炎上の後、造營無し。如し今は即位元日、諸司告朝等に紫宸殿を用らる。 [ruby(施, ruby=せ)][ruby(藥, ruby=やく)]院 聖武天皇天平二年始めて奈良に建てて天下人民の疾苦を[ruby(救, ruby=すく)]ふ。又た悲田院を建てて病者、及[ruby(孤, ruby=みなし)][ruby(子, ruby=ご)]を養ふ。兩院に於て二十年の間、四萬六千八百人、死す。活する者、一萬四千五十人。桓武帝、遷都、平安城にも兩院を建らる。今は則ち絶たり。[ruby(乞丐, ruby=こつがい)]の群居する所を悲田寺、悲田院と名づく等、其の遺稱なり。 [ruby(勸, ruby=くわん)][ruby(學, ruby=がく)]院 藤原氏の學生住せり。三條の北、壬生の西に在り。 弘文院 和氣の[ruby(淸麿, ruby=きよまろ)]卿、之を建立す。和氣氏の諸生別當たり。勸學院の北に在り [ruby(淳和, ruby=じゅんな)]院 即ち淳和天皇の離宮なり。 㢡學院 王氏の諸生の別當なり。源氏の長者公卿、並に辨の別當有り。 天子、讓位ありて後、[ruby(居, ruby=ゐ)]ます所を院の御所と[ruby(稱, ruby=まふ)]す。讓位皇后を女院の御所と稱す。 凡そ僧尼の所居に院の號、多く之有り。醫師に院號を賜ふとこ最規模なり。 |
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△생각건대 옛날에 다이다이리(大內裏)가 있던 시절 20여 개의 원(院)이 그 안에 있었다.
대체로 승려와 비구니가 사는 곳에 원이라는 이름을 붙인 것이 많다. 의원 중 원이라는 이름을 받은 곳은 최대 규모이다. |
2.8. 城
[ruby(城, ruby=しろ)] チン(chéng)・音成 |
성 | ||||
별칭: | |||||
黃帝內傳云帝既殺蚩尤因之始築城內曰城外曰郭 公羊傳注云天子城天雉高七雉公侯百雉高五雉子男五十雉高三雉葢方丈曰堵三堵曰雉一雉之牆長三丈高一丈 櫓音魯 唐韻云城上守禦樓也樓者重屋也 雉𡑢[⿰土葉][30] 一名堺堄又僻倪又睥睨又粉𡑢[⿰土葉]城上女垣也以白堊之女垣者開箭眼以窺望城下因以各得其名或曰女墻言其卑小比之城若女子之於丈夫也 △按所謂天子城千雉則三千丈以六尺五寸爲一間四千六百十五間許以六十間爲一町約七十七町許當方二里甚高廣者然否也 凡城內郭曰本丸本丸正櫓五重屋謂之天主其方隅有櫓俗云矢倉兩櫓之交有雉堞矮而長棟戶口多故名多門開箭眼可以放砲軍士奔走其內際處名武者走矣 砦音柴 木柵也蓋假城也訓止利天俄構之居軍勢 |
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黃帝內傳に云ふ、帝既に[ruby(蚩尤, ruby=しいう)]を殺す。之に因りて始て城を築く。內を城と曰ひ、外を郭と曰ふ。 公羊傳の注に云ふ、天子の城は千雉、高さ七雉。公侯は百雉、高さ五雉。子男は五十雉、高さ三雉と。葢し方丈を堵と曰ひ、三堵を雉と曰ふ。一雉の[ruby(牆, ruby=ついじ)]長さ三丈、高さ一丈。 [ruby(櫓, ruby=やぐら)]音魯 唐韻に云ふ、城の上、守り[ruby(禦, ruby=ふせ)]ぐ樓なり。樓とは重屋なり。 雉𡑢[⿰土葉] 一名堺堄又た僻倪又た睥睨又た粉𡑢[⿰土葉]。城の上の女垣なり。以て之を[ruby(白堊, ruby=しらぬり)]にす。女垣とは[ruby(箭眼, ruby=やざま)][34]を[ruby(開, ruby=あ)]けて以て城の下を[ruby(窺, ruby=うかが)]い[ruby(望, ruby=み)]る。因りて以て各おの其の名を得る。或は曰く女墻とは[ruby(言, ruby=心)]は其の[ruby(卑, ruby=ひき)]く小して之を城に[ruby(比, ruby=くら)]ぶるに女子の丈夫の於けるがごとき。 △按ずるに、所謂る天子の城、千雉といふときは三千丈なり。六尺五寸を以て一間とす四千六百十五間許り六十間を以て一町とす約するに七十七町許り。當に方二里なるべし。甚だ高く廣き者、しかるやいなや。 凡そ城の內郭を本丸と曰ふ。本丸の正櫓、五重[ruby(屋, ruby=やね)]、之を天主と謂ふ。其の方隅に櫓有り俗云矢倉兩櫓の[ruby(交, ruby=あはひ)]に雉堞有り。[ruby(矮, ruby=ひき)]くして長き棟、戶口多き。故に多門と名づく。[ruby(箭眼, ruby=やざま)]を[ruby(開, ruby=あ)]けば以て砲を[ruby(放, ruby=はな)]つべし。軍士、其の內際を奔走する處を武者[ruby(走, ruby=ばし)]りと名づく。 [ruby(砦, ruby=とりで)]音柴 木柵なり。蓋し[ruby(假, ruby=かり)]城なり。訓止利天俄に之を構て軍勢を居らしむ。 |
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《황제내전》(黃帝內傳)에 이르길
황제는 일찍이
치우를 죽였다. 이에 따라 처음으로 성을 쌓았다. 내부를 성(城), 외부를 곽(郭)이라 한다. (《 춘추》(春秋)의) 공양전(公羊傳) 주석에 이르길 천자의 성은 1000치(雉)[35]로 높이는 7치였다. 공작・ 후작은 100치로 높이는 5치였다. 자작・ 후작은 50치로 높이는 3치라 하였다. 대체로 1장(丈)의 공간[36]을 도(堵)라 했는데, 3도가 1치이다. 1치의 담장은 길이가 3장이고 높이가 1장이다.
대개 성의 내부를 혼마루(本丸)라 한다. 혼마루의 본 누각(櫓)은 5층이며 이를 천주(天主)[40]라 한다. 천주의 각진 귀퉁이에는 각각 누각이 있고세간에서는 야구라(矢倉)라 한다 양 누각에 성가퀴가 있다. 낮고 긴 건물로 방이 많다. 따라서 다몬(多門)이라 한다. 화살구멍을 열면 대포를 쏠 수 있다. 이 안에서 병사들이 분주히 내달리는 곳을 무샤바시리(武者走り)라 한다.
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2.9. 臺
[ruby(臺, ruby=うてな)] タイ(tái)・音台 |
돈대 | ||||
별칭: | |||||
說文臺觀四方高者也黃帝內傳云帝旣斬蚩尤因立臺榭 △按今有樓臺俗云火見樓之類乎有舞臺伶倫及猿樂之舞臺多無屋 |
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說文に臺は四方を觀る高き者なり。黃帝內傳に云く帝、旣に[ruby(蚩尤, ruby=しいう)]を斬り因りて臺榭を立つと。 △按ずるに、今、樓臺有り。俗云[ruby(火, ruby=ひ)]の[ruby(見, ruby=み)][ruby(樓, ruby=やぐら)]の類か。舞臺有り、伶倫、及猿樂の舞臺、多くは屋無し。 |
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《설문해자》(說文解字)에서 대(臺)란 사방을 보는 높은 곳이다. 《황제내전》(黃帝內傳)에 이르길 황제(黃帝)는
치우를 베어버리고 이에 따라 대사(臺榭)를 지었다고 한다. △생각건대 오늘날에는 누대(樓臺)라는 것이 있다. 세간에서 이르길 소방 망루( 히노미야구라, 火見樓)의 일종일까? 무대(舞臺)라는 것도 있다. 음악과 예능을[41] 하는 무대는 대체로 지붕이 없다. |
2.10. 廊
[ruby(廊, ruby=ほそどの)] ラン(láng)・音郞 |
회랑 | ||||
별칭: | |||||
廊 唐韻云殿下外屋也 廡 字彙云堂下周廊即大屋四邊重簷也 △按廓即細殿也今伽藍周圍如垣屏而矮有屋檐人往通之處名廻廊在民家則唯曰廊下 廡與庇似而不同俗云曰𩊱附或差卸之類乎 |
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廊は唐韻に云ふ、殿の下の外屋なり。 廡は字彙に云ふ、堂下の[ruby(周, ruby=まは)]りの廊、即ち大屋の四邊、重たる[ruby(簷, ruby=のき)]なり。 △按ずるに、廓は即と細殿なり。今、伽藍の[ruby(周圍, ruby=めぐ)]りに垣屏の如きにして[ruby(矮, ruby=ひき)]く[ruby(屋, ruby=やね)][ruby(檐, ruby=のき)]有り、人往通の處、廻廊と名づく。民家に在りては唯だ廊下と曰ふ。 廡は[ruby(庇, ruby=ひさし)]と似て同からず。俗云、[ruby(𩊱, ruby=しころ)][ruby(附, ruby=づ)]け、或は[ruby(差, ruby=さ)]し[ruby(卸, ruby=をろ)]しと曰ふ類か。 |
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낭(廊)은 《당운》(唐韻)에 이르길 전(殿) 밑에 있는 바깥의 지붕이다. 무(廡)는 《자휘》(字彙)에 이르길 당(堂) 밑 주변의 낭, 즉 큰 지붕의 네 변이 겹치는 처마이다. △생각건대 곽(廓)은 좁은 전이다. 오늘날 절[42] 주변에 벽처럼 되어있으면서 낮은 지붕이 있어 사람이 지나다니는 곳을 회랑(廻廊)이라 한다. 민가에도 있는데 복도(廊下, ろうか)라 부른다. 무(廡)는 행랑방(庇)과 유사하지만 같지는 않다. 세간에서 시코로즈케(𩊱附)[43], 사시오로시(差し卸し)라고 하는 류일까? |
2.11. 廳
[ruby(廳, ruby=まんどころ)] ティン(tīng)・音汀 |
청 | ||||
별칭: 庁同(庁도 같다) | |||||
廳字彙云古者治官處謂之聽事毛氏曰聽事言受事察訟於是漢晋皆作聽六朝以來始加广 凡爭罪曰獄爭財曰訟爭辨言之於公也从言从公訴音素告也从厈厈即岸字俗作訴或愬 △按廳延賓屋也今云政所辨訴訟糺賞罰所也蓋訴者言上之義訟者諍論之義今謂之對決邪正决斷謂之裁許 |
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廳は字彙に云ふ、[ruby(古, ruby=いにし)]へ官を[ruby(治, ruby=をさ)]む處、之を聽事と謂ふ。毛氏が曰く聽事は事を受け訟へを察するを言ふ。是に於て漢、晋皆な聽に作る。六朝以來、始めて广を加ふ。 凡そ罪を爭ふを獄と曰ひ、財を爭ふを訟と曰ふ。爭辨する言の公に於けるなり言に从ひ、公に从ふ。[ruby(訴, ruby=そ)]は音素[ruby(告, ruby=まを)]す。厈に从ふ。厈は[ruby(岸, ruby=きし)]の字。俗訴、或は愬に作る。 △按ずるに、廳は賓を[ruby(延, ruby=ひ)]く屋なり。今云、[ruby(政所, ruby=まんどころ)]。訴訟を辨へ賞罰を[ruby(糺, ruby=ただ)]す所なり。蓋し訴は言上の義、訟は諍論の義。今之を對決と謂ふ邪正决斷する之を[ruby(裁許, ruby=さいきょ)]と謂ふ。 |
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청(廳)은 《자휘》(字彙)에 이르길 예부터 관(官)을 다스리는 곳이다. 이를 청사(聽事)라 한다. 모씨가 이르길 청사는 일을 듣고 호소를 헤어리는 것을 말한다. 이에 따라 한나라, 진나라에는 모두 청을 만들었다. 육조시대부터 처음 广을 덧붙여 廳이라고 썼다. 대개 죄를 논하는 것은 옥(獄), 재산을 논하는 것은 송(訟)이라 했다. 말(言)로 논쟁하고 공공(公共)에 따르기에 言과 公이 (訟이라는 글자에) 쓰였다. 소(訴)[음 素(소)]는 말하는 것이다. 厈가 쓰였다(斥). 厈는 岸(언덕 안)을 나타내는 글자이다. 세간에서는 소(訴), 혹은 소(愬)라고 쓴다. △생각건대 청은 손님을 맞이하는 곳이다. 오늘날에는 만도코로(政所)라 한다. 소송을 논하고 상벌을 따지는 곳이다. 대체로 소(訴)는 대화를 뜻하고 송(訟)은 쟁론을 뜻한다.오늘날에는 이를 대결(對決)이라 한다. 옳고 그름을 판단하는 것을 재허(裁許)라 한다. |
2.12. 社
[ruby(社, ruby=やしろ)] |
신사 | ||||
별칭: | |||||
社字彙云土神能生萬物以古之有大功者配之 △按凡天曰神音辰地曰示音奇人曰鬼音癸示字亦有地音而一大謂之天二小謂之示 凡宗廟神祭之稱宮其他皆爲社其小社俗呼曰叢祠正應六年勅以伊勢風神改社號稱宮蓋依異國降伏之神功也菅神亦稱天滿宮之類皆賞德者也 韓詩外傳云人死肉骨歸于土血歸於水魂氣歸於天其陰氣薄然獨存無所依也故爲鬼 後拾遺 今よりは・あらふる心・ましますな・花の都に・社定めつ 長能 [後拾遺-1165] |
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社は字彙に云ふ、土神、能く萬物を生す。古への大功有る者を以て之を配す。 △按ずるに、凡そ天のを神音辰と曰ふ。地のを示音奇と曰ふ。人のを鬼音癸と曰ふ。示の字にも亦た地の音有り。而して一大、之を天と謂ふ。二小、之を示と謂ふ。 凡そ宗廟の神、之を祭るを宮と稱す。其の他は皆な社とす。其の小社、俗呼んで[ruby(叢祠, ruby=ほこら)]と曰ふ。正應六年、勅して伊勢の風の神を以て社號を改め宮と稱せらる。蓋し異國降伏の神功に依りてなり。菅神、亦た天滿宮と稱する類、皆な德を賞する者なり。 韓詩外傳に云く人死して肉骨は土に歸し、血は水に歸し、魂氣は天に歸す。其の陰氣、薄然として獨り存して依る所無し。故に鬼となる。 後拾遺和歌集 [ruby(今, ruby=いま)]よりは・あらふる[ruby(心, ruby=こころ)]・ましますな・[ruby(花, ruby=はな)]の[ruby(都, ruby=みやこ)]に・[ruby(社, ruby=やしろ)][ruby(定, ruby=さだ)]めつ 藤原長能 |
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사(社)는 《자휘》(字彙)에 이르길 토신(土神)이 만물을 만들었고 예로부터 큰 공이 있는 자를 토신에게 바쳤다. △생각건대 대개 하늘의 것은 신(神)[음 辰(신)], 땅의 것은 시(示)[음 奇(기)], 사람의 것은 귀(鬼)[음 癸(계)]라 하였다. 示라는 글자는 음에도 地(땅 지)의 음이 들어있다. 여기서 1개의 큰 것(大)를 천(天), 2개의 작은 것(小, 땅과 사람)을 시(示)라 하였다. 대개 종묘의 신을 기리는 곳을 궁(宮)이라 하고 그 외에는 모두 사(社)라 했다. 그러한 작은 사(社)를 호코라(叢祠)라고 한다. 쇼오(正應) 6년(1293년) 칙령을 내려 이세(伊勢)의 바람의 신에 대하여 사당의 이름을 궁(宮)으로 고쳤다.[45] 이는 외국 항복의 공덕에 따른 것이다.[46] 간진(菅神, かんじん)[47]의 사당을 덴만구(天滿宮, てんまんぐう)라 하는 것 역시 덕을 칭송하는 것이다. 《한시외전》(韓詩外傳)에 이르길 사람이 죽을 때 뼈와 살은 땅으로, 피는 물로, 영혼과 기운은 하늘로 돌아간다고 하였다. 그 중 음기(陰氣)만은 엷어 홀로 남아 깃들 곳이 없어 귀신이 된다. 고슈이와카슈[48] 일본 시 후지와라노 나가토[49] |
2.13. 祠堂
[ruby(祠堂, ruby=しだう)] |
사당 | ||||
별칭: | |||||
祠音詞廟也家禮云君子將營宮室先立祠堂於正寢之東 △按儒家以考妣及先祖神主祭之所亦稱祠堂其神主之式圖器財部載之釋氏稱尊靈屋即祠堂也 |
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祠は音詞廟なり。家禮に云ふ、君子、將に宮室を[ruby(營, ruby=つく)]らんとす。先づ祠堂を正寢の東に立つ。 △按ずるに、儒家に[ruby(考, ruby=ちち)]、[ruby(妣, ruby=はは)]、及び先祖の神主を以て之を祭る所、亦た祠堂と稱す。其の神主の式圖、器財の部に之を載す。釋氏に[ruby(尊靈屋, ruby=たまや)]と稱す。即ち祠堂なり。 |
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사당(祠堂)[음 詞(사)]은
묘(
廟)이다. 《가례》(家禮)에 이르길 군자는 궁궐을 만들기 마련이다. 우선 사당을 정침(正寢)의 동쪽에 둔다. △생각건대 유가에서 죽은 아버지( 考), 죽은 어머니( 妣),[50] 그리고 선조의 신주(神主)를 모시는 곳도 사당이라 한다. 신주의 방식과 그림은 도구(器財) 편에 실었다.[51] 불교에서는 다마야(尊靈屋, たまや)라 한다. 이 역시 사당이다. |
2.14. 寺
[ruby(寺, ruby=てら)] スウ(sì)・音詞 |
절 | ||||
별칭: 招提/伽藍/道塲/紺園/鸗峯/蘭若。天良(てら)と訓す。 | |||||
事物紀源云漢明帝於東都門外立精舍以處攝摩騰竺法蘭即是白馬寺騰始自西域以白馬駄經來止于鴻臚寺遂取寺名剏置白馬寺即僧寺之始也 尼寺者 僧史略云東晉何充始捨宅安尼此尼寺起也 書言故事云寺曰拓[52]提後人誤爲招梵語之中有拓鬪提奢之說故名 五雜組[53]云古者官舍謂之省寺寺則一二公卿如大理光祿之類蓋亦仍其舊稱而佛宮槪謂之寺矣相傳起於漢明帝崇佛敎比於公卿之爵故以寺名其居今則非勅賜者不得稱也 △按寺欽明天皇十三年始建向原寺今有河州古市郡西琳寺是也乃本朝寺院始也而後諸國造寺甚多故續日本紀云桓武天皇延曆二年勅曰諸寺數有限禁私營作如經年代無地不寺先旣如制宜嚴加禁制 夫木 津の國の・難波の浦の・大寺の・額の銘こそ・誠なりけり 慈圓 [夫木-16448][55] |
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事物紀源に云く、漢の明帝、東都の門外に於て精舍を立て以て攝摩騰・竺法蘭を[ruby(處, ruby=を)]く。即ち是れ白馬寺なり。騰、始めて西域より白馬を以て經を[ruby(駄, ruby=おほ)]せて來て鴻臚寺に止る。遂に寺の名に取る。[ruby(剏, ruby=はじ)]めて白馬寺を置く。即ち僧寺の始めなり。 [ruby(尼, ruby=あま)]寺者 僧史略に云く、東晉の何充、始めて宅を捨てて尼を[ruby(安, ruby=を)]く。此れ尼寺の起りなり。 書言故事に云く、寺を拓提と曰ふ。後人、誤りて招とす。梵語の中に鬪を拓り、奢を提りの說有り、故に名づく。 五雜組に云く、古は官舍、之を省寺と謂ふ。寺は則ち一二の公卿、大理・光祿の類の如し。蓋し亦た其の舊稱に仍て佛宮、[ruby(槪, ruby=おほむ)]ね之を寺と謂ひ、相傳ふ。漢の明帝、佛敎を[ruby(崇, ruby=あが)]め公卿の[ruby(爵, ruby=くらゐ)]に[ruby(比, ruby=ひ)]するより起る。故に寺を以て其の居に名づく。今は則ち勅して賜ふ者にあらざれば稱することをえざる。 △按ずるに、寺は欽明天皇・十三年、始めて向原寺を建つ。[日本書紀19]今に河州・古市郡に有り、西琳寺、是なり。乃ち本朝、寺院の始めなり。而して後諸國、寺を造ること甚だ多し。故に續日本紀に云く、桓武天皇・延曆二年、勅して曰く諸寺の數に限有り、私に營作することを禁す。年代を經へては地として寺ならざるは無き如し。先づ旣に制の如く、宜く嚴しく禁制を加ふべし。 夫木和歌抄 [ruby(津, ruby=つ)]の[ruby(國, ruby=くに)]の・[ruby(難波, ruby=なには)]の[ruby(浦, ruby=うら)]の・[ruby(大寺, ruby=おほでら)]の・[ruby(額, ruby=がく)]の[ruby(銘, ruby=めい)]こそ・[ruby(誠, ruby=まこと)]なりけり 慈圓(1155-1225) [57] |
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《사물기원》(事物紀源)에 이르길
한나라
명제(明帝)는
낙양(東都)[58] 문 밖에 정사(精舍)를 세움으로써 섭마등(攝摩騰),[59] 축법란(竺法蘭)을 머무르게 했다. 따라서 이를
백마사(白馬寺)라 하였다. 섭마등은 처음
서역에서 백마에 불경을 지고 와 홍려사(鴻臚寺)[60]에 머물렀으나, 결국에는 백마를 절의 이름으로 하여 처음 백마사를 설치하였다. 이것이 절의 기원이다.[61] 비구니절(尼寺, 아마데라)란 《승사략》(僧史略)에 이르길 동진(東晉)의 하충(何充, 292-346)이 처음 집을 내놓아 비구니들을 들였다. 이것이 비구니절의 시작이다. 《서언고사》(書言故事)에 이르길 절은 척제(拓提)라 한다. 후대에 와전되어 拓(척)을 招(초)로 적게 되었다. 산스크리트어에 척투제사(拓鬪提奢)라는 말이 있는데[62][63] 거기서 유래한 것이다. 《오잡조》(五雜組)에 이르길 옛날에는 관아(官舍)를 성사(省寺)라고 했다. 사(寺)란 1~2위의 구경(九卿),[64] 대리(大理), 광록(光祿) 등의 부류와 같았다. 그러다가 예전의 명칭을 바꾸어 불교 건물(佛宮)을 대체로 사(寺)라고 하게 된 것이 전해져 오고 있다. 한나라 명제가 불교를 숭상해 삼공과 구경의 벼슬에 빗댄 것에서 유래한다. 때문에 사(寺)가 불교인들의 거처를 가리키는 이름이 되었다. 오늘날에는 칙령으로 하사받은 이가 아니라면 벼슬을 칭할 수 없다. △생각건대 절이란 긴메이 천황(欽明天皇) 13년(552년) 처음 고겐지(向原寺)를 세웠다. 오늘날 가와치(河內) 후루이치군(古市郡)에 있는 사이린지(西琳寺)가 그것이다. 이게 바로 우리나라 사원의 시작이다. 그 뒤 여러 지방에서 절을 세우는 일이 매우 많았다. 때문에 《속일본기》(續日本紀)에 이르길 간무 천황(桓武天皇)은 엔랴쿠(延曆) 2년(783년) 칙령을 내려 이르기를 전체 절의 수를 제한하고 사적으로 절을 운영하는 것을 금지했다. 시간이 흐른다면 땅 중에서 절이 아닌 것을 찾기가 어려울 것이기에 이전의 금제와 같이 마땅히 엄격한 제한을 가해야 한다. 후모쿠와카쇼 일본 시 지엔 |
2.15. 方丈
[ruby(方丈, ruby=はうぢゃう)] |
방장 | ||||
별칭: | |||||
唐顯慶年中王玄策使西域至毗耶離城有維摩居士石室以手板縱橫量之得十笏故名方丈室 △按方丈住持僧所居皆不拘大小名方丈 庫裏 調齋膳辨一切雜事之所俗如曰臺所者疑此廚也和訓久里夜下略矣俗以爲庫裏者附會之誤也 |
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唐の顯慶年中に王玄策、西域に[ruby(使, ruby=つか)]ひして毗耶離城に至る。維摩居士の石室有り手板を以て[ruby(縱橫, ruby=たてよこ)]之を[ruby(量, ruby=はか)]るに十笏を得る。故に方丈の室と名づく。 △按ずるに、方丈は住持の僧の居り所。皆な大小に[ruby(拘, ruby=かか)]わらず方丈と名づく。 [ruby(庫裏, ruby=くりや)] 齋膳を[ruby(調, ruby=ととの)]へ一切雜事を辨する所、俗に臺所と曰ふ者の如し。疑らくは此れ[ruby(廚, ruby=くりや)]や和訓久里夜の下略ならん。俗に以て庫裏とするは附會の誤なり。 |
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당나라 현경(顯慶) 중 왕현책(王玄策)은 서역에 파견되어 비야리성(毗耶離城)에 이르렀다. 유마거사(維摩居士)의 석실이 있어 수판(手板)[65]으로 가로세로를 재보니 10개 홀(笏)만큼의 길이가 되었다. 따라서 방장(方丈, 사방이 1장)의 방이라는 이름을 얻었다. △생각건대 방장이란 주지승의 거처이다. 크기와 상관없이 모두 방장이라 한다. 구리야(庫裏): 식사를 준비하는 등 잡다한 일을 치른다는 점에서 세간에서 말하는 부엌과 같다. 의심컨대 이는 주방을 뜻하는 구리야에서 왔을 것이다. 세간에서 庫裏라 적는 것은 한자 부회에서 온 오류이다. |
2.16. 食堂
[ruby(食堂, ruby=しきだう)] |
식당 | ||||
별칭: | |||||
食堂衆僧調食所也高僧傳云道安法師常註諸經乃誓曰若所說不甚遠理願見瑞相乃夢見梵僧頭白眉長語安云君所註合理我當相取[66]弘通可時時設食蓋所夢者賓頭盧也於是立座飯之處處成則先此別施空座前置椀盋無安聖像至宋泰至之末正勝寺正喜寺等始圖形矣 賓頭廬 四分律云本此優塡王臣由精勤故王放出家得阿羅漢 |
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食堂は衆僧、調食の所なり。高僧傳に云ふ、道安法師、常に諸經を註め乃ち誓て曰く、若し說く所甚だ理り遠からずんば、願はくは瑞相を見んと。乃ち夢に梵僧を見る。頭白く、眉長し、安に語って云く、君が註する所、理に合かなへり。我れ當に相取て弘通すべし。時時に食を[ruby(設, ruby=もう)]くべしと。蓋し[ruby(夢, ruby=ゆめ)]みる所の者は賓頭盧なり。是に於て座飯の處處に立て、則を成す。此より先は別に空座を施し、前に椀[ruby(盋, ruby=はち)]を置き聖像を安すること無し。宋の泰至の末に至りて正勝寺、正喜寺等に始めて形を圖す。 [ruby(賓, ruby=ビン)][ruby(頭廬, ruby=ヅル)]は 四分律に云く、本々此れ、[ruby(優, ruby=う)][ruby(塡, ruby=でん)]王の臣なり。精勤なるに由りて、故に王、[ruby(放, ruby=ゆる)]して出家せしめ阿羅漢を得る。 |
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식당이란 승려를 위해 밥을 차리는 곳이다. 《고승전》(高僧傳)에 이르길 도안법사(道安法師)는 항상 경전들에 주석을 달 때 맹세하며 이렇게 말했다. "만약 내가 말한 것이 (부처의 말씀과) 크게 멀어지지 않았다면 바라건대 상서로운 현상(瑞相)이 나타날 것이다." 이내 꿈에 범승(梵僧)이 나타났다. 머리가 하얗고 눈썹이 길었다. 그가 도안에게 말했다. "너의 주석은 이치에 맞는다. 나는 너와 함께 불법을 퍼뜨려야(弘通)[67] 마땅하다. 때때로 내게 식사를 베풀도록 해라." 무릇 꿈에 나온 사람은 빈두로(賓頭盧)[68]이다. 이에 따라 좌반(座飯)을 곳곳에 놓는 것이 규범으로 되었다. 그 이전에는 따로 공좌(空座)를 만들고 앞에 밥그릇과 불상을 놓는 일이 없었다. 송나라(宋) 태시(泰始, 465-471)[69] 말에 이르러 정승사(正勝寺), 정희사(正喜寺) 등에서 처음 (이 풍습을) 그림으로 그렸다. |
2.17. 塔
[ruby(塔, ruby=たふ)] タツ(tǎ)・音榻 |
탑 | ||||
별칭: | |||||
高僧傳曰康僧會吳赤烏十年至建業孫權使求舍利既得之權爲造塔普帝過江更修飾之此中國造塔始也 日本紀敏達天皇十四年馬子宿禰起塔於大野丘北即去年司馬達等於齋食上所獲舍利藏塔柱頭是我朝塔之始矣[日本-卷20] △按塔棟上方形者名露盤其上覆圓盋物稱覆盋覆盋與火珠之間立如連錢九枚者俗名九輪 寶鐸[73] 塔四隅大鈴也日本後紀云嵯峨天皇弘仁十二年五月播磨國有人掘地獲一銅鐸高三尺八寸口徑一尺二寸道人云阿育王塔鐸也 |
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高僧傳に曰く康僧會、吳の赤烏十年、建業に至る。孫權、舍利を求めしむ。既に之を得る。權の爲めに塔を造る。普帝、江を過て更に之を修飾す。此れ、中國に塔を造る始めなり。 日本紀に、敏達天皇の十四年、馬子の[ruby(宿, ruby=すく)][ruby(禰, ruby=ね)]、塔を大野丘の北に起つ。即ち去年、司馬達等が[ruby(齋, ruby=いみ)][ruby(食, ruby=ひ)]の上に於て[ruby(獲, ruby=う)]る所の舍利、塔の柱の[ruby(頭, ruby=かみ)]に[ruby(藏, ruby=をさ)]む。是れ、我が朝、塔の始めなり。 △按ずるに、塔の棟の上、方形なる者、露盤と名づく。其の上へ圓盋を[ruby(覆, ruby=うつぶ)]けし[74]物を[ruby(覆, ruby=うつ)][ruby(盋, ruby=ばち)]と稱す。覆盋と[ruby(火珠, ruby=ひさくがた)]との間に立て錢を連る如く九枚ある者を俗に九輪と名づく。 [ruby(寶鐸, ruby=はうちゃく)][75] 塔の四[ruby(隅, ruby=すみ)]の大鈴なり。日本後紀に云く、嵯峨天皇の弘仁十二年・五月、播磨の國に人有り、地を掘りて一の銅鐸を獲る。高さ三尺八寸、口の[ruby(徑, ruby=わた)]り一尺二寸。道人の云く、阿[ruby(育, ruby=いく)]王の塔の鐸なりと。 |
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《고승전》(高僧傳)에 이르길
강승회(康僧會, ?-280)는
오나라(吳)
적오(赤烏) 10년(247년)
건업(建業)에 이르렀다.
손권은 강승회에게
사리를 구하도록 했고 그가 사리를 구해오니 그것을 위한
탑을 세웠다.
서진의 황제가 강을 건너와 탑을 장식했다. 이것이 중국에서 탑을 짓게 된 시작이다. 《일본서기》(日本書紀)에 비다쓰(敏達) 천황 14년(585년) 우마코노 스쿠네(馬子宿禰)는 탑을 오노오카(大野丘) 북쪽에 세웠다. 그보다 전 해에 시바 닷토(司馬達等)가 식사[76]에 앞서 얻은 사리를 탑 기둥 꼭대기에 보관했다. 이것이 우리나라 탑의 시작이다. △생각건대 탑의 마룻대 위에 사각형으로 된 것은 노반(露盤)이라고 한다. 그 위에 둥근 사발을 덮은 것을 복발(覆鉢)[77]이라고 한다. 복발과 화주(火珠, 히사쿠가타)[78] 사이에 세워 동전을 줄지어놓은 것과 같이 9장이 나란히 있는 것을 세간에서는 구륜(九輪)이라고 한다. |
2.18. 輪藏
[ruby(輪藏, ruby=りんざう)] |
윤장 | ||||
별칭: | |||||
釋氏稽古略云輪藏始於梁傅太士又名善慧大士又名東陽大士名翕字玄風大同十年創成轉輪之藏乃建大僧龕中心立一柱啓八面而實諸經謂之輪藏令信心者推之一帀則與看讀同功 安大士寶像於藏殿前首頂道冠肩被釋服足躡儒履謂之和會儒釋道之三家 又云梁傳大士歲十六娶劉氏生二字名普建普成今輪藏傅大士像前両傍安二童子相對拍手而笑俗呼爲笑佛者是也 |
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釋氏稽古略に云く、輪藏は梁の[ruby(傅, ruby=ふ)]太士に始る。又た善慧大士と名づく、又た東陽大士と名づく名は翕、字は玄風。大同十年に[ruby(創, ruby=はじ)]めて轉輪の藏を成す。乃ち大僧龕を建て中心に一柱を立て八面を啓き而して諸經を實つ。之を輪藏と謂ふ。信心の者をして之を推さしむ。[ruby(一, ruby=ひと)][ruby(帀, ruby=めぐ)]りなれば看讀と功を同す。 大士の寶像を藏殿の前に[ruby(安, ruby=を)]く。[ruby(首, ruby=かうべ)]には道の冠を[ruby(頂, ruby=いただ)]き肩には釋の服を[ruby(被, ruby=かづ)]き足には儒の[ruby(履, ruby=くつ)]を[ruby(躡, ruby=ふ)]む。之を儒、釋、道の三家を和[79]會すと謂ふ。 又た云ふ、梁の傳大士、歲十六にして劉氏を[ruby(娶, ruby=め)]とりて二字を生む。[ruby(普, ruby=ふ)][ruby(建, ruby=けん)]、普成と名づく。今に輪藏の傳大士の像の前、両の傍に二童子を[ruby(安, ruby=を)]く。相對して手を[ruby(拍, ruby=う)]って笑ふ。俗に呼んで笑佛とする者、是なり。 |
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《석씨계고략》(釋氏稽古略)에 이르길 윤장은 양나라(梁) 부대사(傅大士)로부터 시작한다. 달리 이르기로 선혜대사(善慧大士), 동양대사(東陽大士)라고도 한다. 이름은 흡(翕), 자는 현풍(玄風)이다.
대동(大同) 10년(544년) 처음 바퀴(轉輪)로 된 장(藏)을 만들었다. 큰 층으로 된 감실(龕)을 만들어서 중심에 기둥을 세우고 8면이 열리게 하여 여러 경서를 채웠다. 이를 윤장이라고 한다. 믿음이 있는 자에게 이것을 밀게 한다. 1번 돌릴 때마다 경서를 읽은 만큼의 같은 공덕을 얻는다. 대사(大士)의 보상(寶像)을 장이 있는 건물 앞에 둔다. 머리에는 도사의 모자(道冠)를 썼고 어깨에는 석가의 옷을 두르고 발에는 유학자의 신발을 신었다. 이것이 유(儒)·불(佛)·선(仙) 세 종교의 화합을 뜻한다. 또한 이르기로 양나라의 부대사는 나이 16세에 유씨(劉氏)와 결혼하여 두 아이를 가졌다. 보견(普見), 보성(普成)이라 한다. 오늘날에는 윤장의 부대사 상 앞 양 옆에 두 어린이 상을 두고 서로 마주하여 손뼉을 치며 웃는다. 세간에서 이르는 소불(笑佛)이라 하는 것은 이것이다. |
2.19. 宅
[ruby(宅, ruby=いへ)] ツヱイ(zhái)・音澤 |
집 [집 택] |
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별칭: 家(音加) | |||||
字彙云宅居也屋也天子以天下爲宅四海爲家周伯溫曰豕居之圈曰家故从宀从豕後人借爲室家之家猶牢本牛屋後人借爲牢獄之牢 新古 から人の・我妻しらぬ・家うつり・それをためしの・戀もする哉 光俊 [新撰和歌六帖5:雑思-1500] |
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字彙に云く、宅は居なり、屋なり。天子は天下を以て[ruby(宅, ruby=いへ)]とし四海を家とす。周伯溫が曰く、豕居の圈を家と曰ふ。故に宀に从ふ、豕に从ふ。後人、借りて室家の家とす。牢は本もと[ruby(牛, ruby=うし)][ruby(屋, ruby=べや)]、後人借りて牢獄の牢とするがごとし。 新古今和歌集 から人の・[ruby(我妻, ruby=わかつま)]しらぬ・[ruby(家, ruby=いへ)]うつり・それをためしの・[ruby(戀, ruby=こひ)]もする[ruby(哉, ruby=かな)] 葉室光俊(1209-1276)[81] |
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《자휘》(字彙)에 이르길 택(宅)은 거(居)이며 옥(屋)이다. 천자는 천하를 택(宅)으로, 사해(四海)를 가(家)로 만들었다. 주백온(周伯溫, 1298-1369)[82]이 이르길 돼지(豕)가 사는 곳을 가(家)라 하였기에 宀와 豕가 붙는다. 후대 사람들은 이 글자를 빌려 집을 나타내는 데 쓴다. 뢰(牢)가 본래 소 우리였는데 후대 사람들이 이 글자를 빌려 감옥(牢獄, ろうごく)을 뜻하는 데 쓰는 것과 같다. 신센와카로쿠조 일본 시 하무로 미쓰토시 |
2.20. 宿
[ruby(宿, ruby=やど)] 昔夙 |
집 | ||||
별칭: | |||||
宿訓夜止 止也安息也俗呼星宿宿字亦爲音秀星宿各止住其所故言宿 字从宀从亻从百 夫木 軍見て・矢はぎの浦の・あればこそ・宿を立つつ・人は居るらめ 無名 [夫木-11572][84] 五雜組云江南無閘江北無橋江南無芽屋江北無溷圊南人有無墻之室北人不能爲也北人有無柱之室南人不能爲也北人不信南人有架空之樓行於木杪南人不信北人有萬斛之窖藏於地中 |
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宿訓夜止は 止也、安息也。俗に星宿の宿字を呼んで亦た音秀とす。星宿、各其の所に止住す。故に宿と言ふ。 字、宀に从ひ亻に从ひ百に从ふ。 夫木和歌抄 軍見て・矢はぎの浦の・あればこそ・宿を立つつ・人は居るらめ 無名 五雜組に云ふ、江南には[ruby(閘, ruby=ひぐち)][ruby(無, ruby=な)]く、江北には橋無し。江南には[ruby(芽, ruby=かや)]ぶきの[ruby(屋, ruby=や)]無き、江北には[ruby(溷圊, ruby=かわや)]無し。南人に[ruby(墻, ruby=へい)]無き室有り、北人[ruby(爲, ruby=まね)]すること能はず。北人に柱無き室有り、南人[ruby(爲, ruby=まね)]すること能はず。北人は南人、空に[ruby(架, ruby=か)]けたる[ruby(樓, ruby=やぐら)]有りて木の[ruby(杪, ruby=こずゑ)]に行くことを信せず。南人は北人、萬斛の[ruby(窖, ruby=あなぐら)]有りて地中に藏すことを信せず。 |
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宿[뜻 야도(やど, 夜止)]은 멈춤이며 안식이다. 세간에서 별자리의 수(宿)의 宿 자를 수(秀)라고도 읽는다. 별자리 수는 각각 그 자리에 머물러 지낸다. 때문에 宿라는 글자를 쓴다. 글자에는 宀, 亻, 百이 쓰인다. 후모쿠와카쇼 일본 시 저자 미상 《오잡조》(五雜組)에 이르길 강남에는 수문이 없으며 강북에는 다리가 없다. 강남에는 초가집이 없으며 강북에는 뒷간이 없다. 강남에는 벽이 없는 집이 있으나 강북으로서는 따라할 수도 없다. 강북에는 기둥이 없는 집이 있으나 강남으로서는 따라할 수도 없다. 강북 사람들은 강남에 공중에 걸린 누각이 있어 나뭇가지 끝으로 가는 것을 믿지 못한다. 강남 사람들은 강북에 만 섬의 지하 창고가 있어 땅 속에 저장한다는 것을 믿지 못한다. |
2.21. 室
[ruby(室, ruby=むろ)] 音七 |
실 | ||||
별칭: 居間(俗)。室、屋字、皆至に从ふは止る所なり。(室, 屋 자 모두 至가 쓰이는 것은 머무는 곳이기 때문이다.) | |||||
白虎通云黃帝作室以避寒暑釋名云室實也人物實滿其中也又夫以婦爲室 △按室平日所居也呼他人妻曰內室未嫁女曰室女夫旣死婦勤家業者曰古室俗呼己妻曰女房房亦近室字故爾 |
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白虎通に云ふ、黃帝、室を作て以て寒暑を避さぐ。釋名にふ、室は實なり。人物、實して其の中に滿つる。又た[ruby(夫, ruby=おっと)]は婦を以て室とす。 △按ずるに、室は平日居る所なり。他人の妻を呼んで內室と曰ふ。未だ[ruby(嫁, ruby=よめ)]いりせざる女を室女と曰ふ。夫、旣に死して[ruby(婦, ruby=かか)]、家業を勤る者を古室と曰ふ。俗に己が妻を呼んで女房と曰ふ。房、亦た室字に近き故爾 |
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《백호통》(白虎通)에 이르길 황제(皇帝)는 실(室)을 만들어 추위와 더위를 피했다. 《석명》(釋名)에 이르길 실(室)이란 실(實)이다. 사람과 물건은 그 안을 충실하게 메운다. 아울러 남자는 부인과 함께 한 실을 이룬다. △생각건대 실은 평소에 머무는 곳이다. 남의 부인을 내실(內室)이라 부른다. 아직 결혼하지 않은 여자를 실녀(室女)라 한다. 남편이 죽어 부인이 가업에 종사하는 것을 고실(古室)이라 한다. 세간에서 이르길 자기 처를 여방(女房, 뇨보)이라 한다. 방(房)이라는 글자는 실(室)과 의미가 비슷하기 때문이다. |
2.22. 藏
[ruby(藏, ruby=くら)] |
창고 | ||||
별칭: 廩音林(림)和名與奈久良(よなぐら) 囷和名萬呂久良(まろぐら) 庫音袴(고)和名豆波毛乃久良(つわものぐら) | |||||
事物紀源云倉廩始於陶唐世[事物紀源8-倉] 時珍曰有屋曰廩無屋曰倉音蒼皆官積也方曰倉圓曰囷皆私積也 月令注云穀藏曰倉米藏曰廩兵庫藏曰庫唐令云諸軍器在庫皆造棚閣安置之棚閣和名多奈 △按凡物所蓄曰藏藏者總名而有品日本紀云宣化天皇元年立藏於國國積粮救民 帑音倘金帛所藏也 府音斧 文書所藏又財物所聚也 廥音膾 蒭藁所藏和名久佐久良今民家所言納屋奈夜之類也 |
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事物紀源に云ふ、倉廩は陶唐の世より始まる。 時珍が曰く[ruby(屋, ruby=やね)]有りを廩と曰ひ、屋無きを倉音蒼と曰ふ。皆な官積なり。方なるを倉と曰ひ、圓なるを囷と曰ふ。皆な私積なり。 月令の注に云ふ、穀藏を倉と曰ひ、米藏を廩と曰ふ。兵庫の藏を庫と曰ふ。唐令に云ふ、諸々の軍器、庫に在り。皆な[ruby(棚閣, ruby=たな)]を造て之を安置す。棚閣は和名多奈 △按ずるに、凡そ物、[ruby(蓄, ruby=たくは)]ふる所を藏と曰ふ。藏は總名にして品有り。日本紀に云ふ、宣化天皇の元年、藏を國國に立て粮を積み民を[ruby(救, ruby=すく)]はしむ。 帑音倘金、[ruby(帛, ruby=きぬ)]ものの[ruby(藏, ruby=をさ)]むる所なり。 府音斧 文書の藏る所。又た財物の聚る所なり 廥音膾 [ruby(蒭藁, ruby=くさわら)]の藏る所。和名久佐久良今、民家に言ふ所の[ruby(納屋, ruby=なや)]奈夜の類なり。 |
|||||
《
사물기원》(事物紀源)에 이르길 창고(倉廩)는
도당씨(陶唐氏) 시대부터 시작되었다. (《 본초강목》의 저자인) 시진(時珍)이 이르길 지붕이 있는 것을 늠(廩), 없는 것을 창(倉)[음 蒼(창)]이라 하였다. 모두 관의 창고이다. 각진 것을 창(倉), 둥근 것을 균(囷)이라 한다. 모두 민간의 창고이다. (《예기》(禮記)의) 〈월령〉(月令)의 주석에 이르길 곡식 창고는 창(倉), 쌀 창고는 늠(廩)이라 한다. 군용 창고는 고(庫)라 한다. 《당령》(唐令)에 이르길 여러 무기가 창고에 있다. 모두 선반을 만들어 안치한다. 선반의 일본 명칭은 다나(たな, 多奈)이다. △생각건대 대체로 물건들을 보관하는 장소를 창고라 한다. 창고란 총칭으로 종류가 나뉜다. 《일본서기》(日本書紀)에 이르길 센카 덴노(宣化天皇) 원년(536년)에 창고를 나라 곳곳에 세워 양식을 저장하고 백성들을 구제했다. 帑(금고 탕)[음 倘(당)]: 금과 비단을 보관하는 곳이다. 府(마을 부)[음 斧(부)]: 문서를 보관하는 곳이다. 또는 재물을 모으는 곳이다. 廥(여물광 괴)[음 膾(회)]: 짚을 보관하는 곳이다. 일본 명칭은 구사구라(くさぐら, 久佐久良)이다. 오늘날 민가에서 말하는 나야(納屋, 헛간)의 한 종류이다. |
2.23. 窖
[ruby(窖, ruby=あなぐら)] 音敎 |
땅굴 창고 | ||||
별칭: | |||||
禮月令仲秋穿竇窖修囷倉注云入地方者曰竇員[86]曰窖爲民將入物當藏也 五雜組云燕都雖有窖不及秦晋之多其地燥故不腐其土堅故不崩自齊以南不能爲也三晋富家藏粟數百萬石皆窖而封之 △按窖廣大者難禦盜賊故室家中造之大抵方丈許藏書券金帛等物而上覆土一二寸則能避火每蓄米穀雜貨者無如倉廩 |
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禮の月令に仲秋、竇窖を穿ちて囷倉を[ruby(修, ruby=つく)]る。注に云ふ、地に入り方なるを竇と曰ひ、[ruby(員, ruby=まる)]きを窖と曰ふ。民將に物を入て當に藏むべき爲めなり。 五雜組に云ふ、[ruby(燕, ruby=ゑん)]の都に窖有りといえども、秦、晋の多きに及ばず。其の地、燥く故に腐らず。其の土、堅き故に[ruby(崩, ruby=くづ)]れず。[ruby(齊, ruby=せい)]より以て南には爲すること能はず。三晋の富家、粟を藏すること數百萬石。皆な窖にして之を封す。 △按ずるに、窖の廣大なる者は盜賊を禦ぎ難き故に室家の中に之を造る。大抵、方丈許りにして書、[ruby(券, ruby=かた)]、金、帛等の物を藏して上に土を覆ふこと一二寸。則ち能く火を避ぐ。每に米穀、雜貨を[ruby(蓄, ruby=たくは)]ふには倉廩に[ruby(如, ruby=し)]くはなし。 |
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《예기》(禮記)의 〈월령〉(月令) 편에 이르길 굴(竇窖)을 파 창고를 만든다. 주석에 이르길 땅 속에 있으면서 동그란 것을 두(竇), 각진 것을 교(窖)라 했다. 민간에서 물건을 넣고 보관하기 위함이다. 《오잡조》(五雜組)에 이르길 연나라(燕)의 수도에 땅굴 창고가 많다곤 하나 진나라(秦)와 진나라(晋)의 수에는 이르지 못한다. 그 일대의 땅은 건조해 잘 썩지 않고 딱딱해 잘 무너지지 않는다. 제나라(齊)보다 남쪽 지역은 사용하기 어렵다. 삼진(三晋)[87]의 부잣집은 밤을 수백만 섬 보관했다고 한다. 모두 땅굴 창고로 만들어 입구를 봉했다. △생각건대 땅굴 창고 중 광대한 것은 도적을 막기 어렵기 때문에 집 안에 만들었다. 대체로 방장(方丈) 정도 (크기)로 만들어 책, 문서(券), 금, 비단 등의 물건을 보관하고 위에 흙을 1~2치(약 3~6cm) 덮었다. 그러면 화재를 잘 막을 수 있다. 평소에 미곡, 잡화를 보관하기에는 창고보다 못하다. |
2.24. 邸屋
[ruby(邸家, ruby=といや)] テイキャア。(dǐjiā)・音底 |
돈야 | ||||
별칭: | |||||
顏師古曰漢制凡郡國朝宿之舍在京師者率名邸邸至也言歸所至也 △按倭名抄云邸俗云人可謂停賣取賃也今亦京師及諸國津湊多有邸家賈客競來求賣買邸主媒之取賃謂之口錢邸家婢女婿於客者俗謂波須和正字未考當用邸婢二字乎又自外來媒商者名牙儈出人倫之部 |
|||||
顏師古が曰く漢の制に、凡そ郡國朝宿の舍、京師に在る者、[ruby(率, ruby=おほむ)]ね邸と名づく。邸は至なり。[ruby(言, ruby=心)]は歸至る所なり。 △按ずるに、倭名抄に云ふ、邸は俗に云ふ、人、賣を[ruby(停, ruby=さだ)]めて[ruby(賃, ruby=に)]を取るを謂ふべし。今も京師、及諸國、津湊に多く邸家有り、賈客競來て賣買を求む。邸主、之を[ruby(媒, ruby=なかだち)]して賃を取る。之を[ruby(口錢, ruby=こうせん)]と謂ふ。邸家の[ruby(婢女, ruby=しもべ)]客に[ruby(婿, ruby=こび)]る者を俗に波須和と謂ふ。正字、未だ考はず當に邸婢の二字を用ゐるべし。又た外より來て媒商する者を[ruby(牙儈, ruby=すあい)]と名づく。人倫之部に出る |
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안사고(顏師古)가 이르길 한나라의 제도에서는 전국의 집들 중 수도에 있는 것을 저(邸)라 하였다. 저(邸)란 지(至)이다. 돌아가 다다르는 곳이라는 뜻이다. △생각건대 《화명류취초》(和名類聚抄)에 이르길 저(邸)는 세간에서 말하길 머물러서 상매 행위를 하게 하고 수수료를 받는 것을 말한다. 지금도 교토나 다른 지역에서는 항구 곳곳마다 돈야(問屋)가 있어 가격 경쟁을 하며 상매를 원한다. 돈야의 주인은 이것을 중개(なかだち, 나카다치)하며 수수료를 받는다. 이를 소개료(こうせん, 고센)라 한다. 돈야에서 여자 종이 손님에게 아양을 떠는 것을 세간에서 하슷파(はすっぱ)[88]라 한다. 유래는 미상이나 邸婢라는 글자를 쓸 것이다. 또한 외부에서 와서 중개상을 하는 이를 스아이(牙儈, すあい)라 한다. 인륜지부(人倫之部) 편에 나온다. |
2.25. 肆
[ruby(肆, ruby=いちくら)] |
시장 | ||||
별칭: | |||||
唐令云諸市每肆立標題也肆者市鬻之舍也 | |||||
唐令に云く諸市、肆每に、[ruby(標題, ruby=しるし)]を立つ。肆は[ruby(市鬻, ruby=ものう)]る舍なり。 | |||||
《당령》(唐令)에 이르길 모든 시(市)는 사(肆)마다 표식을 세운다. 사(肆)는 물건을 파는 곳이다. |
2.26. 市
[ruby(市, ruby=いち)] 音時 |
시장 | ||||
별칭: | |||||
市買賣所也易繫辭云神農氏日中爲市致天下民聚天下貨交易退各得其所取之火雷噬嗑卦市字从冂中丨从了了古文及字象物相及也 △按推古天皇朝肇立六齋市和州三輪市是始也 市姫の神のいかきのいりしれや商物に千代を積らん 爲賴 |
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市は買賣の所なり。易の繫辭に云ふ、神農氏、日中に市をし天下の民を致し天下の[ruby(貨, ruby=にもつ)]を聚め交易して退く。各々其の所を得る。之を火雷[ruby(噬嗑, ruby=ぜいかう)]の卦に取る。市の字、冂中の丨に从ひ、了に从ふ。了は古文及びの字、相及びに[ruby(象物, ruby=かた)]とる。 △按ずるに、推古天皇の朝、[ruby(肇, ruby=はじ)]めて六齋の市を立つ。和州三輪の市、是れ始なり。 市姫の神のいかきのいりしれや商物に千代を積らん 藤原爲賴(939-998) |
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시장(市)이란 사고파는 곳이다. 《주역》(周易)의 〈계사전〉(繫辭傳)에 이르길
신농씨는 하루종일 시장을 열어 세상 사람들로 하여금 세상 만물을 모으고 교역시키게 했다. 각자 필요한 것을 얻었다. 이를 불과 번개를 뜻하는 괘인 서합괘(噬嗑卦)로 적었다. 市자는 冂 안에 丨가 있고, 了가 들어간다. 了는 고문(古文)으로 '서로'의 모습을 본땄다. △생각건대 스이코 천황 시기 처음으로 로쿠사이(六齋)라는 시장을 열었다. 이즈미(和泉) 미와(三輪)의 시장이 그 시작이다. 일본 시 후지와라노 다메요리 |
2.27. 店
[ruby(店, ruby=たな)] テン(diàn)・音點 |
가게 [가게 점] |
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별칭: 多奈と訓す。(다나라 훈독한다.)/京師、波之と曰ひ、關東、多奈と曰ひ、西國、見世と曰ふ。(교토에서는 하시, 간토에서는 다나, 서부[89]에서는 미세라고 한다.) | |||||
字彙云店肆也所以置貨鬻物也 倭名抄云店家俗云東西町是也坐賣物也[倭名抄-券十] △按肆店同有少異肆市店也店尋常每商家設棚閣以販物故曰多奈有家之端故曰波之衆見往來人故曰見世 |
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字彙に云ふ、店は肆なり。以て[ruby(貨, ruby=にもつ)]を置て物を[ruby(鬻, ruby=ひさ)]ぐ所なり。 倭名抄に云ふ、店家は俗に云ふ、東西の町、是れなり。[ruby(坐, ruby=いなが)]ら物を賣る。 △按ずるに、肆と店、同じて少異有り。肆は市店なり。店は尋常、商家、每に[ruby(棚閣, ruby=たな)]を設て以て物を販ぐ。故に多奈と曰ふ家の端に有り故に波之と曰ふ衆く往來の人を見す。故に見世と曰ふ |
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《자휘》에 이르길 점(店)이란 사(肆)이다. 여기에 짐을 놓고 물건을 판다. 《화명류취초》(和名類聚抄)에 이르길 점가(店家)란 동서의 마을이다. 앉아서 물건을 판다. △생각건대 점과 사는 비슷하나 약간의 차이가 있다. 사는 시장의 가게이다. 점은 항상 상가에 선반(たな, 다나)를 마련해놓고 물건을 판다. 때문에 다나(多奈)라고도 부른다. 집 끝(端, 하시)에 있다. 때문에 하시(波之)라고도 부른다. 여럿이서 오가는 사람들에게 보여준다(見せる, 미세루). 때문에 미세(見世)라고도 부른다. |
2.28. 館
[ruby(館, ruby=たち)] |
객관 | ||||
별칭: 和名、多知(たち)。俗に云ふに、本陣宿。(일본어로는 다치(たち)이다. 세간에서는 혼진야도(本陣宿)라고 한다.) | |||||
館者客舍也周禮云五十里有市市有館館有積以待朝聘之客 △按舘來聘所宿今云本陣宿也昔洛西立鴻臚舘宿中華及朝鮮聘使今之東寺即鴻臚舘之地 |
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館は客舍なり。周禮に云ふ、五十里に市有り、市に館有り。館に積有り、以て朝聘の客を待つ。 △按ずるに、舘は來聘、[ruby(宿, ruby=やど)]す所なり。今に云ふ、本陣宿なり。昔は洛西に鴻臚舘を立て中華、及朝鮮の聘使を宿す。今の東寺は即ち鴻臚舘の地なり |
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객관(館)은 객사(客舍)이다. 《주례》에 이르길 50리마다 시장이 있고 시장에 관이 있었다. 관에는 양식(積)이 있어 사신(朝聘)들이 (여기서) 기다렸다. △생각건대 객관은 손님들이 머무는 곳이다. 오늘날의 혼진야도(本陣宿)이다.[91] 옛날에는 교토 강서(洛西)에 고로관(鴻臚舘, こうろかん, 홍려관)을 세워 중국과 조선의 사신을 머무르게 했다. 지금의 도지(東寺)가 고로관이 있던 곳이다. |
2.29. 廬
[ruby(廬, ruby=はたごや)] |
여관 | ||||
별칭: 篼 馬を飼う籠(篼[구유 두]: 말 먹이를 주는 그릇이다.)/和名・波太古(はたご)、今に旅籠を以て波太古(はたご)と訓す。(일본 명칭은 하타고[はたご]이다. 오늘날에는 旅籠를 하타고라 읽는다.) | |||||
廬奇也舍也周禮十里有廬廬有飮食賓客行道所舍也 △按廬今云旅籠家煮賣家之類又租屋總名曰廬 |
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廬は奇なり、舍なり。周禮に十里に廬有り、廬に飮食有り。[ruby(賓客, ruby=たびびと)][ruby(行道, ruby=みちゆきびと)][ruby(舍, ruby=やど)]る所なり。 △按ずるに、廬は今に云ふ、[ruby(旅, ruby=はた)][ruby(籠, ruby=ご)][ruby(家, ruby=や)]、[ruby(煮, ruby=に)][ruby(賣, ruby=う)]り[ruby(家, ruby=や)]の類、又た[ruby(租, ruby=わら)][ruby(屋, ruby=や)]の總名を廬と曰ふ。 |
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여관(廬)는 의지(奇)하는 것이며 집(舍)이다. 《주례》(周禮)에서 10리마다 여관이 있어 여관에는 음식이 있다. 여행자나 행인이 머무는 곳이다. △생각건대 여관은 오늘날 하타고야(旅籠家), 니우리야(煮賣家) 부류, 와라야(租屋)의 총칭으로 여관이라 한다. |
2.30. 庵
[ruby(庵, ruby=いほ)] 音暗 |
초막 | ||||
별칭: 庵室 [ruby(圜, ruby=まろ)][ruby(屋, ruby=や)](마로야)/草舍/菴庵の本字。隋唐以來、庵に作る。(菴: 庵의 본자이다. 수당 시기 이래로 庵으로 쓴다.)/和名、伊保(いほ, 이오) | |||||
廬[92]和名伊保里租屋總名漢志云在野曰廬田中屋也毛詩云農人作廬以便田事 後撰[93] 秋の田の・かりほの庵の・とまをあらみ・我衣手は・露に濡つつ 天智天皇 [後撰6-302][95] 金葉 夕されば・門田のいなば・音信て・蘆のまろやに・秋風ぞふく 大納言經信 [金葉3-173] |
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廬和名伊保里は[ruby(租, ruby=わら)][ruby(屋, ruby=や)]の總名なり。漢志に云ふ、野に在るを廬と曰ふ。田中の屋なり。毛詩に云ふ、農人、廬を作りて以て田事に便りす。 後撰和歌集 [ruby(秋, ruby=あき)]の[ruby(田, ruby=た)]の・かりほの[ruby(庵, ruby=いほ)]の・とまをあらみ・[ruby(我衣手, ruby=わがころもで)]は・[ruby(露, ruby=つゆ)]に[ruby(濡, ruby=ぬれ)]つつ 天智天皇(626-672) 金葉和歌集 [ruby(夕, ruby=ゆふ)]されば・[ruby(門田, ruby=かどた)]のいなば・[ruby(音信, ruby=おとづれ)]て・蘆のまろやに・[ruby(秋風, ruby=あきかぜ)]ぞふく 大納言經信(1016-1097) |
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초막(廬)일본 명칭 이오리(いほり, 伊保里)은 초가집의 총칭이다. 《한지》(漢志)에 이르길 들에 있는 것을 초막이라 한다. 논밭에 있는 집이다. 《모시》(毛詩)에 이르길 농부는 초막을 만들어 밭일을 편리하게 한다. 고센와카슈 가을 추수 논・짚으로 엮는・초라한 오두막 집・남루한 내 소매가・이슬에 젖는구나 덴지 덴노 긴요와카슈 저녁 되더니・집 앞의 벼 잎사귀・찾아들어와・갈대풀 오두막에・가을 바람만 부네 다이나곤 쓰네노부[97] |
2.31. 守舍
[ruby(守舍, ruby=田のばんや)] |
밭 파수막 | ||||
별칭: 看禾廬、田中之番屋。(간화려(看禾廬)는 밭 가운데의 파수막이다.)[98] | |||||
三才圖會云至其禾迨埀頴而堅栗懼人畜之傷殘縛草田中以爲守舍數尺容膝僅足蔽雨寒夜無眠風霜砭骨此守禾之苦也若於山郷及曠野之地宜高架牀木免有虎狼之患 △按廬乃田圃中假所作小屋也苅禾稻時如有暴雨則急納之也看禾廬乃田圃番屋近山處作之逐猪鹿狼 |
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三才圖會に云ふ、其の禾を[ruby(頴, ruby=ほ)]を埀るるに[ruby(迨, ruby=およ)]ぶに至りて堅く人畜の[ruby(傷殘, ruby=そこな)]はんことを[ruby(栗懼, ruby=おそ)]れ草を縛し田の中に以て[ruby(守舍, ruby=ばんや)]を[ruby(爲, ruby=つく)]り、數尺、膝を[ruby(容, ruby=い)]るる僅かに雨寒を蔽に足れり。夜、眠ること無き、風霜、骨を[ruby(砭, ruby=はり)]す。此れ禾を守るの苦なり。若し山郷、及曠野の地に於びては、宜しく[ruby(架, ruby=たな)]、[ruby(牀, ruby=ゆか)]の木を高すべし。虎狼の[ruby(患, ruby=うれ)]へ有ることを免ずる。 △按ずるに、廬は乃ち田圃の中、假り作る所の小屋なり。禾稻を苅るの時、如し[ruby(暴, ruby=にはか)][ruby(雨, ruby=あめ)]有れば急に之を納るるなり。看禾廬は乃ち田圃の番屋。山に近き處に之を作り猪、鹿、狼を逐ふ。 |
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《삼재도회》(三才圖會)에 이르길 벼의 이삭이 고개를 숙일 때에 이르렀을 때 사람/동물로부터 손상을 입을 것을 염려해 풀을 묶고 밭 사이에 파수막을 만든다. (높이가) 수 척(1m 가량)으로 무릎을 꿇고 간신히 비와 추위를 피할 수 있다. 밤에는 잘 수 없고 바람과 서리가 뼈에 사무친다. 이것이 벼를 지키는 고충이다. 만약 산골이나 넓은 들이라면 마땅히 층과 바닥을 높여야 할 것이다. 범과 이리(虎狼)의 위협을 피할 수 있다. △생각건대 초막은 밭 속에 임시로 세운 작은 집이다. 벼를 수확할 때 만약 폭우가 내리면 급히 벼이삭을 집어넣는다. 간화려(看禾廬)란 바로 밭의 파수막이다. 산 근처에 지어 멧돼지, 사슴, 이리를 내몬다. |
2.32. 亭
[ruby(亭, ruby=あづまや)] 音廷 |
정자 | ||||
별칭: 亭 和名阿婆良也(あばらや, 아바라야)/[ruby(區廬, ruby=ぐろ)] 如字(음독과 같다.)/[ruby(助鋪, ruby=こや)] 和名古夜(こや, 고야)或は比太岐也(ひたきや, 히타키야)と云ふ。 | |||||
道路所舍曰亭釋名云亭人所停集也 區廬 小屋曰區師古曰小庵屋之類故衛士之屋謂之區廬 助鋪 倭名抄云助鋪如衛士屋也 △按自稱亭主者卑下謙退也如呼他主曰亭主誤也 |
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道路舍る所を亭と曰ふ。釋名に云く、亭は人の[ruby(停, ruby=とど)]まり集る所なり。 [ruby(區廬, ruby=くろ)]は小屋を區と曰ふ。師古が曰く小き庵屋の類なり。故に衛士の屋、之を區廬と謂ふ。 [ruby(助鋪, ruby=ひたきや)] 倭名抄に云ふ、助鋪は衛士の屋の如し。 △按ずるに、自づから[ruby(亭主, ruby=ていしゅ)]と[ruby(稱, ruby=なの)]る者、卑下謙退なり。如し他の[ruby(主, ruby=あるじ)]を呼んで亭主と曰はば誤なり。 |
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길가에 있는 집을 정자라 한다. 《석명》(釋名)에 이르길 정자는 사람이 머물고 모이는 곳이다.
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2.33. 坊
[ruby(坊, ruby=まち)] 音庭 |
마을 | ||||
별칭: 坊、和名、萬知(まち)。町は音、庭。俗に萬知(まち)と訓す。(방(坊)은 일본에서 ‘마치’라고 훈독한다. 정(町)의 한자 음은 정(庭)이다. 세간에서는 ‘마치’라고 훈독한다.) | |||||
坊者村坊也說文云坊邑里之名 町田區畔埒也 △按今多用町字訓萬知用坊字代房字竟難改 京有九條每條有四坊一坊內有十六町一町內有四行一行內有八門凡坊七十二坊町合千二百十六町 |
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坊は村坊なり。說文に云ふ、坊は邑里の名なり。町は田[ruby(區, ruby=まち)]々の[ruby(畔埒, ruby=あぜ)]なり。 △按ずるに、今に多く町の字を用ゐて萬知と訓す。坊の字を用ゐて房の字を代ふ。竟に改め難し。 京に九條有り、條每に四坊有り。一坊の內に十六の町有り、一町の內に四行有り。一行の內に八門有り。凡そ坊七十二坊、町合せて千二百十六町 |
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방(坊)이란 마을이다. 《설문해자》(說文解字)에 이르길 방(坊)은 마을(邑里)들의 명칭이었다. 정(町)은 논밭 곳곳의 밭두렁을 뜻했다. △생각건대 오늘날에는 많은 경우 町자를 마치(まち)라고 훈독한다. 坊자는 房자를 대신한다. 실로 고치기 어렵다. 교토에는 9개의 조(條)가 있고 조마다 4개의 방(坊)이 있다. 1개 방 안에 16개 정(町)이 있고 1개 정 안에 4개의 행(行)이 있다. 1개 행 안에 8개 문(門)이 있다. 대략 72방, 1216정이다. |
2.34. 黌[99]
[ruby(黌, ruby=まなびどころ)] |
학교 | ||||
별칭: 黌、學舍也。精舍、[ruby(書齋,ruby=てならひどころ)]也。俗に云ふに、天良(てら)。鷄窓、讀書齋。(횡(黌)이란 학사(學舍)이다. 정사(精舍)란 글을 배우는 곳이다. 세간에서는 ‘데라’라고 한다. 계창(鷄窓)이란 독서재(讀書齋)이다.) | |||||
讀書齋 三才圖會云漢宣帝齋居決事此齋名之起也又晉大和年中立小屋讀書百姓于今呼曰讀書齋 鷄窓 讀書舍也宋處宋常買一長鳴鷄著窓間後鷄作人語與處宗談論終日不輟處宗因此功業大進 精舍 凡稱書齋爲精舍後漢劉淑立精舍晉謝靈運之石壁精舍宋朱文公之武夷精舍之類是也 △按集民間子女令習書筆家稱寺是乃與精舍同義乎 學校 後漢獻帝建安元年荊州刺史劉表建學校作雅樂而後歷代立之南宋高宗帝紹興十二年春勅諸國修理學校 仁明天皇朝小野篁建學校於下野足利 |
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讀書齋は三才圖會に云ふ、漢の宣帝、齋に居て事を決す。此れ齋の名の起なり。又た晉の大和年中に小屋を立てて書を讀ましむ。百姓、今に呼んで讀書齋と曰ふ。 鷄窓は讀書の舍なり。宋の處宗、常に一の長鳴鷄を買て窓の間に著く。後に鷄、人の語を作なして處宗と與に談論すること[ruby(終日, ruby=ひねもそ)][ruby(輟, ruby=や)]まず。處宗、此れに因りて功業、大に進む。 精舍 凡そ書齋を稱して精舍とす。後漢の劉淑、精舍を立つ。晉の謝靈運の石壁精舍、宋朱の文公の武夷精舍の類、是れなり。 △按ずるに、民間の子女を集りて書筆を習はしむる家を寺と稱す。是れ乃ち[ruby(精舍, ruby=てら)]と義を同するか。 [ruby(學校, ruby=がくかう)] 後漢の獻帝建安元年荊州の刺史・劉表、學校を建てて雅樂を[ruby(作, ruby=な)]す。而して後歷代、之を立つ。南宋の高宗帝紹興十二年春諸國の勅して學校を修理せしむ。 仁明天皇の朝、小野の篁、學校を下野の足利に建つ。 |
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2.35. 關
[ruby(關, ruby=せき)] 音瘝 |
관 | ||||
별칭: 關門: 和名世岐度(せきと)/防人: 世岐毛利(せきもり) | |||||
關閉也塞也要會處也在境所以察出禦入也漢都長安東有函谷關南有嶢關武關西有散關北有蕭關 日本紀孝德天皇二年始置幾內國司郡司關塞片候防人驛馬傳馬及造鈴契定山河蓋關於此始也古所謂三關 勢多江州 鈴鹿勢州 不破濃州 堀川百首[102] かふ坂のせき守出てみよ馬屋傳ひの鈴聞ゆ也 |
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關は閉なり、塞なり、要會の處なり。境に在りて以て出るを察し入りを[ruby(禦, ruby=ふせ)]ぐ所なり。漢の都・長安の東に函谷關有り、南に嶢關、武關有り、西に散關有り、北に蕭關有り。 日本紀に孝德の天皇二年、始めて幾內國司、郡司、關塞、[ruby(片候, ruby=やかた)]、[ruby(防人, ruby=せきもり)]、驛馬、傳馬、及造鈴[ruby(契, ruby=しるし)]を置きて山河を定む。蓋し關は此れより始まる。古へ所謂る三關は 勢多江州 鈴鹿勢州 不破濃州 堀川百首 かふ坂のせき守出てみよ馬屋傳ひの鈴聞ゆ也 |
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관(關)이란 닫고(閉) 막는(塞) 것이다. 요충지에 있는 것이다. 국경에 자리하면서 나가는 이를 살피고 들어오는 이를 막는 곳이다. 한나라의 수도
장안의 동쪽에는
함곡관(函谷關)이, 남쪽에는 요관(嶢關)과 무관(武關)이, 서쪽에는 산관(散關)이, 북쪽에는 소관(蕭關)이 있다. 《일본서기》(日本書紀)에 고토쿠 천황(孝德天皇) 2년(646년) 처음 기나이(幾內) 국사(國司), 군사(郡司), 관새(關塞), 초소(片候), 문지기(防人), 역마(驛馬), 전마(傳馬), 그리고 영(鈴)과 계(契)를 설치하고 산하의 구획을 정했다.[日本-卷25:孝德] 대체로 이때부터 관이 만들어졌다. 예로부터 이르는 3관(三關)은 세타(勢多)오미(近江), 스즈카(鈴鹿)이세(伊勢), 후와(不破)미노(美濃)이다.[104] 호리카와햐쿠슈 일본 시 |
2.36. 驛舍
[ruby(驛舍, ruby=うまやど)] イシヱ、(yìshě) |
역참 | ||||
별칭: 和名無末夜(むまや, 무마야)[105] | |||||
驛音亦 遞馬也唐令云諸道須置驛者每三十里一驛若地勢險阻及無水草處隨綠置之度遠近置故名置驛 郵音由 境上行書舍也 △按馬傳曰驛步傳曰郵俗曰道中問屋遞人足以便急用 續日本記云元明天皇和銅四年始置都亭驛 山州岡田同山本 河州楠葉 攝州大原同殖村 伊賀新家 以上驛始也唐三十里當日本五里許 古狀 あつまちのむまやまやをかろへつつあふみのちかく成そ嬉しき |
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驛音亦 馬を[ruby(遞, ruby=か)]ふるなり。唐令に云ふ、諸道に置驛を[ruby(須, ruby=もち)]ふる者、每三十里に一驛。若し地勢、[ruby(險阻, ruby=けんそ)]なるか、及び水草無き處には綠に隨て之を置く。遠近を[ruby(度, ruby=はか)]りて置く。故に置驛と名づく。 [ruby(郵, ruby=とひや)]音由 境上行書の舍なり。 △按ずるに、馬傳を驛と曰ひ、步傳を郵と曰ふ。俗に曰ふ、道中問屋人足を[ruby(遞, ruby=かへ)]て以て急用に便りす。 續日本記に云ふ、元明天皇の和銅・四年に始めて都亭の驛を置く。 山州の岡田、同く山本 河州の[ruby(楠, ruby=くす)][ruby(葉, ruby=ば)] 攝州の大原、同く殖村 伊賀の新家 以上、驛の始なり。唐三十里、日本五里許りに當る。 古狀揃 あつまちのむまやまやをかろへつつあふみのちかく成そ嬉しき |
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역(驛)[음 亦(역)]은 말을 바꾸는 곳이다. 《당령》(唐令)에 이르길 각지 도로에 역을 설치할 때에는 30리마다 1개이다. 만약 지형이 험하거나 물과 풀이 없는 곳은 상황에 따라 역을 설치한다. 거리를 재가며 짓는다. 이를 치역(置驛)이라 한다.
《속일본기》(續日本記)에 이르길 겐메이 천황(元明天皇) 와도(和銅) 4년(711년)에 처음 도테이(都亭) 역을 설치했다. 야마시로(山城) 오카다(岡田), 야마모토(山本), 가와치(河内) 구스바(楠葉), 셋쓰(摂津) 오하라(大原) 동 지역의 우에무라(殖村), 이가(伊賀)의 니노미(新家). 이상은 역이 처음 설치된 곳이다. 당나라의 30리는 일본에서는 5리 가량에 해당한다. 고조소로에[106] 일본 시 |
2.37. 廚
[ruby(廚, ruby=くりや)] 音儔 |
부엌 | ||||
별칭: 厨同(厨도 동자이다)/和名久利夜(くりや)/廚は本音除(제)广に从ひ壴に从ふ。寸に从ふ。俗に厨に作るは誤りなり。(广, 壴, 寸가 쓰이며 세간에서 厨라 쓰는 것은 틀린 것이다.) | |||||
廚卽庖屋也斷理魚鳥者謂之庖丁抱長之二反[倭名抄10] △按庖宰殺之所俗云料理所廚烹飪之所 |
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廚は卽ち[ruby(庖屋, ruby=くりや)]なり。魚、鳥を斷理する者、之を庖丁と謂ふ。抱長の二反 △按ずるに、庖は宰殺する所なり。俗云料理所廚は烹飪の所なり。 |
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주방(廚房)란 곧 부엌이다. 물고기, 새를 자르는 것을 포정(庖丁, ほうちょう)抱長라고도 한다.라고 한다. △생각건대 포(庖)는 죽여서 잡는 곳이다. 세간에서는 요리소(料理所)라 한다. 주(廚)는 삶고 지지는 곳이다. |
2.38. 浴室
[108][ruby(浴室, ruby=ゆや)] ヨツシツ(yùshì) |
욕실 | ||||
별칭: | |||||
倭名抄云內典有溫室經溫室即浴室也 △按世俗浴湯間如聞鐘撞聲則以爲不祥 拾芥抄咒[109]歌 今宵鐘・つかざるさきに・ゆあみよと・みみつまなくに・いひせしものを 谷響集云諸寺浴室多掛跋陀婆羅畫像跋陀婆羅此云賢護王舍城出家菩薩也彼菩薩乃住過去於浴室中忽悟水因故證觸因圓通見楞嚴經 |
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倭名抄に云ふ、內典に溫室經有り。溫室は即ち浴室なり。 △按ずるに、世俗に浴湯の間、如し鐘[ruby(撞, ruby=つ)]く聲を聞けば以て不祥なりとす。 拾芥抄咒歌 今宵鐘・つかざるさきに・ゆあみよと・みみつまなくに・いひせしものを 谷響集に云ふ、諸寺の浴室に多く跋陀婆羅の畫像を掛く。跋陀婆羅は此云賢護王舍城、出家の菩薩なり。彼の菩薩は乃ち過去に住しとき浴室中に於て忽ち水因を[ruby(悟, ruby=さと)]る。故に觸因、圓通を證す。楞嚴經に見る |
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《화명류취초》(和名類聚抄)에 이르길 불경[110]에 온실경(溫室經)이 있다. 온실이란 곧 욕실이다. △생각건대 세간에서 욕탕에서는 만약 종소리를 들으면 좋지 않다고 한다. 슈가이쇼-주가(呪歌) 일본 시 《곡향집》(谷響集)에 이르길 절의 욕실에는 발타바라(跋陀婆羅)의 그림이 붙어있다. 발타바라는 현호(賢護)라고도 한다 왕사성(王舍城)에서 출가한 보살이다. 그 보살은 과거에 살아있을 때 욕실에서 홀연히 수인(水因)을 깨달았다. 때문에 촉인(觸因)과 원통(圓通)을 증득(證得)했다. 능엄경(楞嚴經)을 보라 |
2.39. 廁
[111][ruby(廁, ruby=かはや)] ツア、(cè) |
뒷간 | ||||
별칭: | |||||
說文徐氏云厠古謂之淸言以其不潔常當淸除之也 白澤圖云厠之精名倚著靑衣持白杖知其名呼之者除不知其名呼之則死又云築室三年不居其中見人則掩面見之有福 居家必用云廁神姓廓名登是庭天飛騎大殺將軍不可觸犯能賜灾禍 五雜組云今大江以北人家不復作厠矣但江南作厠皆以與農夫交易也江北無水田故糞無所用俟其地上乾然後和土以漑田京師則停溝中俟春而後發之暴[112]日中其穢氣不可近 |
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說文に徐氏が云ふ、厠古へ之を淸と謂ふ。言は其の不潔、常に當に淸く之を除くべきを以てなり。 白澤圖に云ふ、厠の精を倚と名づく。靑衣を著き白き杖を持つ。其の名を知りて之を呼べば除く。其の名を知らずして之を呼べば死す。又た云ふ、室を築きて三年、其の中に居らざる人を見るときは面を掩ひ之を見れば福有り。 居家必用に云ふ、廁の神姓廓名は登。是れ庭天飛騎大殺將軍、觸犯すべからず。能く灾禍を賜ふ。 五雜組に云ふ、今に大江より以て北の人家、復た厠を作らず。但し江南に厠を作て皆な以て農夫と與に交易すればなり。江北には水田無き故に糞、用ゐる所無し。其の地上、乾くを俟ち然して後、土に和して以て田に[ruby(漑, ruby=そそ)]ぐ。[ruby(京師, ruby=みやこ)]には溝の中に[ruby(停, ruby=とど)]めて春を[ruby(俟, ruby=ま)]ちて後、之を發し日中に暴らす。其の穢氣、近づくべからず。 |
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《설문해자》(說文解字)에서 서씨(徐氏)가 이르길 뒷간(厠)을 과거에는 청(淸)이라 했다. 뒷간이란 늘 불결하기에 항상 깨끗하게 청소해야 하기 때문이다. 《백택도》(白澤圖)에 이르길 뒷간의 신을 기(倚)라 한다. 푸른 옷을 입고 하얀 지팡이를 갖고 있다. 그 이름을 알고 부르면 사라진다. 그 이름을 모르고 부르면 죽는다. 또다른 이야기로 방을 만들고 3년간 그 안에 있지 않은 사람을 볼 때에는 얼굴을 가리고 보면 복이 있다고 한다. 《거가필용》(居家必用)에 이르길 뒷간신은 성이 곽(郭)이며 이름이 등(登)이다. 이는 정천비기 대살장군(庭天飛騎大殺將軍)으로 범접할 수 없다. 흉재가 내리기 쉽다. 《오잡조》(五雜組)에 이르길 오늘날 장강(長江) 이북 사람들은 뒷간을 짓지 않는다. 강남 사람들이 뒷간을 짓는 것은 농부와 교역하기 위함이다. 강북에는 논이 없어 분뇨를 활용할 곳이 없다. 땅이 건조해지길 기다렸다가 흙과 섞어 밭에 뿌린다. 수도에서는 도랑에 묻어놨다가 봄이 되면 꺼내 햇볕에 말린다. 그 더러운 기운이 심해 다가가기 어렵다. |
2.40. 㢏
[ruby(㢏, ruby=おかは)] 音頭 |
요강 | ||||
별칭: | |||||
㢏行圊也受糞函也俗云御厠於加波圓㢏未[113]留 △按今小兒及病人用㢏婢女呼之曰御厠多以圓器故名圓盍有鈕小方木鎩八隅暗探亦易知 |
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㢏は行圊なり。糞を受る[ruby(函, ruby=はこ)]なり。俗に云ふ、[ruby(御, ruby=お)][ruby(厠, ruby=かは)]於加波[ruby(圓㢏, ruby=まる)]未留 △按ずるに、今に小兒、及病人、㢏を用ふ。婢女、之を呼んで[ruby(御, ruby=お)][ruby(厠, ruby=かは)]と曰ふ。多くは圓き器を以てす。故に[ruby(圓, ruby=まる)]と[ruby(盍, ruby=ふた)]に名づく。[ruby(鈕, ruby=つまみ)]有り、小方木、八隅を[ruby(鎩, ruby=そ)]いで暗に[ruby(探, ruby=さぐ)]りても知れ易し。 |
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요강(㢏)이란 가지고 다니는 변기(行圊)이다. 똥을 받는 그릇이다. 세간에서 이르길 오카와(おかわ, 御厠), 마루(まる, 圓㢏)라 한다. △생각건대 오늘날에는 어린이, 환자가 요강을 쓴다. 여자 종들은 이것을 오카와라 한다. 대부분은 둥근 그릇을 쓰기에 마루후타[114]라 한다. 손잡이가 있으며 소방목의 여덟 모퉁이가 깎여있어 어둠 속에서 찾아도 알기 쉽다. |
2.41. 廄
[ruby(廄, ruby=むまや)] キウ(jiù)・音救 |
마구간 | ||||
별칭: 廐同(廐도 같은 글자이다.) | |||||
釋名云廄生馬之所聚也本綱繫獮猴於廄辟馬病據此今人畵獮猴狀以粘廄 | |||||
釋名に云ふ、廄は生馬の聚まる所なり。本綱にいふ、[ruby(獮猴, ruby=さる)]を[ruby(繫, ruby=つな)]ぎて於て廄に馬の病を辟さぐ。此の據て今の人、獮猴の狀を[ruby(畵, ruby=ゑが)]きて以て廄に粘ばる。 | |||||
《석명》(釋名)에 이르길 마구간(廄)이란 말이 모인 곳이다. 《본초강목》(本草綱目)에 이르길 원숭이를 곁에 둠으로써 마구간에 말의 질병을 막는다 하였다. 이런 전거로 인하여 오늘날 사람들은 원숭이 모양을 그려 마구간에 붙인다. |
2.42. 𢇥[⿸广卆]
[⿸广卆][ruby(𢇥, ruby=はいべや)] スイ(suì)・音遂 |
잿간 | ||||
별칭: | |||||
𢇥[⿸广卆] 字彙云灰集屋也 △按農家每以稈䅌等爲萩故灰多貯之爲田糞 |
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𢇥[⿸广卆]は字彙に云ふ、灰を集る屋なり。 △按ずるに、農家、每に[ruby(稈, ruby=わら)]、[ruby(䅌, ruby=むぎわら)]等を以て薪とす。故に灰多し。之を[ruby(貯, ruby=たくは)]へて田の[ruby(糞, ruby=こえ)]とす。 |
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잿간(𢇥[⿸广卆])은 《자휘》(字彙)에 이르길 재를 모으는 곳이다. △생각건대 농가에서는 항상 볏짚, 보릿짚 등을 모아 땔감으로 쓴다. 때문에 재가 많다. 이걸 모아 밭의 거름으로 쓴다. |
2.43. 牢獄
[120][ruby(牢獄, ruby=ろうごく)] ラ。ウヨツ(láoyù) |
감옥 | ||||
별칭: 夏臺(하대)夏代(하나라)/羑里(유리)商代(상나라)/囹圄(영어)周代(주나라)/和名比止夜(ひとや, 히토야) | |||||
風俗通云牢獄三王時有之或云皐陶始作之蓋所以拘罪人也牢本牛屋字故从牛獄从二犬所以守也 | |||||
風俗通に云く、牢獄は三王の時より之有り。或は云ふ、皐陶、始めて之を作る。蓋し罪人を[ruby(拘, ruby=とら)]ふる所以てなり。牢は本々[ruby(牛屋, ruby=うしべや)]の字なり。故に牛に从ふ。獄は二犬に从ふ。守る所以てなり。 | |||||
《풍속통》(風俗通)에 이르길 감옥은 삼왕(三王) 시기부터 있었다. 혹은 고요(皐陶)[121]가 처음 만들었다 한다. 대체로 죄인을 붙잡는 장소로 쓰인다. 牢(우리 뢰)자는 본래 소 우리를 뜻했다. 때문에 牛(소 우)자가 들어갔다. 獄(감옥 옥)자에는 犬자가 2개 쓰인다. 지키는 곳이기 때문이다. |
3. 가택지용
가택지용家宅之用 |
3.1. 棟
[ruby(棟, ruby=むね)] トン(dòng)・音東 |
마룻대 [마룻대 동] |
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별칭: 檼音隱/桴音孚/[ruby(甍, ruby=いらか)]音萌 | |||||
棟屋脊柱也 甍在上覆蒙屋所也徐鍇曰所以承瓦故上从⿱艹亅[122]从瓦俗从廾誤 夫木 あれはてて・棟まはらなる・山里は・ちる紅葉を・床にこそしけ 俊賴[夫木-14914] |
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棟は[ruby(屋, ruby=やね)]の[ruby(脊, ruby=せぼね)]の[ruby(柱, ruby=はしら)]なり。甍は上に在りて屋を[ruby(覆蒙, ruby=おほふ)]所なり。徐鍇が曰く、瓦を承る所以てなり。故に上、⿱艹亅に从ひ、瓦に从ふ。俗に廾に从ふは誤りなり。 夫木和歌抄 あれはてて・棟まはらなる・山里は・ちる紅葉を・床にこそしけ 源俊賴(1055-1129) |
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마룻대(棟)는 지붕의 등뼈가 되는 기둥이다. 용마루(甍)는 상부에 지붕을 덮는 것이다. 서개(徐鍇, 920-974)[124]가 이르길 기와를 올리는 곳이다. 때문에 (甍라는 글자는) 위에 ⿱艹亅를 쓰고 瓦를 쓴다.[125] 세간에서 廾를 쓰는 것은 잘못된 것이다. 후모쿠와카쇼 일본 시 미나모토노 도시요리 |
3.2. 檐
[ruby(檐, ruby=のき)] 音鹽 |
처마 [처마 첨] |
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별칭: 檐、簷、橺[126]、並同字。 | |||||
檐屋簷也 宇屋四方埀所釋名云宇羽也如鳥羽翼自覆蔽也 飛簷棟頭頭似鳥翅舒將飛之狀 △按飛簷堂殿之屋二重椽而上延下縮四隅彎起狀如鳥翅 |
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檐は屋の[ruby(簷, ruby=のき)]なり。宇は屋の四方へ埀る所。釋名に云ふ、宇は羽なり。鳥の羽翼、[ruby(自, ruby=おの)]づから覆蔽するが如し。飛簷は棟頭。頭、鳥の翅、舒べて將に飛んとす狀に似たり。 △按ずるに、[ruby(飛, ruby=ひ)][ruby(簷, ruby=ゑん)]は堂殿の[ruby(屋, ruby=やね)]。二重[ruby(椽, ruby=たるき)]にして上は[ruby(延, ruby=の)]び下は[ruby(縮, ruby=ちぢ)]まり四隅、[ruby(彎, ruby=そ)]り[ruby(起, ruby=を)]こる狀を鳥翅の如し。 |
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첨(檐)이란 지붕의 처마이다. 우(宇)란 지붕이 사방으로 처지는 곳이다. 《석명》에 이르길 우(宇)란 우(羽, 깃 우)이다. 새의 깃이 스스로 덮는 것과 같다. 비첨(飛簷)이란 마룻대의 머리이다. 머리가 새의 날개가 펼쳐져 날아오르는 모양을 하는 것과 닮았다. △생각건대 비첨은 당(堂)과 전(殿)의 지붕이다. 이중서까래(二重椽)로 되어 있어서 위는 뻗고 아래는 움츠러들어있으며 네 구석은 휘어졌다가 솟는 것이 새의 날개와 같다. |
3.3. 柱
[ruby(柱, ruby=はしら)] 音注 |
기둥 [기둥 주] |
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별칭: [ruby(楹, ruby=はしら)](기둥 영)音盈(영)/[ruby(束, ruby=つか)][ruby(柱, ruby=ばしら)]: 短柱なり。(짧은 기둥이다.) | |||||
△按柱土佐檜最良尾州木曾檜次之日向佐渡原肥松同栂柱亦佳唯嫰松柱不可用値濕則易𣏓[127]生螱[128]如殿樓伽藍以欅爲良九州之産佳 檣 帆柱出於奧州南部羽州秋田杉或柀爲良 檫俗云知夜岐里木 用杉或檜不拘枘桄戴九輪每隨風微動塔一異也 夫木 けさみれば・木曾のふせやの・竹柱・たわむ計に・雪降にけり 喜多院入道[夫木-14397] 凡木曾路絶無竹不可有竹柱此歌未審 |
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△按ずるに、柱は土佐の[ruby(檜, ruby=ひのき)]、最も良し。尾州・[ruby(木曾, ruby=きそ)]の檜、之に次ぐ。日向の佐渡原の肥松、同[ruby(栂, ruby=とが)]の柱、亦た佳しとなり。唯だ[ruby(嫰, ruby=わか)]き松の柱、用ふべからず。濕に[ruby(値, ruby=あ)]ふときは𣏓ち易して[ruby(螱, ruby=はり)][130]を生す。殿樓、伽藍の如し。[ruby(欅, ruby=けやき)]を以て良とす。九州の産、佳しとなり。 [ruby(檣, ruby=ほばしら)] 帆柱、奧州の南部、羽州の秋田より出づ。杉、或は[ruby(柀, ruby=まき)]を良しとす。 [ruby(檫, ruby=しんばしら)]俗云知夜岐里木 杉、或は檜を用ふ。[ruby(枘桄, ruby=ほぞぬき)]に[ruby(拘, ruby=かか)]わらず九輪を[ruby(戴, ruby=いただ)]き每に風に隨て微に動く。塔の一異なり。 夫木和歌抄 けさみれば・[ruby(木曾, ruby=きそ)]のふせやの・[ruby(竹柱, ruby=たけばしら)]・たわむ[ruby(計, ruby=はかり)]に・[ruby(雪降, ruby=ゆきふり)]にけり 喜多院入道(1150-1202)[131] 凡そ木曾、路に絶て竹無し。竹柱、有るべからず。此の歌、[ruby(未審, ruby=いぶか)]し。 |
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△생각건대 기둥은 도사(土佐)의 노송나무(檜, 히노끼)가 제일 좋다. 오와리(尾張) 기소(木曾)의 노송나무가 그 뒤를 잇는다. 휴가(日向) 사도와라(佐渡原)의 비송(肥松), 솔송나무(栂) 또한 좋다고 한다. 단, 어린 소나무의 기둥은 쓸 수 없다. 습기와 닿으면 썩기 쉽고 흰개미가 생긴다. 규슈(九州)산이 좋다고 한다.
대체로 기소 지방에는 대나무가 없기에 대나무 기둥이 있을 수 없다. 이 노래는 미심쩍다. |
3.4. 梁
[ruby(梁, ruby=うつばり)] |
들보 | ||||
별칭: | |||||
屋脊柱曰棟負其棟者曰梁 梁上柱曰栭 梁上柱侏儒曰梲論語䟽云藻梲者畵梁上侏儒柱爲藻文也[論語5-18] | |||||
[ruby(屋脊, ruby=やね)]の柱を[ruby(棟, ruby=むなぎ)]と曰ひ、其の棟を負ふ者を梁と曰ふ。梁の上の柱を栭と曰ふ。梁の上の柱の侏儒を[ruby(梲, ruby=うだち)]と曰ふ。論語の䟽に云く、梲に[ruby(藻, ruby=ゑが)]けるとは梁の上の侏儒の柱に[ruby(畵, ruby=ゑが)]きて藻文を[ruby(爲, ruby=な)]す。 | |||||
지붕의 기둥을 마룻대라 하고, 그 마룻대를 받치는 것을 들보라 한다. 들보 위의 기둥을 대공(栭, たたりかた)[135]이라 한다. 들보 위 짧은 기둥 부분을 동자기둥(梲)라 한다. 《논어》(論語)의 소(䟽)에 이르길 동자기둥에 그림을 그릴 때에는 들보 위 짧은 기둥에 그려 수초 무늬를 넣었다. |
3.5. 枓
[ruby(枓, ruby=ますがた)] |
주두(柱枓) | ||||
별칭: | |||||
枓柱上方木也 枅肱木承衡木柱上橫木承棟者橫之似笄故从幵 | |||||
[ruby(枓, ruby=ますがた)]は柱の上、方なる木なり。[ruby(枅, ruby=ひぢき)]肱木は[ruby(衡, ruby=けた)]を承る木なり。柱の上橫木、棟を承る者、之を橫へて[ruby(笄, ruby=かんざし)]に似る故に幵に从ふ。 | |||||
주두(柱枓)는 기둥 위의 네모난 나무이다. 장여히지키, 枅 혹은 肱木라 적음는 도리를 받치는 나무이다. 기둥의 상횡목(上橫木)과 마룻대를 이어주는 것이다. 이것을 걸친 것이 비녀(笄)를 닮았기 때문에 (枅에) 幵가 들어간다. |
3.6. 桁
[ruby(桁, ruby=けた)] |
도리 | ||||
별칭: | |||||
桁屋橫木也 △按檐端橫於四邊者名檐桁在棟木與檐桁之間者名母屋桁堂檐桁圓者名丸桁橋桁名行桁 |
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桁は屋の橫木なり。 △按ずるに、檐の端、四邊に橫たふ者を[ruby(檐桁, ruby=のきげた)]と名づく。棟木と檐桁との間に在る者を[ruby(母, ruby=も)][ruby(屋, ruby=や)][ruby(桁, ruby=げた)]と名づく。堂の檐桁、圓き者を[ruby(丸, ruby=ぐわん)][ruby(桁, ruby=ぎゃう)]と名づく。橋の桁を[ruby(行, ruby=ゆ)]き[ruby(桁, ruby=げた)]と名づく。 |
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도리란 지붕의 횡목이다. △생각건대 처마의 끝, 네 변에 걸치는 것을 처마도리(檐桁)라 한다. 마룻대와 처마도리 사이에 있는 것을 중도리(母屋桁) #[136]라 한다. 건물의 처마도리 중 둥근 것을 굴도리(丸桁)[137][138] 다리의 도리를 유키게타(行桁, "교각도리")라 한다. |
3.7. 欄額
[ruby(欄額, ruby=ぬき)] |
누키 | ||||
별칭: | |||||
△按凡家柱鑿孔貫橫木縫總柱者曰欄額假令柱如經線欄額如緯絲故曰沼岐家爲之固 | |||||
△按ずるに、凡そ家の柱に孔を[ruby(鑿, ruby=ゑ)]り[139]橫木を貫て總柱を縫ふ者を欄額と曰ふ。假令ば柱は[ruby(經線, ruby=たていと)]の如く欄額は[ruby(緯絲, ruby=ぬきいと)]の如し。故に沼岐と曰ふ家、之が爲めに固し。 | |||||
△생각건대 집 기둥에 구멍을 뚫어 가로로 된 나무를 꽂아 기둥에 엮는 것을 누키(欄額)라 한다. #[140] 예를 들면 기둥은 날실과 같고 누키는 씨실과 같다. 때문에 (일본어로 씨실을 뜻하는) 누키라 한다. 이것으로 인해 (집이) 견고해진다. |
3.8. 長押
[ruby(長押, ruby=なげし)] |
나게시 | ||||
별칭: | |||||
長押見本朝式及功程式等 △按長押在鴨居之上橫木也近年令禁民家作長押 |
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長押、本朝式、及び功程式等に見たり。 △按ずるに、長押は鴨居の上に在る橫木なり。近年、民家に長押を作るを禁せしむ。 |
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나게시(長押)[141][142]는 일본 건축(本朝式), 혹은 공정식(功程式)에서 볼 수 있다. △생각건대 나게시는 윗문틀(鴨居)[143] 위에 있는 가로로 된 나무이다. 오늘날 민가에서는 나게시를 만드는 것을 금하고 있다. |
3.9. 天井
[ruby(天井, ruby=てんじゃう)] |
천장 | ||||
별칭: | |||||
風俗通云殿舍作天井以菱藻水中物厭火災也 陳負公秘笈云屋棟之間爲井形而加水藻之飾所以厭火災也故靈光殿賦圓淵方井反槇[144]荷渠也[靈光殿賦] |
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風俗通に云く、殿舍に天井を作るに菱藻、水中の物を以て火災を[ruby(厭, ruby=いと)]う。 陳負公の秘笈に云く、[ruby(屋棟, ruby=やね)]の間、井の形をし、水藻の飾りを加ふ。以て火災を厭ふ所なり。故に靈光殿の賦に圓き淵、方なる井、反槇荷渠といへり。 |
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《풍속통》(風俗通)에 이르길 전각의 천장을 만들 때 마름류(菱藻) 등의 수중 생물을 그려 화재를 피했다고 한다. 진부공(陳負公)의 비급(秘笈)에 이르길 지붕 사이에 우물 모양을 내고 수초 장식을 더했다. 이로써 화재를 피할 수 있었다. 따라서 《영광전》(靈光殿)의 부(賦)에 이르길 둥근 연못과 각진 우물을 "길다란 나무 틀, 개천의 연꽃"(反槇荷渠)이라 했다. |
3.10. 榱
[ruby(榱, ruby=たるき)] |
서까래 | ||||
별칭: | |||||
釋名云榱在檼旁下埀者也說文秦謂之椽周謂之榱齊魯謂之桷 又云桷椽之方者也爾雅注榱謂之桷以金壁飾璫璫者椽端也 △按椽大抵可方三寸也雖有大小總名三寸如板屋草屋者多用丸木或竹今堂多用藤黃換金塗榱耑 |
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釋名に云く、榱は[ruby(檼, ruby=むなぎ)]の旁の下に在り、埀るる者なり。說文、秦には之を椽と謂ひ周には之を榱と謂ひ、齊、魯には之を桷と謂ふ。又た云く、桷は椽の方なる者なり。爾雅の注に榱、之を桷と謂ふ。金壁を以て[ruby(璫, ruby=こじり)]を飾る。璫とは椽の[ruby(端, ruby=はな)]なり。 △按ずるに、椽は大抵、方三寸[ruby(可, ruby=ばか)]りなり。大小有りといえども、[ruby(總, ruby=すべ)]て三寸と名づく。板屋、草屋の如きは多くは丸木、或は竹を用ふ。今の堂には多く[ruby(藤, ruby=き)][ruby(黃, ruby=わう)]を用ゐて金に[ruby(換, ruby=か)]へて榱の[ruby(耑, ruby=はな)]を塗る。 |
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《석명》에 이르길 서까래(榱)란 마룻대(檼) 옆과 아래에 늘어뜨려진 나무이다.[146] 《설문해자》(說文解字)에서 진나라(秦) 시기에는 이를 연(椽)이라 하고 주나라(周) 시기에는 최(榱)라 했으며 제나라(齊), 노나라(魯)는 각(桷)이라 했다. 다른 의견으로 각(桷)은 연(椽) 중 각진 것을 가리켰다. 《이아》(爾雅)의 주석에 이르길 최(榱)를 각(桷)이라 했다. 금벽(金壁)으로 고지리(璫)를 장식했다. 고지리란 서까래의 끝이다.[147] △생각건대 서까래는 대체로 폭이 3치(약 9cm) 정도이다. 크기 차가 있다곤 해도 모두 3치라고 여긴다. 나무집, 초가집 같은 것은 대부분 통나무 혹은 대나무를 쓴다. 오늘날의 당(堂)에는 등황(藤黃)[148]으로 금을 붙여 서까래 끝을 칠한다.[149] |
3.11. 博風
[ruby(博風, ruby=はふ)] フンプヲン(bófēng) |
박공(牔栱) | ||||
별칭: | |||||
△按搏風棟耑向表處圓彎者名唐搏風梁行檐出尖棟者[150]名障泥大棟肩倚小棟者名鴴懸魚下格子名狐 蟇股 似蝦蟇股附於搏風下蓋多此檐桁棟桁之束也 |
|||||
△按ずるに、搏風は棟の[ruby(耑, ruby=はな)]。表に向ふ處なり。圓く[ruby(彎, ruby=そ)]りたる者を唐搏風と名づく。[ruby(梁, ruby=はり)]行の檐に[ruby(尖, ruby=とが)]りたる棟出す者を[ruby(障泥, ruby=あをり)]と名づく。大棟の肩に小棟を[ruby(倚, ruby=よ)]せかくる者を鴴と名づく。[ruby(懸魚, ruby=げぎょ)]の下の格子を狐と名づ。 [ruby(蟇, ruby=かへる)][ruby(股, ruby=また)]は[ruby(蝦蟇, ruby=かえる)]の[ruby(股, ruby=もも)]に似たり。搏風の下に附く。蓋し多くは此の檐桁、棟桁の[ruby(束, ruby=つか)]なり。 |
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△생각건대 박공(搏風, 하후)이란 마룻대의 끝으로 밖에 드러나는 부분이다. 둥글게 휜 것을 가라하후(唐搏風)라 한다. 보 방향의 처마에 뾰족한 마룻대를 낸 것을 아오리(障泥)라 한다.[151] 큰 마룻대에 옆으로 작은 마룻대를 낸 것을 지도리하후(鴴搏風)라 한다.[152] 현어 밑의 격자를 기쓰네(狐)[153][154]라 한다. |
3.12. 懸魚
[ruby(懸魚, ruby=げぎょ)] ヒヱンイュイ(xuányú) |
현어 | ||||
별칭: | |||||
△按懸魚作魚尾形以隱棟桁耑水物防火之意乎後異製作花形有數品近頃禁民家置之但以簡易者置之呼曰桁耑隱耳 | |||||
△按ずるに、懸魚は魚尾の形に作りて以て棟、桁の[ruby(耑, ruby=はな)]を[ruby(隱, ruby=かく)]す。水物、火を防せぐ意か。後、製を異にして花の形に作る數品有り。近頃、民家、之を置くことを禁せしむ。但し簡易者を以て之置き呼んで桁耑隱と曰ふのみ | |||||
△생각건대 현어(懸魚)란 물고기 꼬리 모양으로 만들어 마룻대와 도리의 끝을 가리는 것이다. 물로서 불을 막는다는 뜻일까? 후대에 모양을 달리하여 꽃 모양으로 만든 것도 몇 개 있다. 오늘날 민가에서는 현어를 설치하는 것을 금하고 있다. 단, 간단한 것을 만들어 장착하는데 이를 게타바나가쿠시(桁耑隱, "도리 끝 가리개")라 한다. |
3.13. 千木
[ruby(千木, ruby=ちぎ)] |
지기 | ||||
별칭: | |||||
△按千木宮社屋脊耑兩角各二本斜打違木也其梢鎩尖故名偏鎩千木令鳥不集鳥集則遺屎汚社故防之 伊勢內宮千木殺內方外宮者殺外方而用圓木其他社多用方木如大社長一丈二尺中社一丈小社八尺 鰹木 橫短木於屋脊上似編連鰹脯狀故名之鰹木 大社八本長五尺徑九寸中社六本長四尺徑五寸小社四本長四尺徑三寸 風雅 片そぎの・ちぎは內・外に替れども・誓ひは同じ・いせの神風 朝棟 |
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△按ずるに、千木は宮、社、屋脊の耑、兩角各々二本、[ruby(斜, ruby=なな)]めに打違へたる木なり。其の梢[ruby(鎩, ruby=そ)]ぎ尖る故に[ruby(偏, ruby=かた)][ruby(鎩, ruby=そ)]ぎの千木と名づく。鳥をして[ruby(集, ruby=と)]まらざらしむ。鳥集、則ち屎を遺り、社を汚る故に之を防ぐ 伊勢の內宮の千木は內の方を[ruby(殺, ruby=そ)]ぎ、外宮は外の方を殺ぐ。而して圓木を用ふ。其の他の社、多くは方の木を用ふ。大社の如きは長一丈二尺中社は一丈小社は八尺 [ruby(鰹木, ruby=かつをぎ)] 短き木を[ruby(屋脊, ruby=むね)]の上に橫ふ。[ruby(編, ruby=あ)]み[ruby(連, ruby=つら)]ねたる[ruby(鰹, ruby=かつを)][ruby(脯, ruby=ぶし)]の狀に似たり。故に之を鰹木と名づく。 大社は八本長五尺、徑九寸中社は六本長四尺、徑五寸小社は四本長四尺、徑三寸 風雅和歌集 片そぎの・ちぎは內外に・替れども・誓ひは同じ・いせの神風 度会朝棟(1265-1341) |
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△생각건대 지기(千木)는 궁(宮)과 신사(社)의 지붕 양쪽 끝에 두 토막의 나무가 사선으로 교차하는 것을 말한다. 나무의 끝은 예리하게 잘랐기에 '가타소기'(한쪽을 자름) 지기라 부른다. 이로써 새가 앉지 못하게 한다. 새가 앉으면 똥을 남기고 신사를 더럽히기에 이를 방지하는 것이다. 이세(伊勢) 내궁의 지기는 안쪽을 잘랐으며 외궁은 바깥쪽을 잘랐다.[158] 그리고 둥근 나무를 쓴다. 다른 신사에서는 대개 각진 나무를 쓴다. (지기의) 길이는 큰 신사에서 1장 2척(약 360cm), 중간 신사에서는 길이 1장(300cm), 작은 신사에서는 8척(240cm)이다.
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3.14. 桓
[ruby(桓, ruby=とりゐ)] |
도리이 | ||||
별칭: | |||||
字彙云表雙立爲桓今亭郵立木交於其端或謂之華表尸子云堯立誹謗木廬政事有缺失使言事者書之於木後世以石易之其狀如華形似褐褉之狀交衢悉施之蓋是始於堯後人立於塚墓前以記其識也 倭名抄云雞栖鳥居考聲切韻云梋者今之門雞栖也又云梋和名度加美一云鼠走門樞橫梁也 △按雞栖與梋一物二名重出者乎蓋雞栖鴨居共是門閾之上橫梁以取火災安穩之義 華表即神社之外門一名桓其名雞栖者即是蓋木也在中華起于唐堯誹謗木在日本起于神代名無雉矣原異而趣一也 凡二柱間如有一丈則高及欄額長亦一丈柱長一丈四尺徑一尺一寸蓋木與欄額間尺一寸額束幅七寸大抵定積也 又有四脚桓 夫木 鳥居たつ・相坂山の・堺なる・手向の神よ・われないさめそ 仲正 [夫木-8739] |
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字彙に云く、表に雙へて立つるを桓とす。今に亭郵に木を立て其の端を交ふ。或は之を華表と謂ふ。尸子に云く、堯、誹謗の木を立て政事、缺失有ることを廬んばかり。事を言ひ者をして之を木に書かしむ。後世、石を以て之に易ふ。其の狀、華の形の如く褐褉の狀に似たり。[ruby(交衢, ruby=ちまた)]に悉々く之を施す。蓋し是れ堯より始る。後人、塚墓の前に立てて以て其の識を記す。 倭名抄に云く、雞栖鳥居考聲切韻に云く、梋は今の門の雞栖なり。又た云く梋は和名度加美、一云鼠走門樞の橫梁なり。 △按ずるに、雞栖と梋と與に一物二名。重出するか。蓋し雞栖、鴨居、共に是れ門閾の上の橫梁、以て火災、安穩の義を取る。 華表は即ち神社の外門、一名桓。其れ雞栖と名づく者、即ち是れ蓋木なり[ruby(中華, ruby=もろこし)]に在りては唐堯の誹謗の木より起り日本に在りては神代の名無雉より起る。原々異にして趣は一なり。 凡そ二柱間、如し一丈有るときは則ち高さ及び[ruby(欄額, ruby=ぬき)]の長さも一丈なり。柱の長さ一丈四尺徑一尺一寸[ruby(蓋, ruby=かさ)][ruby(木, ruby=ぎ)]と[ruby(欄額, ruby=ぬき)]との間は尺一寸、[ruby(額束, ruby=がくづか)]の[ruby(幅, ruby=はば)]七寸大抵定積也 又た[ruby(四, ruby=よ)]つ[ruby(脚, ruby=あし)]の[ruby(桓, ruby=とりゐ)]有り。 夫木和歌抄 [ruby(鳥居, ruby=とりゐ)]たつ・[ruby(相坂山, ruby=あふさかやま)]の・[ruby(堺, ruby=さかひ)]なる・[ruby(手向, ruby=たむえ)]の[ruby(神, ruby=かみ)]よ・われないさめそ 源仲正(?-?) |
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3.15. 門
[ruby(門, ruby=かど)] |
문 | ||||
별칭: | |||||
門合兩戶所以通出入也一扇門曰戶 冠木門 加布木門立四柱其二則闑之代以止扇尋常寺院不許立也四脚門三門樓門二王門等尙以然 藻𪉩 をのづから𣏓殘たる門柱我が家いかて立なをすべき 棖音長 門兩旁木凡門柱多凡木而難着扉故傍立扁柱謂之棖略似立鋒和名鋒立又似口旁輔車俗謂頰立乎 楣音枚 門戶上橫梁釋名云楣眉也近前若面之在眉即連檐木在椽之耑者也 閾音域 門下橫木爲外內之限者也 △按閾俗云蹶放介波奈之又有溝使戶障子開闔者俗曰敷居之岐美美井相通也 梱閫同 䦔音坦闑音蘖橜音厥門橛也兩旁挾門短限曲禮云外言不入於梱內言不出於梱大夫士出入君門由闑右不踐閾說文云一段木隨所在異名在地謂之闑 △按梱閾恐不一物此所謂梱乃門傍橛所以止扉者和名抄謂巾子形者是也 |
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門は兩戶を合ふ。以て出入を通する所なり。[ruby(一, ruby=かた)][ruby(扇, ruby=とびら)]の門を戶と曰ふ。 [ruby(冠木, ruby=かぶき)]門加布木門四の柱を立つ。其の二つは則ち[ruby(闑, ruby=こじがた)]の[ruby(代, ruby=か)]はり。以て[ruby(扇, ruby=とびら)]を[ruby(止, ruby=とど)]むと。尋常の寺院、立るを許さず。四脚の門、三門、樓門、二王門等、尙ほ以て然り。 藻𪉩 をのづから𣏓殘たる門柱我が家いかて立なをすべき [ruby(棖, ruby=ほほだて)][161]音長門の兩、旁の木なり。凡そ門柱、多は丸そ*木にして[ruby(扉, ruby=とびら)]を着け難し。故に傍に[ruby(扁, ruby=ひら)]たき柱を立て之を棖と謂ふ。略ぼ立たる[ruby(鋒, ruby=ほこ)]に似たり。和名、鋒立又た口の旁の[ruby(輔車, ruby=ほほがまち)]に似たり。俗に頰立と謂ふ [ruby(楣, ruby=まぐさ)]音枚門戶の上の橫梁、釋名に云く楣は眉なり。前に近し。面の眉在るが若し。即ち檐を連ぬる木、椽の耑に在る者なり。 [ruby(閾, ruby=けはなし)]音域 門の下、橫木、外內の限をする者なり。 △按ずるに、閾は俗に云く、[ruby(蹶, ruby=け)][ruby(放, ruby=はな)]し。介波奈之又た溝有りて戶障子をして[ruby(開, ruby=あ)]け[ruby(闔, ruby=た)]てせしむ者を俗に敷居と曰ふ。之岐美、美・井、相通なり。[162] [ruby(梱, ruby=こじがた)]閫同䦔音坦闑音蘖橜音厥門の[ruby(橛, ruby=くひ)]なり。兩旁、門を[ruby(挾, ruby=はさ)]む。短限なり。曲禮に云く、外言、梱より入れず、內言、梱より出さず。大夫、士、君、門を出入するに闑の右よりして[ruby(閾, ruby=しきみ)]を[ruby(踐, ruby=ふ)]まず。說文に云く、一段の木、在る所に隨て名を異にす。地に在る之を闑と謂ふ。 △按ずるに、[ruby(梱, ruby=こじがた)]、[ruby(閾, ruby=けはなし)]、恐くは一物ならず。此れに所謂る梱は乃ち門の傍の[ruby(橛, ruby=くひ)]にして[ruby(扉, ruby=とびら)]を止る所以の者。和名抄に[ruby(巾子, ruby=こじ)]形と謂ふ者、是なり。 |
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문(門)이란 양 호(戶)를 합친 것이다. 출입할 때 지나가는 곳이다. 문짝(扇)[163]이 하나밖에 없는 문은 호(戶)라고 한다.
△생각건대 역(閾, 문지방 역)이란 세간에 이르길 게하나시(蹶放し)[167]라고 한다. 또한 홈이 있어 장지문을 열고 닫을 수 있게 한 것을 세간에서는 시키이(敷居)라고 한다. 가나로는 しきみ 혹은 しきゐ라 적는다.
* 고지가타(梱)閫(문지방 곤)라고도 한다. 䦔(문지방 단)음 坦(단), 闑(문지방 얼)음 蘖(얼), 橜(말뚝 궐)음 厥(궐),: 문의 말뚝이다. 양옆에서 문을 잡아 둔다. 크기가 짧다. 《곡례》(曲禮)에 이르길 바깥 말은 문지방에서 들어오지 않으며 안쪽 말은 문지방에서 나가지 않는다. 사대부와 임금은 드나들 때 문지방의 오른쪽으로 해서 문지방을 밟지 않는다. 《설문》(說文)에 이르길 이 나무는 있는 곳에 따라서 이름을 달리한다. 땅에 있는 것을 얼(闑)이라고 한다.
△생각건대 고지가타(梱)와 게하나시(閾)는 (둘 다 문을 고정하는 역할을 하나) 아마 같은 것은 아닌 것으로 보인다. 고지가타(梱)는 이른바 문 옆에 말뚝을 세워 문을 고정하기 위한 것이다. 《화명류취초》(和名類聚抄)에서 巾子形라고 하는 것이 그것이다.
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3.16. 閤
[168][ruby(閤, ruby=-)] 音蛤 |
쪽문 | ||||
별칭: | |||||
閤門傍小戶也漢公孫弘開東閤以延賢人蓋避當門而東向開一小門引賓客以別於官屬即今官署脚門旁有延賓館是也 闈音爲 宮中相通小門也 △按閤門傍小戶其略小者稱潜戶而平日闔大門開潜戶陪士常人出入於此如賓客至則急開大門引之以別貴賤也如公孫弘之閤者禁中小門也 |
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閤は門の傍の小き戶なり。漢の公孫弘、東の閤を[ruby(開, ruby=あ)]けて以て賢人を[ruby(延, ruby=ひ)]く。蓋し當門を避て東向に一の小門を開き賓客を引く。以て官の屬に別つ。即ち今に官署、脚門の旁に延賓館有り、是なり。 闈音爲宮中、相通する小き門なり。 △按ずるに、閤は門の傍の小戶。其れ略ぼ小なる者、[ruby(潜, ruby=くぐ)]り[ruby(戶, ruby=ど)]と稱す。而して平日、大門を[ruby(闔, ruby=た)]てて潜り戶を開け陪士、常人、此より出入す。如し賓客、至れば急に大門を開きて之を引き以て貴賤を別つ。公孫弘の閤の如きは禁中の小門なり。 |
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합(閤)이란 대문 옆에 있는 쪽문이다.
전한(前漢)의 공손홍(公孫弘)은 동쪽 쪽문을 열어 현자들을 불렀다. 정문을 피해 동쪽으로 난 쪽문을 열어 손님들을 받음으로써 관아 사람들과 구별했다. 그래서 오늘날 관공서에는 대문 옆에 손님을 맞는 건물이 있는 것이다.
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3.17. 扉
[ruby(扉, ruby=とびら)] |
- | ||||
별칭: | |||||
以竹及葦編門曰扇今云編門以木曰扉今云戶開又雙者曰闔單者曰扇又云一扇門爲戶又云內曰戶外曰門門扇上鐶鈕曰扃 新古 山里の柴のかみ戶の明たては峯の嵐の心なりけり 衣笠内大臣 樞又音樗 門戶之扉樞也與扃不同 △按樞扉上下耑出枘爲牡楣閾鑿孔爲牝牝牡合則扉自能啓閉戶末裸戶臍和名能合矣蓋此大門樞機也大抵多用鐵作肱形釘棖作壺形釘扉以爲牝牡俗云肱壺大小用之能啓閉 續千載 年へぬる松のとほろは朽ぬとも獨やすまん山のはの月 或曰凡造門戶如一扇開之可用左要右空手拒敵也如寺庵右啓左持念珠座具可以防魔云云 |
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竹、及び[ruby(葦, ruby=よし)]を以て門を[ruby(編, ruby=あ)]みたる扇と曰ふ。今に云く、編門木を以てするを扉と曰ふ。今に云く、戶開又た雙なる者を闔と曰ふ。單なる者、扇と曰ふ。又た云く、一扇門を戶とし又た云く、內を戶と曰ひ、外を門と曰ふ門扇の上、[ruby(鐶鈕, ruby=ひきて)]を扃と曰ふ。 新古 山里の柴のかみ戶の明たては峯の嵐の心なりけり 衣笠内大臣 [ruby(樞, ruby=とぼそ)]又た音樗 門戶の扉、樞なり。[ruby(扃, ruby=くるる)]と同からず △按ずるに、樞は扉の上下の[ruby(耑, ruby=はな)]に[ruby(枘, ruby=ほぞ)]を出し牡とし[ruby(楣, ruby=まぐさ)][ruby(閾, ruby=けはな)]しに孔を[ruby(鑿, ruby=ほ)]り牝とす。牝牡、合ふときは則ち扉自づから[169]能く啓閉す。戶末裸戶臍和名、能く[ruby(合, ruby=かな)]へり。蓋し此れ大門の樞機なり。大抵、多くは鐵を用ゐて[ruby(肱, ruby=ひぢ)]の形に作り[ruby(棖, ruby=ほほだて)]に[ruby(釘, ruby=う)]ち壺の形に作り[ruby(扉, ruby=とびら)]にに[ruby(釘, ruby=う)]ち以て牝牡とす。俗に云く、肱壺大小、之を用ゐて能く啓閉す。 続千載和歌集 年へぬる松のとほろは朽ぬとも獨やすまん山のはの月 或は曰く凡そ門戶を造るに[ruby(一, ruby=かた)][ruby(扇, ruby=とびら)]の如きは之を開くに左を用ふべし。右は空手にして敵[ruby(拒, ruby=ふせ)]ぐことを要す。寺、庵の如きは右へ啓くべし。左は念珠[ruby(座, ruby=ざ)]具を持て以て魔を防ぐべしと云云。 |
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3.18. 關木
[ruby(關木, ruby=くはんのき)] |
빗장 | ||||
별칭: | |||||
說文云關以橫木持門所以閉也又曰關楗即戶牡両端入牝孔所以止門者 扃 說文云外閉之關也野王按扃者戶扇鐵鈎所用於內以關門也 納殿くるるの妻戶をし明てけふ七夕にかす物や何 慈圓 △按扃有橫扃尻扃南蠻扃之數品 |
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說文に云く、關は橫木を以て門を持つ、閉る所以てなり。又た關楗と曰ふ。即ち戶、牡の両端、牝[ruby(孔, ruby=あな)]に入れ門を止る所以ての者なり。 [ruby(扃, ruby=くるる)] 說文に云く、[ruby(外, ruby=そと)]より之を閉る關なり。野王、按ずるに、扃は戶扇の[ruby(鐵鈎, ruby=かけがね)]內に用ゐて以て門を[ruby(關, ruby=し)]める所なり。 納殿くるるの妻戶をし明てけふ七夕にかす物や何 慈圓 △按ずるに、扃、橫扃、[ruby(尻扃, ruby=しりざし)]、南蠻[ruby(扃, ruby=くるる)]の數品有り。 |
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《설문해자》(說文解字)에 이르길 빗장(關, 관)이란 가로로 된 나무로 문에 두어 문을 닫는 것이다. 관건(關楗)이라고도 한다. 수놈 양쪽 끝을 암놈 구멍에 넣어 문을 고정한다.
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3.19. 圭窬
[ruby(圭窬, ruby=くはとうぐち)] クインユイ(guīyú) |
규두 | ||||
별칭: | |||||
閨音規 宮中門小者曰閨上圓下方如圭故曰閨門禮記儒行註云圭窬門旁小戶穿牆爲之上銳下方而如圭故名又名圭竇音豆 △按俗云瓦燈口戶是乎瓦燈即瓦噐上銳下廣以納燈燭似其形故名之今茶道之圍室設小戶多瓦燈口也 |
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閨は音規 宮中の門、小き者を閨と曰ふ。[ruby(上, ruby=かみ)]圓く下方にして圭の如し。故に閨門と曰ふ。禮記、儒行の註に云ふ、圭窬は門の旁、小戶、牆を[ruby(穿, ruby=うが)]ちて之をする。上[ruby(銳, ruby=とが)]り下方にして圭の如し。故に名づく。又た圭竇音豆と名づく。 △按ずるに、俗に云ふ、瓦燈口の戶、是れか。瓦燈は即ち瓦の[ruby(噐, ruby=うつは)]。上銳、下廣く以て燈燭を[ruby(納, ruby=い)]る。其の形に似たり。故に之に名づく。今に茶道の[ruby(圍, ruby=かこ)]ひ[170]室、小戶を[ruby(設, ruby=まふ)]く。多くは瓦燈口なり。 |
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규(閨)[음 規(규)]란 궁중의 문 중 작은 것을 말한다. 위가 둥글고 아래가 각진 것이
규(圭)와 닮았기에 규문(閨門)이라 한다. 《예기》(禮記) 41장 〈유행〉(儒行)의 주석에 이르길 규두(圭窬)란 벽을 뚫어 작은 문을 낸 것이다. 위가 뾰족하고 아래가 각진 것이 규(圭)와 닮았기에 그러한 이름이 붙었다. 圭竇라고도 쓴다.음은 두(豆)이다. △생각건대 세간에서 가토구치(瓦燈口, かとうぐち) 문이라고 하는 것이 이것일까? 가토(瓦燈)란 바로 기와로 된 그릇이다. 위가 뾰쪽하고 아래가 넓어 등불을 넣는다. 그것과 모양이 닮았기에 그러한 이름이 붙었다. 오늘날에는 다실을 만들 때 방에 작은 문을 설치하는데 대부분은 가토구치이다. |
3.20. 窻
[ruby(窻, ruby=まど)] チャン(chuāng)・音牕 |
창문 | ||||
별칭: | |||||
凡有牆曰㸢有屋曰牕皆助戶爲明者也釋名云窻聰也於內窺外以爲聰也徐氏曰穿明者爲窻更以木爲交櫺者爲㸢又云其小者曰牕闊遠者曰㰍又北出㸢曰向詩云塞向墐戶 拾玉 さよ更て窓をし明るうたたねに枕凉しき庭の松風 慈圓 櫺子 窻隔子也三才圖會云縱者欄橫者楯楯間子曰櫺子 |
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凡そ[ruby(牆, ruby=ついじ)]に有るを㸢と曰ひ屋に有るを牕と曰ふ。皆な戶を助け明りを爲す者なり。釋名に云く、窻は聰なり。內より外を窺て以て聰を爲すなり。徐氏が曰く、明りを穿つ者を窻とす。更に木を以て[ruby(交櫺, ruby=まどのこ)]をする者を㸢とす。又た云く、其れ小なる者を牕と曰ひ、闊く遠き者を㰍と曰ふ。又た北に出たる㸢を向と曰ふ。詩に云く、[ruby(向, ruby=きたむき)]を塞き戶を[ruby(墐, ruby=ぬ)]るといふ。 拾玉集 さよ更て窓をし明るうたたねに枕凉しき庭の松風 慈圓(1155-1225) [ruby(櫺子, ruby=れんじ)]は窻の隔子なり。三才圖會に云く、[ruby(縱, ruby=たて)]なる者、欄なり。橫なる者、楯なり。楯の間の子を櫺子と曰ふ。 |
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대개 벽에 있는 것을 비(㸢, 창문 비)라 하고 집에 있는 것을 창(牕, 창 창)이라 한다. 모두 문과 함께 빛을 들이는 것이다. 《석명》(釋名)에 이르길 창(窻)이란 총(聰, 귀밝을 총)이다. 안에서 밖을 엿보고 이로써 소식을 듣는 것이다. 서씨가 이르길 빛을 뚫는 것을 창이라 한다. 아울러 나무로 창살을 만든 것을 비(㸢)라 한다. 또다른 이야기로 작은 것을 창(牕)이라 하고 크고 멀리 있는 것을 농(㰍, 우리 롱)이라 한다. 또한 북쪽으로 난 창을 향(向)이라 한다. 《시경》(詩經)에 이르길 북향의 창을 막고 문에 흙을 바른다고 한다. 슈교쿠슈 일본 시 지엔
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3.21. 𥴩[⿱𥫗隔]子
[⿱𥫗隔][ruby(𥴩子, ruby=かふし)] |
격자 창 | ||||
별칭: 䈷子 通俗文に云く、竹障なり。/和名抄に云く、俗に格子と用ふ。 | |||||
△按今多以木作之窻大者即襲之類矣宮中寺社多用組格子其製縱橫如篩底而黑色也民家所用者釣格子臺格子也繁密而如蟲籠者謂之蟲籠格子訓無之古 | |||||
△按ずるに、今に多く木を以て之を作る。窻の大なる者、即ち襲の類なり。宮中寺社には多く[ruby(組, ruby=くみ)]格子を用ふ。其の製、[ruby(縱橫, ruby=たてよこ)]、[ruby(篩, ruby=とをし)]の[ruby(底, ruby=そこ)]如にして黑色なり。民家、用ゐる所の者、釣格子、臺格子なり。繁密にして[ruby(蟲, ruby=むし)][ruby(籠, ruby=こ)]の如きなる者、之を[ruby(蟲, ruby=むし)][ruby(籠, ruby=こ)]格子と謂ふ。無之古と訓す | |||||
△생각건대 오늘날에는 나무로 격자 창을 만든다. 커다란 창은 습격당하기 쉽다. 궁중의 절과 신사에는 격자[173] 가로세로가 체의 밑바닥처럼 까맣게 되도록 만든다. 민가에서는 쓰리고시(釣格子, つりごうし)[174], 다이고시(臺格子, だいごうし)[175] 등의 것을 쓴다. 매우 조밀하게 엮어 벌레통 같은 것을 무시코고시(蟲籠格子, むしこごうし, 벌레통 격자)라 한다. 무시코(むしこ, 無之古)라 훈독한다. |
3.22. 庭
[ruby(庭, ruby=には)] テイン(tíng)・音亭 |
정원 | ||||
별칭: | |||||
庭門屏之內也三才圖會云堂下至門謂之庭列子云黃帝居大庭之舘此庭名起也 墀 階上地也天子以丹漆地故稱丹墀禮記云天子赤墀蓋墀三代制也 夫木 朝な朝な・庭草とると・せし程に・妹か垣根は・うすらきにけり 好忠[夫木-14979] |
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庭は門屏の內なり。三才圖會に云く、堂の下より門に至るまで之を庭と謂ふ。列子に云く、黃帝、大庭の舘に[ruby(居, ruby=とま)]り此れ、庭の名の起なり。 墀は[ruby(階, ruby=きざはし)]の上地なり。天子のは丹を以て地に漆る故に丹墀と稱す。禮記に云く、天子、赤墀ありと。蓋し墀は三代の制なり。 夫木和歌抄 朝な朝な・庭草とると・せし程に・妹か垣根は・うすらきにけり 曽禰好忠(?-?) |
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정(庭)이란 문과 벽의 안이다. 《삼재도회》(三才圖會)에 이르길 당(堂)의 아래에서부터 문에 이르기까지를 정(庭)이라 한다. 《열자》(列子)에 이르길 황제(黃帝)는 대정관(大庭舘)에 머물렀기에 그것이 정(庭)이라는 이름의 시작이다.
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3.23. 階
[ruby(階, ruby=きざはし)] |
섬돌 | ||||
별칭: | |||||
階登堂級也釋名云階梯也如梯之有等差也自黃帝爲棟宇則有階之名 檻音咸 殿上欄也字彙云階除之木謂之句欄 又云軒窻之下曰欄櫺子以板曰檻 夫木 九重に・たためる玉の・みはしより・かたふく月の・ねり上る哉 法性寺入道 [夫木-14166] |
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階は堂を登る[ruby(級, ruby=しな)]なり。釋名に云く、階は梯なり。梯の等差有るが如し。黃帝棟宇をなりしより則ち階の名有り。 檻音咸 殿上の欄なり。字彙に云く、階除の木、之を[ruby(句欄, ruby=こうらん)]と謂ふ。 又た云く、[ruby(軒, ruby=のき)]の窻の下を欄と曰ふ。櫺子[ruby(板, ruby=いた)]を以てするを檻と曰ふ。 夫木和歌抄 九重に・たためる玉の・みはしより・かたふく月の・ねり上る哉 法性寺入道(1097-1164)[178] |
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계(階)란 당(堂)에 올라가는 단이다. 《석명》(釋名)에 이르길 계(階)란 제(梯, 사다리 제)이다. 사다리에 단계가 있는 것과 같다. 황제(黃帝)가 마룻대와 추녀끝(棟宇)을 만들 때부터 계(階)라는 이름이 있었다.
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3.24. 甃
[ruby(甃, ruby=いしだたみ)] ツエ、ウ(zhòu)・音縐 |
바닥 타일 | ||||
별칭: | |||||
甃結砌也 砌 階甃也 礎 一名磌又名礩柱下石也 △按甃布石於地如席其石切磋平面俗謂之石疊疊者本邦所用藺席之名以瓦者名敷瓦 金葉 名にしをはば・身もさ[179]へぬべし・石だたみ・かたしく袖よ・衣重ねよ 俊賴 [散木奇歌集-1308] 藻䀋 すみれさく・ならの都の・跡とては・石ずへのみぞ・かたみ成ける 仲正[181] |
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甃は砌を結ぶなり。砌は階しの甃なり。礎は一名、磌。又名、礩柱の下の石なり。 △按ずるに、甃、石を地に[ruby(布, ruby=し)]き[ruby(席, ruby=たた)]みの如し。其の石、[ruby(切, ruby=き)]り[ruby(磋, ruby=みが)]き平面、俗に之を石[ruby(疊, ruby=たた)]みと謂ふ。疊は本邦、用ゐる所、[ruby(藺, ruby=ゐ)][ruby(席, ruby=むしろ)]の名なり。瓦を以てする者を敷瓦と名づく。 金葉和歌集 [ruby(名, ruby=な)]にしをはば・[ruby(身, ruby=み)]もさへぬべし・[ruby(石, ruby=いし)]だたみ・かたしく[ruby(袖, ruby=そで)]よ・[ruby(衣, ruby=ころも)][ruby(重, ruby=かさ)]ねよ 源俊賴(1055-1129) 藻䀋 すみれさく・ならの[ruby(都, ruby=みやこ)]の・[ruby(跡, ruby=あと)]とては・[ruby(石, ruby=いし)]ずへのみぞ・かたみ[ruby(成, ruby=なり)]ける 源仲正(?-?)[182] |
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추(甃)란 섬돌(砌)을 엮은 것이다. 섬돌(砌)이란 계단의 돌이다. 초(礎)는 전(磌) 혹은 질(礩)이라고도 한다. 기둥 밑의 돌이다. △생각건대 추(甃)란 돌을 땅에 깔아 덮는 것이다. 그 돌은 자르고 다듬어 평평하게 만들고 세간에서 이를 타일(石疊, 이시다타미)이라 한다. 다타미(疊)는 우리나라에서 본래 풀로 짠 돗자리를 뜻하는 말이다. 기와로 만든 것을 시키가와라(敷瓦)라 한다. 산보쿠키카슈 일본 시 미야모토노 도시요리 다메타다케 쇼도 햐쿠슈[183] 일본 시 미야모토노 나카마사 |
3.25. 垣
[184][ruby(垣, ruby=かき)] イュン(yuán)・音員 |
담 | ||||
별칭: | |||||
垣牆也其卑曰垣高曰墉釋名云垣援也人所依阻以爲援衛也 △按垣今云屏也俗作塀字 |
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垣は牆なり。其の[ruby(卑, ruby=ひき)]きを垣と曰ふ。高きを墉と曰ふ。釋名に云ふ、垣は援なり。人、依阻して以て援衛とす所なり。 △按ずるに、垣は今に云ふ、[ruby(屏, ruby=へい)]なり。俗に塀の字に作る。 |
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원(垣, 담 원)이란 담이다. 그 중 낮은 것을 원(垣), 높은 것을 용(墉)이라 한다. 《석명》(釋名)에 이르길 원(垣)이란 원(援, 도울 원)이다. 사람이 의지하며 도움과 방어막(援衛)이 되는 곳이다. △생각건대 담은 오늘날 헤이(屏)라 한다. 세간에서는 塀자를 쓴다. |
3.26. 藩籬
[185][ruby(藩籬, ruby=ませがき)] |
울타리 | ||||
별칭: | |||||
藩籬以竹圍之事物紀源云藩籬之固室家三代之制也[事物紀源8-藩籬] 夫木 朝な朝な・庭草とると・せし程に・妹か垣根は・うすらきにけり 好忠[夫木-14979][188] |
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藩籬は竹を以て之を[ruby(圍, ruby=かこ)]う。事物紀源に云ふ、藩籬の室家を固すること、三代の制なり。 夫木和歌抄 朝な朝な・庭草とると・せし程に・妹か垣根は・うすらきにけり 曽禰好忠(?-?) |
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울타리(藩籬)는 대나무로 감싼 것이다. 《
사물기원》(事物紀源)에 이르길 울타리로 집을 두르는 것은 3대(하나라, 은나라, 주나라)의 제도이다. 후모쿠와카쇼 일본 시 소네노 요시타다 |
3.27. 築牆
[189][ruby(築牆, ruby=ついひぢ)] チョツツャン(zhùqiáng) |
토담 | ||||
별칭: | |||||
築牆淮南子云舜作屋築牆茨屋令人皆知去嵓穴有室家是牆之起也牆字俗作墻 ○楨𠏉 一名牏音偷築牆版也兩頭曰楨兩旁曰𠏉 新古 くつれそふ・やふれついちの・犬走り・ふまへ所も・なき我が身哉 信實 [新撰和歌六帖2:田舎-799] △按築牆官家所用也橫塗堊筋俗謂之筋屏者是也民家不用楨𠏉[191]止層土築之呼曰練屏 |
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築牆は淮南子に云く、舜、屋を作り、牆を築き屋を[ruby(茨, ruby=ふ)]き人をして皆な嵓穴を去り室家有ることを知らせしむ。是れ牆の起りなり。牆の字、俗に墻に作る。 ○[ruby(楨, ruby=ついぢ)][ruby(𠏉, ruby=いた)] 一名、牏音偷築牆の版なり。兩頭を楨と曰ひ、兩旁を𠏉と曰ふ。 新古今和歌集 くつれそふ・やふれついちの・[ruby(犬走, ruby=いぬはし)]り・ふまへ[ruby(所, ruby=ところ)]も・なき[ruby(我, ruby=わ)]が[ruby(身, ruby=み)][ruby(哉, ruby=かな)] 藤原信實(1176-1265) [192] △按ずるに、[ruby(築牆, ruby=ついぢ)]は官家に用ゐる所なり。橫に[ruby(堊, ruby=しら)]ぬりの筋を塗る。俗に之を筋屏と謂ふ者、是なり。民家には楨𠏉を用ゐず、止だ土を[ruby(層, ruby=かさ)]ねて之を築く、呼んで[ruby(練, ruby=ね)]り[ruby(屏, ruby=べい)]と曰ふ。 |
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담(築牆)이란 《회남자》(淮南子)에 이르길 순(舜)이 집을 만들어 담을 쌓고 지붕을 이어 사람들로 하여금 모두 암굴에서 벗어나 집이 있음을 알렸다. 이것이 담의 시작이다. 담을 뜻하는 牆자는 세간에서 墻라고도 쓴다. ○담틀(쓰이지이타)[193]: 일명 牏(담틀 투)[음 偷(투)]. 담의 널빤지이다. 앞뒤의 널빤지를 정(楨), 양옆의 널빤지를 간(𠏉)이라 한다. 신센와카로쿠조 일본 시 후지와라 노부자네 △생각건대 담이란 관에서 쓰는 것이다. 옆에 백토로 된 가로선(筋, 스지)을 바른다.[194] 세간에서 스지베이(筋屏)라고 부르는 것이 이것이다. 민간에서는 담틀을 쓰지 않고 단지 흙을 층층이 쌓아 담을 쌓는데 이를 네리베이(練屏)라 한다. |
3.28. 壁
[ruby(壁, ruby=かべ)] |
벽 | ||||
별칭: | |||||
壁室之屏蔽也 壁帶漢書音義云謂壁中之橫帶也 助枝功程式云志達 壁際孔曰𡭴[⿳小日小]和名比末隙同 △按壁帶用竹縱橫粗釘之令壁堅如帶者也而用破竹編縛如篩目者助枝也俗云壁下地用稭藁粗切和土圬壁者謂須佐正字未詳和堊者用紙屑鹿角菜或以古繩纜細切用之佳 夫木 土かへに・窓ぬり殘す・庵迄も・すさめすやとる・秋のよの月 謙光 [夫木-14342] 縛壁 和名多都古毛釋名云以席縛著於壁者也名防壁 △按縛壁俗云塗埀也北面壁縛著薦席可防雨雪如富家以板或杉皮襲壁曰志太無北國雪深埋檐故冬月垂薦於檐以防雪 |
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壁は室の屏蔽なり。[ruby(壁帶, ruby=まはたし)]、漢書音義に云く、壁の中の橫帶を謂ふ。 助枝は功程式に云く、志達。壁の際の[ruby(孔, ruby=あな)]を[ruby(𡭴, ruby=ひま)][⿳小日小]と曰ふ。和名比末隙同 △按ずるに、壁帶は竹を用ゐて縱橫に粗々釘之壁をして堅からしむり、帶の如きなる者なり。而して[ruby(破, ruby=わ)]り竹を用ゐて[ruby(編, ruby=あ)]み[ruby(縛, ruby=しば)]り[ruby(篩, ruby=とをし)]の目の如きなる者は助枝なり。俗云壁下地[ruby(稭藁, ruby=いなわら)]を用ゐて粗々切り土に[ruby(和, ruby=ま)]ぜ壁に[ruby(圬, ruby=ぬ)]る者、須佐と謂ふ。正字、未だ詳しからず堊に[ruby(和, ruby=ま)]ぜるには紙[ruby(屑, ruby=くづ)]、[ruby(鹿角, ruby=ふのり)]菜を用ふ。或は古繩纜を以て細に切りて之を用ゐて[ruby(佳, ruby=よ)]し。 夫木和歌抄 土かへに・窓ぬり殘す・庵迄も・すさめすやとる・秋のよの月 謙光 [ruby(縛壁, ruby=ぬりたれ)] 和名多都古毛釋名に云く、[ruby(席, ruby=むしろ)]を以て壁に縛著くる者なり。防壁と名づく。 △按ずるに、縛壁は俗に云く、塗埀れなり。北面の壁には[ruby(薦, ruby=こも)][ruby(席, ruby=むしろ)]を[ruby(縛, ruby=くく)]り[ruby(著, ruby=つ)]け雨雪を[ruby(防, ruby=ふせ)]ぐべし。富家の如きは板、或は杉皮を以て壁を[ruby(襲, ruby=をそ)]う志太無と曰ふ北國は雪深して檐を埋む。故に冬の月、薦を檐に垂りて以て雪を防ぐ。 |
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3.29. 蔀
[196][ruby(蔀, ruby=しとみ)] プウ・音部 |
차양 | ||||
별칭: 蔀 和名之度美(しとみ, 시토미)、今に云ふ、日蔽(ひおおい, 히오이, 차양)。/附り 鎗戶、俗稱夜利度(やりど, 야리도)、今に云ふ、末[197]以良度(まりらど, 마이라도)。 | |||||
蔀 覆暖障光明者也 △按埀簾及席於擔[198]以避暑防雨吹謂之蔀用板柱杖開闔曰蔀戶 鎗戶俗又用鑓字 多用玄關口戶也纖攢[199]或縱或橫繁而美 |
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蔀は[ruby(暖, ruby=あつ)]さを[ruby(覆, ruy=おほ)]ひ光明を障る者なり。 △按ずるに、簾、及び席を擔に埀りて以て暑を[ruby(避, ruby=さ)]け[ruby(雨吹, ruby=しぶき)]を防ぐ。之を蔀と謂ふ。板を用ゐて杖を[ruby(柱, ruby=ささ)]へて[ruby(開, ruby=あ)]け[ruby(闔, ruby=た)]てするを蔀戶と曰ふ。 鎗戶俗に又た鑓字を用ふ。 多く玄關口に用ふる戶なり。[ruby(纖, ruby=ほそ)]き[ruby(攢, ruby=さん)]、或は[ruby(縱, ruby=たて)]、或は橫に[ruby(繁, ruby=しげ)]くして美なり。 |
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차양(蔀, 시토미)이란 볕을 가리고 빛을 막는 것이다. △생각건대 발이나 돗자리를 처마에 늘어뜨려서 더위를 피하고 비바람을 막는다. 이것을 차양이라 한다. 판을 써서 막대로 지탱해 열고 닫을 수 있는 것을 시토미도(蔀戸, 차양 문)라 한다.[200] |
3.30. 柵
[ruby(柵, ruby=さく)] |
목책 | ||||
별칭: | |||||
△按寨柵說文云編竪木也今四壁外結柵以防人物凡軍塲俄結柵名砦亦此類也高一二丈 水中寨柵和名之加良美排竹木以篾編之高二三尺許以防水令岸不崩 | |||||
△按ずるに、寨柵は說文に云く、竪木を[ruby(編, ruby=あ)]む。今に四壁の外、[ruby(柵, ruby=さく)]を結て以て人物を防ぐ。凡そ軍塲に俄に柵を結ぶ、[ruby(砦, ruby=とりで)]と名のる。亦た此の類なり。高さ一二丈。水中の[ruby(寨柵, ruby=しがらみ)]は和名之加良美竹木を[ruby(排, ruby=つら)]ね[ruby(篾, ruby=たけのわら)]を以て之を[ruby(編, ruby=あ)]む。高さ二三尺許り。以て水を防ぎ岸をして[ruby(崩, ruby=くづ)]れざらしむ。 | |||||
△생각건대 목책은 《설문해자》(說文解字)에 이르길 수직으로 된 나무를 엮은 것이다. 오늘날에는 사면의 벽 외부에 목책을 엮어 사람과 물건을 막는다. 대체로 막사에 재빨리 엮어 도리데(砦)라고 부른다. 높이는 약 1~2장(3m)이다. 물 속의 목책은일본어로는 시가라미라 한다. 대나무를 늘어뜨려 대나무 짚으로 엮는다. 높이는 2~3척(60~90cm) 가량이다. 이로써 물을 막고 수변이 무너지지 않도록 한다. |
3.31. 簀子
[ruby(簀子, ruby=すのこ)] |
발 | ||||
별칭: | |||||
切韻云簀牀上籍竹名也詩衛風綠竹如簀 △按今多用板功程式稱板敷者是也凡簀子下束木名根駄正字未勘橫於其上如椽者名上走編竹於其上名簀子橫竹於下者名盜竹言竄牀下所縛也 夏雨 山賤のあしやにかける高すかきふしにくしも思ひける哉 俊賴 |
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切韻に云く、簀は牀の上に竹を[ruby(籍, ruby=し)]く名なり。詩の衛風に綠竹、簀の如くと。 △按ずるに、今に多く板を用ふ。功程式に板敷と稱する者、是なり。凡そ[ruby(簀, ruby=す)]の[ruby(子, ruby=こ)]の下の[ruby(束, ruby=つか)][ruby(木, ruby=ぎ)]を[ruby(根駄, ruby=ねだ)]と名づく。正字未だ勘ず其の上に[ruby(橫, ruby=よこ)]たえて[ruby(椽, ruby=たるき)]の如きなる者を[ruby(上, ruby=うは)][ruby(走, ruby=ばし)]りと名づく。竹を其の上に[ruby(編, ruby=あ)]むを簀子と名づく。竹を下に橫ふ者、盜竹と名づく。[ruby(言, ruby=心)]は、牀の下に[ruby(竄, ruby=かく)]れ[ruby(縛, ruby=しば)]らるるなり。 夏雨 山賤のあしやにかける高すかきふしにくしも思ひける哉 源俊賴(1055-1129) |
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《절운》(切韻)에 이르길 발이란 평상 위에 까는 대나무를 뜻한다. 《시경》(詩經)의 5장 〈위풍〉(衛風)에서 푸른 대나무(綠竹)는 발(簀)과 같다고 했다. △생각건대 지금은 대체로 나무 판을 쓴다. 공정식(功程式)에 이타지키(板敷)라고 하는 것이 그것이다. 대체로 발 밑에 까는 나무를 귀틀(根駄)이라 한다. 정확한 글자는 아직 미상이다. 그 위를 가로지르는 서까래 같은 것을 우와바시리(上走り)라 한다. 대나무를 그 위에 엮은 것을 발이라 한다. 대나무를 아래에 가로지른 것을 누스미다케(盜竹)라 한다. 그 뜻은 판자 아래 숨은 상태로 묶여있다는 것이다. 일본 시 미나모노토 도시요리 |
3.32. 欂
[ruby(欂, ruby=くれ)] |
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별칭: | |||||
欂壁柱也功程式云有檜椙欂 △按欂爲壁柱則今云與屋板不同據功程式注則屋板也今多用槇椹而檜椙爲官家之用耳皆薄片爲小板長六七寸幅二三寸層層襲葺以竹釘固細密者謂𣏕葺古介良不木其最細密者名橡葺其屋似橡木橒故名 凡斫木朴而所出屑曰𣏕與欂不同 枌 長尺許橫三寸比欂甚粗以薄層葺者名板屋或名取葺上壓小石最賤家也宮殿神社檜皮葺也上古皆茅葺也或用藁中古用欂近頃多用瓦瓦則耐久而無火災飛移 續日本紀云聖武帝神龜元年太政官奏言上古淳扑冬穴夏巢後世聖人以宮室亦在京師帝王爲居萬國所朝是非壯麗何以表德其板屋草舍中古遺制難營易破空殫民財請仰有司令五位巳上及庶人愖營者搆立瓦舍塗爲赤白奏可之 |
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欂は壁の柱なり。功程式に云く、[ruby(檜, ruby=ひのき)]、[ruby(椙, ruby=すぎ)]の欂有り。 △按ずるに、欂、壁の柱とするときは則ち今に云ふ、[ruby(屋板, ruby=やねいた)]と同じからず。功程式の注に[ruby(據, ruby=よ)]れば則ち屋板なり。今に多く[ruby(槇, ruby=まき)]、[ruby(椹, ruby=さわら)]を用ゐて檜、椙は官家の用とするのみ。皆な[ruby(薄, ruby=うす)]く[ruby(片, ruby=へ)]ぎて小板とす。長さ六七寸、幅さ二三寸層層し[ruby(襲, ruby=かさ)]ね[ruby(葺, ruby=ふ)]き竹釘を以て固め細密なる者を[ruby(𣏕葺, ruby=こけら)]と謂ふ古介良不木其の最も細密なる者を[ruby(橡, ruby=とち)]葺と名づく。其の[ruby(屋, ruby=やね)]橡の木の[ruby(橒, ruby=もく)]に似たる故に名づく。 凡そ木の[ruby(朴, ruby=かは)]を[ruby(斫, ruby=はづ)]り而して出る所の[ruby(屑, ruby=くづ)]を[ruby(𣏕, ruby=こけら)]と曰ふ。[ruby(欂, ruby=くれ)]と同じからず。 [ruby(枌, ruby=そぎ)] 長さ尺許り。橫さ三寸。欂に[ruby(比, ruby=ひ)]すれば甚だ粗なり。以て薄く[ruby(層, ruby=かさ)]ねて[ruby(葺, ruby=ふ)]く者を板屋と名づけ、或は取葺と名づく。上に小石[ruby(壓, ruby=をも)]しにす。最も賤家なり。宮殿、神社は[ruby(檜皮, ruby=ひわだ)]葺なり。上古は皆な、[ruby(茅葺, ruby=かやぶき)]なり。或は[ruby(藁, ruby=はら)]を用ふ。中古は欂を用ふ。近頃、多くは瓦瓦を用ふ。則ち久きに[ruby(耐, ruby=た)]ふ。而かも火災、飛移ること無し。 續日本紀に云く、聖武帝、神龜元年、太政官、奏して言く、上古は[ruby(淳扑, ruby=すなお)]にして冬は穴にして、夏は巢にする。後世の聖人、宮室を以てす。亦た、京師に在りて帝王の居するは萬國の朝する所、是れ壯麗なるに非らずんば何を以て德を表せん。其の板屋、[ruby(草, ruby=くさ)][ruby(舍, ruby=や)]は中古の遺制、[ruby(營, ruby=く)]り難くして破れ易し。空く民財を[ruby(殫, ruby=つく)]す。請ふ、有司に仰せて五位巳上、及び庶人の營に愖たる者をして立て瓦舍を搆へしむ。塗て赤白とすんと奏す。之を可しとす。 |
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3.33. 瓦
[ruby(瓦, ruby=かはら)] |
기와 | ||||
별칭: | |||||
䟽瓦和名都々美加和良今云巴瓦 花瓦和名阿布美加和良今云唐草 鵄尾和名久都加太今云鳥衾瓦 蚩吻音鴟刎、和名如字音今云鱐也 瓦燒泥爲之以蓋屋宇上者也 △按瓦始於夏昆吾本朝肇於崇峻天皇時事詳于人倫部陳眉公祕笈云鄴南城屋瓦皆以胡桃油筒瓦覆故油其背版瓦仰故油其面 平瓦丸瓦 法陰陽而平瓦稍匾而仰丸瓦圓而覆故有牝牡平瓦版筒等之名 巴瓦 即䟽瓦也牡瓦耑有底略似皷面而作巴文故有皷巴等之名 三巴記云閬白水東南流曲折三廻如巴字蓋巴象水渦取辟火灾之義乎 唐草瓦 即花瓦也牝瓦耑作水草文故名唐草略似鐙形中古以來甚扁不似鐙蓋見古瓦窄而不如今 鳥衾瓦 即鵄尾也牡瓦之長彎者似沓形在棟頭鳶鴉每休于此故有履形鳥衾等之名 蚩吻 頭面如龍身尾似魚而有鰭鱗蓋此龍之子也俗以爲鱐者甚非也唯稱蚩吻可也 廣博物志云龍生九子其一名蚩吻好呑爲殿脊之獸其一名嘲風好險爲殿角之獸其余詳見于龍之下 蘇鶚演義云蚩者海獸也漢武帝作柏梁殿有上䟽者云蚩尾水之精能辟火灾可置之堂殿今人多作鴟字五雜組云鶴於府堂鴟吻上作巢 城櫓及唐僧寺屋棟皆安鴟吻尋常民家不許置之 鬼瓦 方形而裾兩耑卷如蕨拳面作鬼頭或以木板亦作之故名鬼板未知其據蓋此鴟吻之略乎 獅子口 方形而載三鵄尾表作波文而安棟耑以代鬼瓦未知名義當時禁裏及門跡堂殿用之其他不用 菊瓦 乃䟽瓦小者面圖菊花文棟上相雙層置之 輪違瓦 形似爪甲故又名爪瓦乃菊瓦上相雙覆仰數枚如輪違文以上二物亦甍之飾也 女牟度瓦 即牡瓦之半者屋脊牡瓦之交用之塞罅間蓋女牟度者雌羽之義乎 竪瓦 可以蔽壁腰 敷瓦即可以爲甃 土竇瓦 形如筒埋地中通水 竇音豆水溝口周禮注云宮中竇崇三尺云云 井甃 一名㼿㼣俗云井戶瓦 凡瓦有數品不牧擧呂氏曰陶者爲瓦必圓而割分之則瓦合之則圓而不失其瓦之質 |
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[ruby(䟽瓦, ruby=つつみがはら)]和名都々美加和良今に云く、[ruby(巴, ruby=ともゑ)]瓦 [ruby(花瓦, ruby=あぶみがはら)]和名阿布美加和良今に云く、唐草 [ruby(鵄尾, ruby=くつがた)]和名久都加太今に云く、[ruby(鳥, ruby=とり)][ruby(衾, ruby=ふすま)]瓦 [ruby(蚩, ruby=し)][ruby(吻, ruby=ふん)]音鴟刎、和名如字音今に云く、[ruby(鱐, ruby=しゃちほこ)][203]なり。 瓦は泥を燒きて之を爲くる。以て屋宇の上に[ruby(蓋, ruby=ふ)]く者なり。 △按ずるに、瓦は夏の昆吾より始まる。本朝、崇峻天皇の時に[ruby(肇, ruby=はじ)]まる事、人倫部に詳なり陳眉公の祕笈に云く、鄴南城の屋の瓦は皆な、胡桃の油を以てす。[ruby(筒, ruby=まる)]瓦は[ruby(覆, ruby=うつぶ)]く故に其の背に油す。[ruby(版, ruby=ひら)]瓦は[ruby(仰, ruby=あふ)]ぐ[204]故に其の面に油す。 平瓦・丸瓦 陰陽に[ruby(法, ruby=のっと)]る。而して平瓦は[ruby(稍, ruby=やや)][ruby(匾, ruby=ひら)]たくにして[ruby(仰, ruby=あをむ)]き丸瓦は圓して[ruby(覆, ruby=うつぶ)]く故に牝牡、平瓦版筒等の名有り。 [ruby(巴, ruby=ともゑ)]瓦は即ち䟽瓦なり。[ruby(牡, ruby=まる)][ruby(瓦, ruby=がわら)]の[ruby(耑, ruby=はし)]に底有りて[ruby(略, ruby=ち)]と皷の面に似て而も[ruby(巴, ruby=ともゑ)]の文を作る。故に[ruby(皷, ruby=つつみ)]巴等の名有り。 三巴記に云く、閬白の水、東南に流れ[ruby(曲, ruby=ま)]がり折れて三廻して巴の字の如し。蓋し巴は水の[ruby(渦, ruby=うづ)]に[ruby(象, ruby=かた)]どる。火灾を辟ぐる義を取る。 [ruby(唐草, ruby=からくさ)]瓦 即ち[ruby(花, ruby=あぶみ)]瓦なり。[ruby(牝, ruby=ひら)][205]瓦の[ruby(耑, ruby=はし)]に水草の文を作る。故に唐草と名づく。[ruby(略, ruby=ち)]と[ruby(鐙, ruby=あぶみ)]の[ruby(形, ruby=なり)]に似たり。中古以來は甚だ[ruby(扁, ruby=ひら)]たく[ruby(鐙, ruby=あぶみ)]に似らず。蓋し[ruby(古, ruby=いにし)]への瓦を見るに[ruby(窄, ruby=すぼ)]くして今の如くならず。 [ruby(鳥, ruby=とり)][ruby(衾, ruby=ふすま)]瓦は即ち鵄尾なり。[ruby(牡, ruby=まる)]瓦の長く[ruby(彎, ruby=そり)]たく者、[ruby(沓, ruby=くつ)]の形に似て棟頭に在り[ruby(鳶鴉, ruby=とびがらす)]每に此に[ruby(休, ruby=やす)]む。故に[ruby(履, ruby=くつ)]形、鳥衾等の名有り。 [ruby(蚩, ruby=し)][ruby(吻, ruby=ふん)] 頭面は龍の如し。身尾は魚に似て[ruby(鰭, ruby=ひれ)][ruby(鱗, ruby=うろこ)]有り。蓋し此れ龍の子なり。俗に以て[ruby(鱐, ruby=しゃちほこ)]に爲る者、甚だ非らず。唯だ[ruby(蚩, ruby=し)][ruby(吻, ruby=ふん)]と稱して可し。 廣博物志に云く、龍九つの子を生す。其の一を蚩吻と名づく。呑むことを好む。殿脊の獸とす。其の一を嘲風と名づく。險を好む。殿角の獸とす。其の余り、詳に龍の下に見る 蘇鶚演義に云く、[ruby(蚩, ruby=し)]は海獸なり。漢の武帝、柏梁殿を作る。䟽を上つる者有りて云く、蚩尾は水の精能、火灾を辟ぐ。之を堂殿に置くべしと。今の人、多く鴟の字に作る。五雜組に云く、鶴府堂の鴟吻の上に於て巢を作ると。 城、[ruby(櫓, ruby=やぐら)]、及び唐僧寺の[ruby(屋棟, ruby=やね)]に皆な鴟吻を安んす。尋常の民家、之を置くことを許さず。 [ruby(鬼, ruby=をに)]瓦 方形にして[ruby(裾, ruby=すそ)]の兩[ruby(耑, ruby=はな)]卷きて[ruby(蕨拳, ruby=わらびで)]の如く面に鬼頭を作る。或は木板を以ても亦た之を作る。故に鬼板と名づく。未だ其の據を知らず。蓋し此れ、鴟吻の略か。 [ruby(獅子, ruby=しし)]の口 方形にして三の[ruby(鵄尾, ruby=とりふすま)]を[ruby(載, ruby=いただ)]き表に波の文を[206]作る。而して棟の耑に安んす。以て鬼瓦に[ruby(代, ruby=か)]ふ。未だ名の義を知らず。當時、禁裏、及び門跡の堂殿に之を用ふ。其の他は用ゐず。 菊瓦 乃ち[ruby(䟽, ruby=ともゑ)]瓦の小き者なり。面に菊の花文を圖じて棟の上に相ひ雙べ之を[ruby(層, ruby=かさ)]ね置く。 [ruby(輪, ruby=わ)][ruby(違, ruby=ちがひ)]瓦 形ち[ruby(爪甲, ruby=つめ)]に似たり。故に又た[ruby(爪, ruby=つめ)]瓦と[207]名づく。乃ち菊瓦の上に相ひ雙べ[ruby(覆, ruby=うつぶ)]け[ruby(仰, ruby=あをむ)]け數枚、輪違の文の如し。以上の二物、亦た甍かの飾りなり。 [ruby(女牟度, ruby=めんど)]瓦 即ち[ruby(牡, ruby=まる)]瓦の半なる者、[ruby(屋脊, ruby=むね)]の[ruby(牡, ruby=まる)]瓦の[ruby(交, ruby=あはひ)]に之を用て[ruby(罅, ruby=すき)][ruby(間, ruby=ま)]を[ruby(塞, ruby=ふさ)]ぐ。蓋し[ruby(女牟度, ruby=めんど)]は[ruby(雌, ruby=めんどり)][ruby(羽, ruby=ば)]の義か。 [ruby(竪, ruby=たて)]瓦 以て壁の腰を蔽ふべし。[ruby(敷, ruby=しき)]瓦は即ち以て爲[ruby(甃, ruby=いしだたみ)]とするべし。 [ruby(土竇, ruby=どい)]瓦 形い筒の如く地中に埋て水を通す。 竇音豆水溝の口なり。周禮の注に云く、宮中の[ruby(竇, ruby=ひ)]は[ruby(崇, ruby=たか)]さ三尺と云云。 [ruby(井, ruby=ゐど)][ruby(甃, ruby=がはら)] 一名㼿㼣俗に云く、井戶瓦 凡そ瓦、數品有りて牧擧せず[208]。呂氏が曰く、陶者の瓦を爲る。必ず圓して割りて之分つときは則ち瓦なり。之合すときは則ち圓して其の瓦の質を失はず。 |
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3.34. 棧
[ruby(棧, ruby=ゑつり)] |
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별칭: | |||||
△按棧瓦葺下座也今多用板或竹簀也板屋及大和葺椽間入筱竹謂之棧竹纏繩令欂不搖別橫竹於椽下薄括者俗名盜竹如茅屋藁屋以蘆雈䓁亦有 | |||||
△按ずるに、棧は瓦葺の下座なり。今に多く板、或は竹の[ruby(簀, ruby=す)]を用ふ。板屋、及び[ruby(大和, ruby=やまと)]の葺の[ruby(椽, ruby=たるき)]の間に[ruby(筱, ruby=ほぞ)]き竹を入る。之を[ruby(棧, ruby=ゑつり)]竹と謂ふ。繩を[ruby(纏, ruby=まと)]ひて[ruby(欂, ruby=くれ)]をして搖かざらしむ。別に竹を椽の下に橫へて[ruby(薄, ruby=しば)]りて[ruby(括, ruby=くく)]る者、俗に盜竹と名づく。[ruby(茅, ruby=かや)][ruby(屋, ruby=や)]、[ruby(藁, ruby=わら)][ruby(屋, ruby=や)]の如きは[ruby(蘆, ruby=よし)]、[ruby(雈, ruby=こよし)]䓁を以てするも有り。 | |||||
3.35. 榰柱
[ruby(榰柱, ruby=つっぱり)] |
버팀목 | ||||
별칭: | |||||
榰柱 唐韻云支屋欹也 △按支屋欹者今云衝梁也凡物與地間入短木令隔開者今謂須介助援之義用援柱二字可軍陳假他兵如謂援勢又半倒者支於下木謂豆加惠用束杖字可矣 |
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榰柱は唐韻に云ふ、屋の[ruby(欹, ruby=かたぶ)]くを[ruby(支, ruby=ささ)]へる。 △按ずるに、屋の[ruby(欹, ruby=かたぶ)]きを[ruby(支, ruby=ささ)]へる者は今に云ふ、[ruby(衝梁, ruby=つっぱり)]なり。凡そ物と地と與に間に短き木を入りて隔て開かしむる者を今に須介と謂ふ。[ruby(助, ruby=たす)]け[ruby(援, ruby=たす)]くる義なり。援柱二字を用て可し軍陳、他の兵を[ruby(假, ruby=か)]る[ruby(援勢, ruby=すけ)]と謂ふが如し。又た、[ruby(半, ruby=なか)]ば[ruby(倒, ruby-たを)]るる者、下に[ruby(支, ruby=ささ)]ゑる木を豆加惠と謂ふ。束杖字を用て可し |
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버팀목(榰柱)이란 《당운》(唐韻)에 이르길 집의 기울어진 부분을 받치는 것이다. △생각건대 집의 기울어진 부분을 받치는 것을 오늘날에는 버팀목(衝梁)이라 한다. 대체로 건물과 땅 사이에 짧은 나무를 끼워 틈으로 열 수 있게 하는 것을 오늘날 스케(すけ, 須介)라 한다. 도와준다는 뜻이다. 援柱라고 두 글자로 쓸 수도 있다. 군대에서 다른 병사를 빌리는 것을 스케라고 하는 것과 같다. 또한 거의 무너져가는 건물의 밑을 받치는 나무를 쓰카에(つかゑ, 豆加惠)라 한다. 束杖라고 써도 된다. |
3.36. 杙
[ruby(杙, ruby=くひ)] 音亦 |
말뚝 | ||||
별칭: 橜(말뚝 궐)其月(궐)切/樴音炙(적)/和名久比(くひ, 구이)/俗に杭字を用ふは非ず。(세간에서 杭자를 쓰는 것은 틀린 것이다.)/[ruby(揭櫫, ruby=しるしくひ)] 今に云ふ境目の杙等、之を用ふ。(게저는 오늘날 경계점의 말뚝에 쓰는 것이다.) | |||||
杙 木叚也係牛杙曰樴 打杙曰㭬音琢 有所表識之杙曰揭櫫 | |||||
杙は木叚なり。牛を[ruby(係, ruby=つな)]ぐ杙を樴と曰く。杙を打つことを[ruby(㭬, ruby=くひう)]つと曰く音琢 [ruby(表識, ruby=しるし)]とする所有る杙を[ruby(揭櫫, ruby=しるしくひ)]と曰く。 | |||||
말뚝(杙)이란 나무 토막이다. 소를 매어두는 말뚝을 직(樴)이라 한다. 말뚝을 박는 것을 탁(㭬, 칠 탁)이라 한다. 음은 탁(琢, 다듬을 탁)이다. 표시하려는 곳에 있는 말뚝을 게저(揭櫫)라 한다. |
3.37. 栓
[ruby(栓, ruby=せん)] |
나무못 | ||||
별칭: 栓 和名木久岐(きぐぎ, 기구기) 今に字の音を用ゐる者は木釘の大なり。(오늘날 栓으로 쓰고 음독하는 것은 나무못 중 큰 것이다.) | |||||
△按栓木釘也用樫[209]欅削如鑿刄揷柱枘之𡭴打之固者曰栓或嵌扃之孔代鎖者亦曰栓皆用字音名之 匠人以山場櫨木爲釘縫箱者即木釘也 |
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△按ずるに、栓は木釘なり。[ruby(樫, ruby=かた)]き[ruby(欅, ruby=けやき)]を用ふ。[ruby(鑿, ruby=のみ)]の[ruby(刄, ruby=はし)]如きにして削て柱の[ruby(枘, ruby=ほぞ)]の[ruby(𡭴, ruby=ひま)]に[ruby(揷, ruby=さ)]して之を打ち[ruby(固, ruby=かた)]める者、[ruby(栓, ruby=せん)]と曰ふ。或は[ruby(扃, ruby=とざし)]の孔に[ruby(嵌, ruby=は)]めて[ruby(鎖, ruby=ぜう)]に[ruby(代, ruby=か)]ふ者も栓と曰ふ。皆な字の音を用ゐて之に名づく。 匠人、[ruby(山場櫨, ruby=うつぎ)]の木を以て釘とす。箱を縫ふ者は即ち木釘なり。 |
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△생각건대 전(栓)이란 나무못이다. 튼튼한 느티나무를 쓴다. 끌의 날처럼 깎아서 기둥의 장부 틈에 끼워 고정시키는 것을 전(栓)이라 부른다. 또는 문 구멍에 끼워서 잠금장치를 대신하는 것도 전(栓)이라 한다. 모두 栓의 음으로 부른다. 장인들은 병꽃나무(山場櫨, うつぎ)로 못을 만든다. 상자를 엮는 것은 바로 나무못이다. |
3.38. 釘
[ruby(釘, ruby=くぎ)] ティン(dīng)・音丁 |
쇠못 | ||||
별칭: 釘 和名久岐(くぎ, 구기)/[ruby(鐟, ruby=あはいのくぎ)] 音簪(잠)・和名岐利久岐(きりくぎ, 기리쿠기) 今に云ふ[ruby(間, ruby=あひ)][ruby(乃, ruby=の)][ruby(釘, ruby=くぎ)] | |||||
釘鐵栓也 鐟無盖釘可以綴箸物者 △按釘有大小數品造舶釘大有長尺許者大抵造家釘有六村五寸四寸 十本物 長三寸數以十本爲一把 大一連 長二寸半以五本爲一把 次一連 長二寸以二十本爲一把 二連 長一寸半以四十本爲一把 三連 長一寸以六十本爲一把 四連 長八分以八十本爲一把 五連 長六分以百本爲一把 六連 長四分以百二十本爲一把 鐟両頭尖以板二枚縫爲一枚釘也 頭卷釘打扉板令頭不顯也 |
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釘は鐵の栓なり。鐟は[ruby(盖, ruby=かしら)]無き釘。以て物を綴箸くべき者なり。 △按ずるに、釘に大小の數品有り。舶を造る釘は大なり。長尺許りの者有り。大抵、家を造る釘、六村・五寸・四寸有り。 十本物 長さ三寸數、十本を以て一把とす 大一連 長さ二寸半、五本を以て一把とす 次一連 長さ二寸、二十本を以て一把とす 二連 長さ一寸半、四十本を以て一把 三連 長さ一寸、六十本を以て一把とす 四連 長さ八分、八十本を以て一把とす 五連 長さ六分、百本を以て一把とす 六連 長さ四分、百二十本を以て一把とす [ruby(鐟, ruby=あひのくぎ)][210]は両頭尖りて板二枚を以て縫て一枚とする釘なり。[ruby(頭, ruby=かしら)][ruby(卷, ruby=ま)]きの釘は扉板に打つ。頭をして[ruby(顯, ruby=あら)]はにせざらしむ。 |
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정(釘)이란 철못이다. 잠(鐟)은 머리가 없는 못이다. 이것으로 물건을 엮을 수 있다. △생각건대 못에는 크기가 여러 종류 있다. 배를 만드는 못은 커다랗다. 길이가 1척(30cm 이상) 가량 되는 못도 있다. 대체로 집을 짓는 못은 4~6치(10~20cm)이다.
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3.39. 鉜鏂
[ruby(鉜鏂, ruby=のしがたのくぎ)] |
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별칭: | |||||
鉜鏂頭高大釘也 通俗文云門扉飾謂鋪首 三才圖會云閉塞金謂之鋪又云鏂今俗謂浮漚丁是也 △按鉜鏂即浮漚丁字音相同鋪首與鉜鏂一物少異也凡籢之飾亦曰鉜鏂呼字音 門扇大釘曰鋪首俗云鐶甲 長押懸魚等大釘曰鉜鏂呼和名箱櫃等飾小者曰泡頭丁 |
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鉜鏂は頭、高大なる釘なり。通俗文に云ふ、門の[ruby(扉, ruby=とびら)]の飾りを鋪首と謂ふ。 三才圖會に云ふ、閉塞の金、之を[ruby(鋪, ruby=を)]と謂ふ。又た鏂と云ふ今俗に謂ふ、浮漚[ruby(丁, ruby=てい)]、是れなり。 △按ずるに、鉜鏂は即ち浮漚丁。字音相同鋪首、鉜鏂と與に一物・少異なり。凡そ籢かがみの飾も[ruby(鉜, ruby=ふ)][ruby(鏂, ruby=わう)]と曰ふ。字の音を呼ぶ門の[ruby(扇, ruby=とびら)]の大釘を鋪首と曰ふ。俗に云ふ、鐶甲 [ruby(長押, ruby=なげし)]、[ruby(懸魚, ruby=げぎょ)]等の大釘、[ruby(鉜鏂, ruby=のしがた)][212]と曰ふ。和名を呼ぶ箱、[ruby(櫃, ruby=ひつ)]等の飾りの小き者を[ruby(泡頭, ruby=ひゃう)]丁と曰ふ。 |
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3.40. 鎹
[ruby(鎹, ruby=かすがひ)] |
꺾쇠 | ||||
별칭: | |||||
△按鎹大釘形如匸字而兩耑尖釘二本繫固者也 | |||||
△按ずるに、鎹は大なる釘、形を[ruby(匸, ruby=はう)]の字如きにして兩[ruby(耑, ruby=はし)]、[ruby(尖, ruby=とが)]り二本に釘して[ruby(繫, ruby=つな)]ぎ[ruby(固, ruby=かた)]むる者なり。 | |||||
△생각건대 꺾쇠는 큰 못의 모양을 ㄷ자처럼 만들어 양 끝에 날을 세우고 두 개에 박아 연결하고 고정시키는 물건이다. |
3.41. 鐶鈕
[ruby(鐶鈕, ruby=ひきて)] パンニュ(huánniǔ) |
문고리 | ||||
별칭: 鐶鈕、和名斗乃比岐天(とのひきて, 도노히키테)/辨色立成に云ふ、門の鈎なり。 | |||||
△按以大圓鐶啓閉戶扉者即鐶鈕輪乃豆末美也鐶俗云輪也指鐶耳鐶之類是也鈕俗云撮也豆末美印鼻鏡鼻之類是也 衾障子之鐶鈕形或方或團而中窪懸指引 |
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△按ずるに、大なる圓き鐶を以て[ruby(戶扉, ruby=とびら)]を[ruby(啓, ruby=あ)]け[ruby(閉, ruby=た)]てする者は即ち鐶鈕。輪、乃ち豆末美なり鐶は俗に云ふ、輪なり[ruby(指, ruby=ゆび)][ruby(鐶, ruby=がね)]、[ruby(耳, ruby=みみ)][ruby(鐶, ruby=がね)]の類、是なり。[ruby(鈕, ruby=つまみ)]は俗に云ふ、撮なり。豆末美[ruby(印鼻, ruby=いんばん)]の[ruby(鏡, ruby=つまみ)]の鼻の類、是なり。 [ruby(衾, ruby=ふすま)][ruby(障, ruby=しゃう)][ruby(子, ruby=じ)]の[ruby(鐶鈕, ruby=ひきて)]は形ち、或は方、或は團して、中窪く指を懸て引く。 |
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△생각건대 커다랗고 동그란 쇠고리로 문을 열고 닫을 수 있는 것을 문고리(鐶鈕)라 한다. 이 고리를 손잡이(つまみ, 쓰마미)라 한다. 환(鐶, 고리 환)는 세간에서 말하는 고리이다. 반지, 귀고리가 그것이다. 유(鈕, 꼭지 뉴)는 세간에서 말하는 손잡이(쓰마미)이다. 도장 손잡이 같은 류이다. 장지문의 문고리는 모양이 어떤 것은 네모나고 어떤 것은 동그랗다. 안이 파여있어 손가락을 걸고 당길 수 있다. |
3.42. 枘
[ruby(枘, ruby=ほぞ)] |
장부 | ||||
별칭: 今に云ふ、保曾(ほぞ, 호조)。人の臍、出る者の如し。(사람의 배꼽이 튀어나와있는 것과 같다.)/[ruby(榫, ruby=むめき)][音 損(손)]、今に云ふ、無女木(むめき, 무메키). | |||||
字彙云木耑所以入鑿也宋玉九辨云圓枘而方鑿兮吾固知齟齬而難入[213] 楊升菴曰今人作文襲用枘鑿不相入夫枘鑿本相入之物唯方枘圓鑿則不相入今去方圓字而曰枘鑿不相入字義不通文義大謬甚者枘作枘尤可笑也 榫 字彙云剡木入竅也字从木从隼 △按榫以隱空竅者也與木釘之栓不同 |
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字彙に云ふ、木の[ruby(耑, ruby=はし)]、[ruby(鑿, ruby=あな)]に入る所以てなり。宋の玉九辨に云く、「[ruby(圓, ruby=まる)]き枘、而して方なる[ruby(鑿, ruby=あな)]。吾れ、固に知んぬ、[ruby(齟, ruby=く)]ひ[ruby(齬, ruby=ちが)]ひて入り難きことを。」 楊升菴が曰く、今人、文を作るに襲て[ruby(枘, ruby=ほぞ)][ruby(鑿, ruby=あな)]を相入らざるに用ふ。夫れ、枘鑿は本々相入るの物なり。[ruby(唯, ruby=た)]だ、方なる枘、[ruby(圓, ruby=まど)]かなる鑿には則ち相入らず。今、方圓の字を去りて枘鑿、相入らずと曰くは字義、通せず。文義、大に謬なり。甚き者は枘を柄に作る。尤も笑つべし。 [ruby(榫, ruby=むめき)] 字彙に云く、木を[ruby(剡, ruby=けづ)]り竅に入る。字、木に从ひ、隼に从ふ。 △按ずるに、榫は以て[ruby(空竅, ruby=あな)]を[ruby(隱, ruby=かく)]す者なり。木釘の[ruby(栓, ruby=せん)]と同からず。 |
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《자휘》(字彙)에 이르길 (장부란) 나무의 끝으로 구멍(鑿)에 들어가는 부분을 말한다. 송옥(宋玉, BC 290?-222?)의 구변(九辨)에 이르길 '둥그런 구멍에 네모진 장부여, 못 들어 갈 것을 내가 잘 알고 있다.'(圜鑿而方枘兮・吾固知其鉏鋙而難入)이라 하였다. 양승암(楊升菴, 1488-1559)[214]이 이르길 오늘날 사람들은 글을 쓸 때 관습적으로 예조(枘鑿)라는 말을 서로 맞지 않는 것에 쓴다.[215] (그러나) 예조(枘鑿), 즉 장부(枘)와 구멍(鑿)은 본래 잘 맞는 물건이다. 다만 네모난 장부가 둥그런 구멍에 맞지 않을 뿐이다(方枘圓鑿). 오늘날 '네모나다'(方), '둥그렇다'(圓)이라는 글자를 빼고 예조(枘鑿)만으로 '서로 맞지 않는다'라고 씀은 글자 의미상 맞지 않고 큰 오류이다. 심한 이는 枘(장부 예)를 (모양이 비슷한) 柄(자루 병)으로 쓴다. 매우 우스운 일이다. 무메키(榫, 장부 준): 《자휘》(字彙)에 이르길 나무를 깎아 구멍에 넣는 것이다. 글자에는 木과 隼이 들어간다. △생각건대 무메키란 구멍을 막는 물건이다.[216] 나무못(栓)과는 다르다. |
3.43. 衽木
[ruby(衽木, ruby=ちきり)] |
온장[217] | ||||
별칭: | |||||
字彙云衽合棺之木其形両豆大而中小棺不用釘但蓋與棺合際處鑿作坎以衽連之 禮檀弓云棺束縮二衡三衽每束一 △按唯不棺而不用釘可綴板者皆用衽如天秤吹鞴之之類亦然 |
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字彙に云ふ、衽は棺を合する木。其の形、両豆、大にして中、小く棺に釘を用ひず。但し、[ruby(蓋, ruby=ふた)]と棺と與に合際の處を[ruby(鑿, ruby=ほ)]りて[ruby(坎, ruby=あな)]を作り、[ruby(衽, ruby=ちきり)]を以て之を連ぬ。 禮の檀弓に云く、棺の[ruby(束, ruby=つか)]、[ruby(縮, ruby=たて)]に二つ、[ruby(衡, ruby=よこ)]に三つ。衽は束每に一つ。 △按ずるに、唯り棺のみならず、釘を用ひずして板を綴るべき者は皆な衽を用ふ。[ruby(天秤, ruby=てんびん)]、[ruby(吹鞴, ruby=ふいがは)]の如き類も然り。 |
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《자휘》(字彙)에 이르길 온장(衽)은 관을 합치는 나무이다. 모양은 양끝이 크고 가운데가 작아 관에 못을 박지 않는다. 단, 뚜껑과 관이 합쳐지는 부분에 구멍을 파 온장으로 엮는다. 《예기》(禮記) 〈단궁〉(檀弓) 편(3~4편)에 이르길 관의 이음매(束)는 세로로 2개, 가로로 3개이다. 온장은 이음매마다 하나이다. △생각건대 꼭 관뿐만이 아니라 못을 쓰지 않고 판을 고정시켜야 하는 것은 모두 온장을 쓴다. 천칭, 풀무 같은 것이 그러하다. |
3.44. 鎖鑰
[218][ruby(鎖鑰, ruby=じょうかぎ)] |
잠금 장치 | ||||
별칭: | |||||
字彙云大抵關門有鍵以止之又有鎖鑰以固之鎖爲牝鑰爲牡 △按鎖鑰共訓加岐即是今之錠也凡門扉打鎹爲方孔鍵橫貫於孔中鍵有鐵方孔即是鎖也嵌鑰於鎖以固門當如栓矣後世唯不禦外盜因鎖鑰設巧機不自脫別有解之者名加機今俗製錠字爲鎖鑰以鎰字訓加岐錠鎰共俗字或以鑰字訓加岐 鉤匙 今云掛金乎又有鐶掛金 夫木[219] 世をそむく・柴のあみ戶の・かきがねの・思ひはづせば・人ぞ待るる 信實 [夫木31-14944] 錠鎰俗 近世製精巧有衝錠車錠蝦錠之數品可以固戶及櫃箱等有大小大抵方形長三四寸幅寸餘匾而牝名比都牡名羽根嵌之稱於呂須牡羽自擴而不脫以鎰窄共羽則脫京師作之爲良 萬葉 家にありし櫃に鎖さし納てし戀のやつこのつかみかかりて[万葉集16-3816][222] |
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字彙に云ふ、大抵、關門には[ruby(鍵, ruby=くわんのき)]有りて以て之を止め、又た鎖鑰有りて以て之を固たむ。鎖を牝とし、鑰を牡とす。 △按ずるに、鎖鑰、共に加岐と訓して即ち是れ、今の錠なり。凡そ門の扉、[ruby(鎹, ruby=かすがひ)]を打ちて方なる孔をする。[ruby(鍵, ruby=くわんのき)]を橫に孔の中を貫く。鍵に鐵の方なる孔有り、即ち是れ鎖なり。鑰を鎖に[ruby(嵌, ruby=は)]めて以て門を固む。當に栓の如きなるべし。後世、唯だ外の盜を[ruby(禦, ruby=ふせ)]ぐのみならず、因りて鎖鑰に[ruby(巧機, ruby=からくり)]を設し自ら脫がず、別に之を解く者有り、加機と名づく。今俗に、[ruby(錠, ruby=ちゃう)]字を製して鎖鑰とす。鎰字を以て加岐と訓す。錠、鎰、共に俗字なり或は鑰の字を以て加岐と訓す。 [ruby(鉤匙, ruby=かけがね)] 今に云ふ、掛金か。又た[ruby(鐶, ruby=わ)]掛金有り。 夫木和歌抄 [ruby(世, ruby=よ)]をそむく・[ruby(柴, ruby=しば)]のあみ[ruby(戶, ruby=ど)]の・かきがねの・[ruby(思, ruby=おも)]ひはづせば・[ruby(人, ruby=ひと)]ぞ[ruby(待, ruby=また)]るる 藤原信實(1176-1265?) [ruby(錠, ruby=ちゃう)][ruby(鎰, ruby=かぎ)]俗 近世の製、精巧なり。[ruby(衝, ruby=つ)]き錠、車錠、蝦錠の數品有り。以て戶、及に[ruby(櫃, ruby=ひつ)]、箱等を固むべし。大小有り、大抵、方形、長さ三四寸、幅寸餘り、[ruby(匾, ruby=ひら)]たく牝を比都と名づく牡を羽根と名づく之を[ruby(嵌, ruby=は)]めるを於呂須と稱す牡の羽、自ら[ruby(擴, ruby=ひろ)]がり而して[ruby(脫, ruby=ぬ)]げず。鎰を以て其の羽を[ruby(窄, ruby=すぼ)]めば[ruby(脫, ruby=ぬ)]げる。京師に之を作る、良しとす。 萬葉集 [ruby(家, ruby=いへ)]にありし・[ruby(櫃, ruby=ひつ)]に[ruby(鎖, ruby=かぎ)]さし・[ruby(納, ruby=をさめ)]てし・[ruby(戀, ruby=こひ)]のやつこの・つかみかかりて |
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《자휘》에 이르길 대체로 관문에는 빗장이 있어 문을 막는다. 혹은 쇄(鎖)와 약(鑰)이 있어 문을 고정한다. 쇄(鎖)가 암이고 약(鑰)가 수가 된다. △생각건대 쇄(鎖)와 약(鑰)는 둘 다 가기(かぎ, 加岐)라 훈독하며 이는 오늘날의 정(錠, じょう)이다. 대체로 대문(門)의 문(扉)에는 꺾쇠를 박아 네모난 구멍을 만든다. 빗장을 그 구멍에 옆으로 꽂는다. 빗장에 철로 된 네모난 구멍이 있어, 그것이 쇄(鎖)이다. 약(鑰)를 자물쇠에 꽂아 문을 고정한다. 실로 나무못과 같다. 후대에는 단지 바깥의 도둑을 막을 뿐 아니라 잠금 장치에 기계 장치를 장착해 혼자서는 열리지 않고 별도로 그것을 푸는 도구가 있어 그것을 열쇠(가기, かぎ)라 부른다. 오늘날 세간에서는 錠자를 만들어 이 장치를 가리킨다. 鎰자를 가기라 훈독한다. 錠과 鎰은 모두 속자이다. 혹은 鑰를 가기라 훈독한다.
만요슈 집에요 있었던[224]・궤짝에 열쇠[225] 채워・넣어 두었던・사랑이라는 놈이・달라붙어서 와서[226] |
[1]
원문엔 출전 표기가 누락되어있다.
[2]
시 원문은 ける이나 화한삼재도회에서 り로 오기되었다.
[夫木30-14290]
[夫木31-14594]
31권: 잡(雜)13.
[5]
현대형은 ゆだねる이며 委ねる로 쓴다.
[6]
ン과 유사한 가나점이 붙어있다. おん이라고 읽는 것을 표기한 것으로 보인다.
#
[7]
훈독 との도 병기되어있다.
[8]
이 후리가나는 원문에 있는 것이다.
[9]
오늘날에는 지주덴(じじゅうでん)으로 읽는 것이 더 보편적인 것으로 보인다.
[10]
운메이덴(うんめいでん)으로 읽는 것이 더 보편적인 것으로 보인다.
[11]
웹 검색으로는 宜(마땅 의)가 아닌 宣(베풀 선)이 쓰인 센뇨덴(宣耀殿)이 압도적으로 많이 나온다. 그러나 본문에서는 독음이 キ로 기재되어있어 오기가 아니라 실제로 宜를 의도한 것으로 보인다. 단, 그렇게 읽으면 역사적 가나표기법으로는 위 기요덴(宜陽殿, ぎやうでん)과 ぎようでん으로 표기가 다르지만 현대 가나표기법으로는 ぎようでん으로 동일해진다.
[12]
오늘날에는 교쇼덴(きょうしょでん)으로 더 자주 읽는 듯하다.
[13]
위 한글 독음은 가나점의 현대 가나표기법을 상정한 대로 읽은 것이다. 각각의 현대 히라가나 표기는
ししんでん(紫宸殿), にんじゅでん(仁壽殿)・しょうきょうでん(承香殿)
じょうねいでん(常寧殿)・じょうがんでん(貞觀殿)・しゅんこうでん(春興殿)
ぎようでん(宜陽殿)・りょうきでん(綾綺殿)・おんめいでん(溫明殿)
れいけいでん(麗景殿)・ぎようでん(宜耀殿)・あんぷくでん(安福殿)
こうしょでん(校書殿)・せいりょうでん(淸凉殿)・こうきでん(弘徽殿)
ごりょうでん(後凉殿)・とうかでん(登華殿)이다. [14] 근래에는 대개 대개 榎本明神으로 표기한다. 에노모토 신사(榎本神社)가 나라시에 존재한다. [新古今19-1854] 神祗歌 # [16] 웹에 잘 나오지는 않는다. 앞의 '이론은 무익'(論は無益)는 '愚人に論は無益'(어리석은 자에게 이론은 무익하다) 식으로 자주 나온다. [17] Potalaka. 인도의 남해에 있다고 하는 관음의 정토이다. 한국의 낙산사 역시 이 산의 이름을 딴 것이다. 여기서는 나라시 고후쿠지(興福寺)를 지칭하는 표현으로 여겨진다. [18] 신코킨와카슈 하(2016), 구정호 역, 삼화, 707쪽. [19] 훈독 たかどの도 병기되어있다. [20] 웹 자료로는 五城十二樓가 더 많이 나온다. [21] 1888년 기준으로 門 안에 劉와 유사한 글자가 들어가있다. [22] 1715년본에는 カサネタル로 모든 훈이 기재되어있다. [23] 대개 1715년본에 훈점이 더 부가된 경향인 반면 여기서는 1715년본엔 훈점이 없고 1888년본에 クル가 부기되어있다. [24] 142년이라는 황당한 수명을 보여주는데 이주갑인상의 영향인 것으로 보인다. [25] 쓰게는 야마토노구니 야마베(山辺)군의 지명이다. 오늘날 나라현에 속한다. [26] 이 인물의 이름은 미타(御田)로 알려져있으나, 일본서기에서는 이것이 와전된 것이라 하였다. [27] 흔히 '왜명초'(倭名抄)라 한다. [28] 교토시의 지명이다. 현재는 나카교구(中京区)에 있다. '미부'라는 지명은 습지대에 있어서 붙은 것이라고 한다. # [⿰土葉] [30] 艹가 빠진 堞으로도 쓴다. [⿰土葉] [⿰土葉] [⿰土葉] [34] 오늘날에는 矢狭間라고 표기하곤 한다. 아울러 箭眼은 음독하여 せんがん이라고도 한다. [35] 雉는 차용되어 성벽의 면적을 재는 단위로써도 쓰였는데, 가로 길이가 3장(丈, 3.3미터)이고 세로 높이가 1장인 것이 1雉이다. 여기서 또 파생되어 '성벽'을 가리키는 글자로도 쓰였다. # [36] 가로세로 10척(약 3.3m)인 사각형의 넓이. [⿰土葉] [⿰土葉] [39] 성 위에 낮게 쌓은 담. 여기에 몸을 숨기고 적을 감시하거나 공격하거나 한다(표준국어대사전). [40] 천수각(天守閣)으로 더 잘 알려져있다. [41] 영륜(伶倫)은 중국 황제(黃帝) 시대의 음악인이다. 사루가쿠(猿樂)는 헤이안 시대~무로마치 시대의 예능인이다. [42] 伽藍(がらん, 가람)은 절의 큰 건물을 의미한다. [43] 시코로(𩊱)는 일본식 투구에서 목덜미를 드리우는 부분을 뜻한다. [後拾遺-1165] 20권:잡(雜)6 # [45] 이때 후시미 덴노는 연호도 에이닌(永仁)으로 바꿨다. 일본에서 한 왕에 한 연호(일세일원제)를 쓰게 된 것은 메이지 덴노 이후로, 그 이전에는 한 연호만 쓴 덴노가 도리어 더 적다. [46] 해당 문서를 참고하면 원나라의 일본원정에서 바람으로 몽골군이 큰 타격을 입은 것은 각각 1274년/1281년이다. [47] 스가와라노 미치자네를 일컫는다. [48] ごしゅういわかしゅう [49] 이름은 나가토(ながとう) 혹은 나가요시(ながよし)라 읽는다. # [50] 죽은 아버지, 죽은 어머니를 각각 고(考), 비(妣)라 한다. 이를 합쳐서 고비(考妣)라고도 한다. 훈점은 일반적으로 아버지, 어머니를 뜻하는 ちち, はは로 간단하게 달려있다. [51] 화한삼재도회에 도구(器財) 편을 다룬 권이 따로 있는 것은 아니고 도구를 다루는 15~36권을 가리키는 것으로 보인다. 맥락상 신주 관련 도구는 19권 신제불구(神祭佛具)에 실려있을 것으로 보인다. [52] 1888년본에는 뒤와 마찬가지로 招로 되어있으나 1715년본에는 拓으로 되어있다. '훗날 사람들이 招로 잘못 쓴다'라는 맥락에 따르자면 拓이 맞는 것으로 보인다. [53] 五雜 俎로 표기되기도 한다. [夫木-16448] 34권:잡(雜)16 [55] 참고 페이지에는 마지막 구절이 なりけれ로 되어있으나 원문의 자형이 り로 판단되어 り로 적는다. 앞의 こそ가 가카리무스비(係り結び) 다음 문장의 끝을 이연형(已連形)으로 만들기 때문에 고문법상으로도 れ가 되는 것이 옳다. [日本書紀19] # 동북아역사넷에서 해당 부분의 한국어 번역이 제공된다. 10월 기사 여기서 向原는 본래 '무쿠하라'라는 사람의 집인데 음으로 읽으면 '고겐'이다. 앞의 기사에서 백제 성왕이 불상을 보내왔다는 내용이 있는데 이로부터 불교의 전파로 이어지는 전개이다. [57] 위 링크에서는 맨 앞의 글자를 こ로 읽고 있으나 津로 확인되어 つ로 적는다. 津の国(つのくに)는 보통 셋쓰국(摂津国)을 뜻한다. 뒤에 나오는 難波는 난바, 나니와에서도 알 수 있듯 오늘날의 오사카이고 셋쓰국 일대에 해당한다. [58] 장안과 낙양은 한나라 시대의 유명한 두 수도이다. 이 중 장안이 더 서쪽에 있기에 장안을 서도, 낙양을 동도라고 했다. [59] 가섭마등(迦葉摩騰)이라고도 한다. [60] 중국 북제 시대부터 외교 시설로 쓰이던 곳이다. 일본 역시 헤이안 시대에 여기서 이름을 따온 홍려관(鴻臚館, 고로칸)을 운영했다. # 홍려관은 아래 館 항목에서도 언급된다. [61] 백마사(白馬寺) 문서를 참고할 수 있다. # [62] 척투제사(拓鬪提奢)는 사방(四方)을 의미하는 caturdeśa의 음역으로 판단된다. 그런데 훈독에서는 이를 풀어서 "鬪를 拓하고 奢를 提하다"(鬪を拓り、奢を提り)라고 하고 있다. 음역어이니 한자 자체의 의미는 없으니 이는 지나치게 풀이한 것으로 보인다. [63] 두보의 시에서도 초제(招提)라는 표현이 나온다. # 유용문봉선사(遊龍門奉先寺, "용문의 봉선사에서 노닐며")라는 시로 전문은 다음과 같다.
已從招提遊/更宿招提境/陰壑生靈籟/月林散淸影/天闕象緯逼/雲臥衣裳冷/欲覺聞晨鐘
(이미 스님을 쫓아 절에서 노닐다가 / 다시 잠을 자네. 절의 경내에서 / 북쪽 골짜기에 영묘한 소리가(바람이) 일고 / 달빛 숲 속에 맑은 나무 그림자들 / 하늘을 찌르는 산봉우리 별에 닿고 / 구름 속에 누우니 옷이 차가와지네 / 잠결에 들려오는 새벽 종소리 / 나로 하여금 깊이 성찰하게 하네) [64] 원문의 공경(公卿)은 역주서에서 오기인 것으로 처리하고 있다. [65] 조선 시대에, 벼슬아치가 임금을 만날 때에 손에 쥐던 물건. 조복(朝服), 제복(祭服), 공복(公服) 따위에 사용하였으며, 일품부터 사품까지는 상아홀, 오품 이하는 목홀(木笏)을 썼다(표준국어대사전) [66] 본문의 자형은 耳 오른쪽에 力과 유사한 글자이다. [67] '홍통'(弘通)은 "널리 교화하다", "널리 불법을 퍼뜨리다"라는 뜻의 단어이다. [68] 첫번째 나한(羅漢)으로, 이 불상을 만져서 병의 회복을 기원한다고 한다. [69] 명제 시대의 연호이다. 본문에는 泰至로 나오나 보통 泰始라고 하는 듯하다. 오류인지 이표기인지는 확실치 않다. [70] 한국의 사분율산번보궐행사초상집기은 이 책의 주석서이다. [71] 우다야나(Udayana)라고도 한다. 서역 일대의 국가 카우샴비(Kaushambi, 코삼비라고도 함)의 왕이다. 우전 왕의 모양을 새긴 우전 왕상은 최초의 불상으로도 유명하다. # [日本-卷20] #, 번역 [73] 그림에서는 寶에 대하여 약자 宝를 쓰고 있다. [74] 오늘날에는 うつむける가 더 자주 쓰인다. うつぶける와 공존했다. 과거 조동사 き의 연체형 し가 결합한 것이다. [75] 1888년본은 ハウシャク이나 1715년본에는 ハウチャク로 되어있다. 오늘날에도 후자의 독음이 더 자주 등장해 후자를 따른다. ホウタク로도 읽는다. [76] 齋食(재식, 이미이)란 불교에서 식사를 가리키는 말이다. 정진하기 위한 요리를 가리키기도 한다. # [77] 원문은 盋을 쓰고 있다. 鉢과 동자이다. [78] 한국의 탑은 보통 이를 보주(寶珠)라고 하는 듯하다. [79] 1888년본에는 여기에 ヲ로 보이는 가나점이 있다. [新撰和歌六帖5:雑思-1500] 본문의 출전과는 달리 신센와카로쿠조(新撰和歌六帖, しんせんわかろくぢょう)라는 책에 실려있다. # 본 문헌에서 해당 출전은 50권에서 보듯 新六으로 줄이고 있다. [81] 탁음은 적용되지 않았다. [82] 원나라 시기의 사람이다. 본명은 주백기(周伯琦)이며 백온(伯溫)은 자(字)이다. # [夫木-11572] 25권:잡(雜)7 [84] 이 시구와 관련해서 "적을 보고서 화살을 만든다"(軍見て矢をはぐ)라는, "발등에 불 떨어져서야 행동한다"라는 의미의 구절이 있다. # [事物紀源8-倉] (43부: 宮室居處部궁실거처부). 事始見於陶唐之世也 # [86] 이때는 둥글다는 의미로 쓰인 것으로, 오늘날에 해당 의미로는 주로 圓을 쓴다. [87] 전국시대의 조나라(趙), 위나라(魏), 한나라(韓)을 부르는 총칭이라고 한다. # [88] 여자의 태도·행동이 경박하고 상스러움; 또, 그런 여자. 오늘날에는 蓮っ葉라는 표기를 쓴다. [89] 규슈, 시코쿠, 주고쿠 [倭名抄-券十] # [91] 요코미조 세이시의 추리소설 혼진 살인사건 역시 과거에 이러한 혼진이 있었던 곳을 배경으로 하기에 이러한 제목이 붙은 것이다. [92] 앞선 항목과 글자가 동일하다. [93] 이 시와 아래 시 모두 화한삼재도회에는 출전이 누락되어있다. [後撰6-302] # [95] 백인일수의 첫번째 와카이다. [金葉3-173] # [97] 미야모토노 쓰네노부(源経信) #라고도 한다. 이곳 본문에도 자주 언급되는 미야모토노 도시요리(源俊頼)가 이 사람의 삼남이다. [98] 아래에서 보듯 본문에도 거의 동일한 내용이 나온다. [99] 굵은 글씨로는 잘 보이지 않을 수 있다. ⿱𦥯黃으로 학교 횡 자이다. 특이하게도 본문에는 이 글자가 쓰이지 않는다. [100] 태화(太和)라고도 한다. [101] 울음소리가 긴 닭의 한 종류. [102] 요즘에는 堀河百首라고 쓰는 것이 더 일반적이다. [日本-卷25:孝德] 동북아역사넷 한국어 번역 [104] 참고 링크 #. 세타(勢多)관은 오사카(逢坂, おうさか)관이라고도 한다. 본래 이 관 말고 에치젠(越前)의 아라치(愛発, あらち)관이 3관 중 하나였으나 789년 폐지되었다. [105] 단, 아래에 むまや(廄)라고 해서 "말 축사"(마굿간)를 가리키는 항목이 따로 있다. [106] こじょうそろえ [倭名抄10] # 왜명초(倭名抄)에는 理가 아닌 斷으로 되어있다. [108] ゆどの라는 독음도 병기되어있다. [109] 呪(빌 주)와 같은 글자이다. [110] 내전(內典)이란 다른 책들에 비교해 불경을 이르는 말이다. [111] せつゐん(せついん, 雪隠)이라는 독음도 병기되어있다. [112] 본문에는 여기에 レ점이 있으나 다음 글자에 一점이 있는 것으로 보아 二점이 맞는 것으로 추측된다. [113] ま의 독음을 나타내려는 의도로 보아 末의 오기인 것으로 보인다. [114] まるい(마루이)는 둥글다는 뜻이며, ふた(후타)는 뚜껑을 의미한다. [⿸广卆] [⿸广卆] [⿸广卆] [⿸广卆] [⿸广卆] [120] ろうや도 병기되어있다. [121] 순 임금 시기의 법관이다. [122] 웹에서 "⿱艹亅"로 이 글자를 찾으면 이 페이지만 나온다. [夫木-14914] 31권: 잡(雜)13. 원문 [124] 《 설문해자》의 주해서인 《설문해자 계전》(說文解字繫傳)를 썼다. [125] 현재 일반적인 자형인 甍에서 瓦 위에 올라가는 것은 𦭝(⿱艹罒, 거여목 목)과 冖(덮을 멱)이다. [126] 정확히는 門 안에 白이 있다. [127] 맥락상 '썩다'를 의미하는 朽의 의미로 쓴 듯하다. [128] 본래 글자는 厂 안에 村(왼쪽이 禾)이 들어간 글자이다. 입력하기 어려워 최대한 비슷한 글자로 입력하였다. [夫木-14397] 30권: 잡(雜)12. 원문 [130] 현대 일본어에서는 はあり라고 한다. しろあり라고도 한다. [131] 슈카쿠홋신노(守覚法親王)를 뜻한다. 기타인(喜多院)에서 입적해 喜多院入道(기타인뉴도)라 불린다. [132] 한 부재의 구멍에 끼울 수 있도록 다른 부재의 끝을 가늘고 길게 만든 부분(표준국어대사전). 본 권에도 개별 항목으로 실려있다. [133] 불탑의 노반(露盤) 위에 있는 높은 기둥의 장식. 아홉 개의 바퀴 모양의 테로 되어 있다(표준국어대사전). [論語5-18] 子曰、臧文仲居蔡、山節藻梲、何如其知也。(장문중은 채지방에서 나는 큰 거북을 기르며 그 방의 지붕에 산을 조각한 두공과 물풀 무늬를 그린 동자기둥을 썼으니 그의 지혜로움이 어떠했겠는가) 비싼 동물을 키우고 건물에 이런 장식을 한 것이 사치스럽고 우매했음을 지적한 것이다. 원문 관련 블로그 글 [135] 栭는 기둥 위의 장여(ひじき) 혹은 들보 위의 대공(つか)을 뜻한다. # 束(つか)를 한옥에서는 대공(臺工)이라 한다. # [136] 본문에 나온 일본어 '모야'를 한국에서도 현장용어로 쓰곤 한다. [137] 일본어 ぐわんぎゃう는 음독한 것이다. 현대 일본어로는 がんぎょう이다. [138] 각지게 만든 도리는 납도리라 한다. [139] 현대 일본어에서는 彫る(える)로 쓴다. [140] 참고 페이지 # [141] 한옥의 중인방(中引枋)과 위치가 유사하나 역할이 다소 달라 위의 누키와 함께 일본 건축 고유의 요소로 보는 듯하다. 김영훈(2020: 107) [142] 김영훈(2020), 전통적 일본 건축의 유형적 패러다임, 한국생태환경건축학회 논문집, 20(5), 101-114. [143] 가모이(鴨居, かもい)란 문과 인방 사이에 있는 가느다란 나무를 말한다. 위쪽 문틀과 유사해보인다. 아래쪽 문틀인 문지방(敷居, しきい)과 쌍을 이룬다. [144] 웹에는 植으로 되어있는 것이 더 많이 나온다. 여기서는 화한삼재도회의 자형을 따른다. [靈光殿賦] # 《소명문선》(昭明文選) 11권 궁전(宮殿) 편에 실려있다. # [146] 일본어 たるき는 단어 구성부터 'たる'(垂る, 늘어뜨려진)+'き'(나무) 식으로 되어있다. 오늘날에는 이 유래를 반영해 한자 표기도 垂木라고 하는 것이 보통이다. [147] 일본어 こじり는 '칼집의 끝'(さやじり)을 뜻하기도 한다. 길쭉한 서까래의 끝과 칼집의 끝의 모양새는 확실히 닮은 면이 있다. 어원은 木後(こじり)라고 한다. 일본에서는 이 의미로 鐺라고도 쓰나 한국에서는 鐺는 '솥'의 의미밖에 나오지 않는다. [148] 식물성 안료이다. 접착력이 있어 금박을 붙이는 데 쓰기도 한다. # [149] 나라시 호류지의 사진을 참고할 수 있다. # 3~4번째 사진을 보면 서까래 끝이 금빛으로 빛나는 것을 확인할 수 있다. [150] 원문에 一점이 여기에 있으나 문장 구조상 앞 글자 棟에 위치한 것이 맞는 것으로 보인다. [151] 마룻대 위에 ㅅ자 모양으로 판을 덮은 것을 의미하는 듯하다. 참고 사진 한자 표기 장니(障泥)는 마구(馬具) 중 하나로 흙탕물이 튀지 않도록 말 등에 까는 ㅅ자 모양의 깔개이다. # [152] 참고 사진 # [153] 기쓰네코시(狐格子, 여우 격자)라고도 한다. # [154] 한옥에서 박공 밑의 공간은 합각(合閣)이라 하며 이를 넓은 판으로 가린 것을 풍판(風板)이라 했다. [155] 참고 사진 # [156] 세로로 긴 도리 밑을 받쳐주는 작은 부속품이다. 한옥에서는 비슷한 역할을 하는 부속품을 화반(花盤)이라 한다. [157] 한옥에서 상하로 받침대 역할을 하는 부속품을 뜻한다. 일본어로는 束(つか)라 한다. [158] 이를 각각 内削ぎ(우치소기), 外削ぎ(소토소기)라고 하며 각각 수평/수직으로 자른 것이다. 전자는 여신을, 후자는 남신을 모시는 신사를 뜻한다고 한다. # [159] 앞서 신사 항목에서 원나라의 일본원정에서 신의 바람(가미카제)로 원나라군을 무찌른 것을 기려 이세의 신사를 궁으로 개칭했다는 대목이 나온다. [夫木-8739] 20권:잡(雑)2 [161] 현대어 표기는 ほうだて이다. 한자로는 方立라고도 적는다. ほこだち라고도 한다. 관련 사진 자료는 方立라고 쳐야 더 잘 나온다. # 문 혹은 창 양쪽에 설치된 가느다란 세로축 나무 틀로, 문/창을 수납하는 용도라고 한다. [162] 之岐美는 しきみ를 표기한 것이다. "美・井、相通なり" 이 문장은 しきゐ(之岐井)으로도 적을 수 있다는 뜻이다. 현대어 사전에서도 しきみ, しきい가 모두 실려있다. [163] 오늘날 とびら는 扉(사립문 비)로 주로 표기하나 扇(부채 선)에도 '사립문'이라는 의미가 있다. [164] 참고 링크 # [165] 고지가타(こじがた)란 대문에 문지방이 없을 때 문이 막 열리지 못하도록 세워두는 돌이다. 고정이 될 수 있도록 안쪽이 낮고 바깥쪽이 높다. # '고지'란 익선관처럼 생긴 모자에서 위로 툭 튀어나온 부분을 말한다. # [166] 집 전체를 기준으로 문은 입 역할을 한다고 비유한 듯하다. [167] 蹴放す, 즉 발로 차서 연다는 뜻이다. 현대 일본어 사전에는 蹴放し, け放し라는 표기로 실려있다. 본문에 쓰인 蹶은 '넘어질 궐'인데 '발로 차다'라는 뜻도 있다. 한국 기준 1급 한자로 ' 궐기'(蹶起)라는 단어 외에는 볼 일이 별로 없다. 일본에서는 '궐기'도 決起라고 蹶을 決로 바꿔서 쓴다. [168] 원문에 후리가나가 없다. 대신 본래 중국음이 있어야 할 자리에 附り・ろじ口の戸(골목 어귀의 문)이라고 되어있다. [169] 1888년본에는 オ만 부기되어있다. おのづから의 맨 앞 お만 기재한 것이다. 다른 문헌의 훈점에서는 이런 식으로 앞 글자만 적는 훈점이 종종 보이곤 하나 화한삼재도회에서는 (일단 81권에서는) 보기 쉽지 않은 방식의 훈점이다. 대개는 현대 일본어의 오쿠리가나처럼 끝 글자 몇 개를 적어주는 것이 보통이다. [170] 1715년본에서는 カコヰ로 되어있다. [⿱𥫗隔] [⿱𥫗隔] [173] 組格子는 格子의 다른 명칭으로 보인다. # [174] 돌출된 격자창을 말한다. 出格子(でこうし)라고도 한다. # [175] 격자틀이 두껍고 상하좌우로 조밀하게 짜여진 격자창을 말한다. 창고에서 자주 쓰는 듯하다. # [夫木-14979] 31권:잡(雑)13 # [夫木-14166] 31권:잡(雑)13 # [178] 본명은 후지와라노 다다미치이다. [179] 자형이 ひ로도 보이나 자료를 참고하면 さ인 것으로 여겨진다. [散木奇歌集-1308] # 원문 출전 표기와는 달리 긴요와카슈에서는 찾기 어렵다. 이 와카의 앞에 이어지는 쌍으로 여겨지는 いしたたみ・ありけるにはを・きみにまた・しくものなしと・おもひけるかな (탁음 반영 안 됨)은 긴요와카슈 593수로 등재되어있다. # 관련글1 관련글2 [181] 미야모토노 나카마사 와카 모음, 봄 - 古砌菫菜 # 아래 링크와 더불어 웹페이지에는 '石ず' 뒤의 글자가 ゑ로 되어있으나 원문에서 へ 자형으로 되어있어 원문을 따른다. [182] 한자 부분의 독음은 원문에는 없으며 다음 웹페이지를 따랐다. 為忠初度百首(다메타다케 쇼도 햐쿠슈) - 봄 편(110) [183] 為忠初度百首(1134). 원문에는 해조류로 만든 소금을 뜻하는 藻䀋(もしお)가 문헌 명이 들어갈 자리에 들어가 있으나 관련 문헌을 찾기 어렵다. [184] 담을 뜻하는 다른 표현 へい(塀)도 병기되어있다. [185] 다른 독음인 まがき도 부기되어있다. [事物紀源8-藩籬] (43부: 宮室居處部궁실거처부). 藩籬之固室家三代之制也 # [夫木-14979] 31권:잡(雑)13 [188] 위 庭(뜰) 항목과 동일한 시가 인용되었다. [189] 오늘날에는 ついじ라 한다. [新撰和歌六帖2:田舎-799] 宅 항목과 마찬가지로 원문과는 달리 신센와카로쿠조(新撰和歌六帖, しんせんわかろくぢょう)라는 책에 실려있다. # 본 문헌에서 해당 출전은 50권에서 보듯 新六으로 줄이고 있다. [191] 네이버 한자 사전에는 한자 의미가 미상으로 나온다. 단, 楨과 함께 쓰인 것으로 보아 楨幹(정간)을 의도한 것으로 보인다. 아래아한글에는 약간 자형이 다르지만 楨榦으로도 변환이 된다. [192] 탁음은 적용되지 않았다. [193] 楨𠏉을 그대로 읽은 '정간'이라는 말도 한국에서 쓰인다. [194] 좌우로 긴 판이 붙어있고 사이사이에 하얀 흙이 가로로 길게 보이는 식이다. 이를 定規筋라 한다. 이 筋의 개수에 따라 격이 나뉜다고 한다. # [夫木-14342] 31권:잡(雑)13 # [196] 다른 독음인 ひがくし도 부기되어있다. [197] 未처럼도 보이나 맥락상 ま를 표기하기 위한 末인 것으로 보인다. [198] 1888년본에서는 명백히 擔이지만 1712년본에서는 檐으로도 보인다. 맥락상 가옥상의 위치를 나타내기 때문에 처마를 뜻하는 檐이 맞는 것으로 추측된다. [199] 1715년본에서는 欑이다. [200] 한옥에서는 이런 구조의 문을 들어열개문이라 한다. [201] やり는 일본어로 무기 창을 의미한다. 鎗, 鑓 모두 창을 의미하는 글자이다. 단, 여기서는 사실 遣る(やる, 보내다)에서 유래한 것으로 보인다. 오늘날에는 遣り戸라고 자주 쓴다. [202] 다른 명칭인 まいらど(舞良戶)를 찾으면 대략적인 생김새를 알 수 있다. # [203] 오늘날에는 鯱라 쓴다. [204] 원문은 アフノグ이나 ノ가 들어간 형식을 찾기 어렵다. 현대어 후대형은 あおぐ이다. [205] 1888년본에 ヒテ로 되어있는 것은 잘못으로 보인다. [206] の이나 맥락상 を인 것으로 보인다. [207] ヲ이지만 맥락상 ト가 맞는 것으로 보인다. [208] 1888년본에는 一점이 ㅣ자 모양으로 잘못 새겨져있다. [209] 본래 떡갈나무를 의미하는 글자이나 여기서는 견고하다(堅)의 의미로 쓰였다. [210] 오늘날에는 の를 뺀 あいくぎ가 더 일반적이다. [211] 1치는 약 3cm이다. [212] 1888년판에서는 フシガタ로 되어있으나 훈독한다는 맥락상 ノシガタ의 오기로 보인다. [213] 구변-5, # [214] 본명은 양신(楊愼)이다. 승암은 호이다. [215] 한국의 문헌 중에서도 《 훈민정음》 정인지 서에서 '(우리말을 적는 데 중국 글자를 쓰는 것은) 예조의 어긋남이다(枘鑿之鉏鋙)'라고 한 바가 있다. [216] 대개 無目(무메, むめ)라는 단어는 문 위틀의 홈이 없는 길쭉한 나무를 가리키는 듯하다. 이 페이지에서는 ぬめ(누메)가 변형되었다고 소개하고 있다. [217] '온장'이라는 단어는 국어사전에도 실려있지 않은 등 찾기가 어려우나 장부 맞춤 관련하여 찾아보면 그림에서 묘사하는 물건이 온장임을 추측할 수 있다. # [218] 오늘날에는 さやく로 음독하는 것이 더 일반적인 듯하다. [219] 화한삼재도회에는 출전이 적혀있지 않다. [夫木31-14944] # [万葉集16-3816] 호즈미 친왕의 노래 1수(穂積親王御謌一首) # [222] 한자 표기 원문은 家尓有之・櫃尓鏁刺・蔵而師・戀乃奴之・束見懸而이다. [223] 맹꽁이 자물쇠를 의미한다. [224] 일반적인 와카의 음수율은 57577이나 여기서는 원문도 6자이기에 번역도 이를 따르고 있다. 만엽집은 와카의 형식이 갖춰지기 전의 문헌이므로 이런 시들도 종종 나온다. [225] 번역 원문엔 '열쇄'로 되어있으나 오타로 판단하여 수정하였다. [226] 한국어역 만엽집 12 - 만엽집 권 제15・16(2017), 이연숙 역, 박이정, 233쪽.
ししんでん(紫宸殿), にんじゅでん(仁壽殿)・しょうきょうでん(承香殿)
じょうねいでん(常寧殿)・じょうがんでん(貞觀殿)・しゅんこうでん(春興殿)
ぎようでん(宜陽殿)・りょうきでん(綾綺殿)・おんめいでん(溫明殿)
れいけいでん(麗景殿)・ぎようでん(宜耀殿)・あんぷくでん(安福殿)
こうしょでん(校書殿)・せいりょうでん(淸凉殿)・こうきでん(弘徽殿)
ごりょうでん(後凉殿)・とうかでん(登華殿)이다. [14] 근래에는 대개 대개 榎本明神으로 표기한다. 에노모토 신사(榎本神社)가 나라시에 존재한다. [新古今19-1854] 神祗歌 # [16] 웹에 잘 나오지는 않는다. 앞의 '이론은 무익'(論は無益)는 '愚人に論は無益'(어리석은 자에게 이론은 무익하다) 식으로 자주 나온다. [17] Potalaka. 인도의 남해에 있다고 하는 관음의 정토이다. 한국의 낙산사 역시 이 산의 이름을 딴 것이다. 여기서는 나라시 고후쿠지(興福寺)를 지칭하는 표현으로 여겨진다. [18] 신코킨와카슈 하(2016), 구정호 역, 삼화, 707쪽. [19] 훈독 たかどの도 병기되어있다. [20] 웹 자료로는 五城十二樓가 더 많이 나온다. [21] 1888년 기준으로 門 안에 劉와 유사한 글자가 들어가있다. [22] 1715년본에는 カサネタル로 모든 훈이 기재되어있다. [23] 대개 1715년본에 훈점이 더 부가된 경향인 반면 여기서는 1715년본엔 훈점이 없고 1888년본에 クル가 부기되어있다. [24] 142년이라는 황당한 수명을 보여주는데 이주갑인상의 영향인 것으로 보인다. [25] 쓰게는 야마토노구니 야마베(山辺)군의 지명이다. 오늘날 나라현에 속한다. [26] 이 인물의 이름은 미타(御田)로 알려져있으나, 일본서기에서는 이것이 와전된 것이라 하였다. [27] 흔히 '왜명초'(倭名抄)라 한다. [28] 교토시의 지명이다. 현재는 나카교구(中京区)에 있다. '미부'라는 지명은 습지대에 있어서 붙은 것이라고 한다. # [⿰土葉] [30] 艹가 빠진 堞으로도 쓴다. [⿰土葉] [⿰土葉] [⿰土葉] [34] 오늘날에는 矢狭間라고 표기하곤 한다. 아울러 箭眼은 음독하여 せんがん이라고도 한다. [35] 雉는 차용되어 성벽의 면적을 재는 단위로써도 쓰였는데, 가로 길이가 3장(丈, 3.3미터)이고 세로 높이가 1장인 것이 1雉이다. 여기서 또 파생되어 '성벽'을 가리키는 글자로도 쓰였다. # [36] 가로세로 10척(약 3.3m)인 사각형의 넓이. [⿰土葉] [⿰土葉] [39] 성 위에 낮게 쌓은 담. 여기에 몸을 숨기고 적을 감시하거나 공격하거나 한다(표준국어대사전). [40] 천수각(天守閣)으로 더 잘 알려져있다. [41] 영륜(伶倫)은 중국 황제(黃帝) 시대의 음악인이다. 사루가쿠(猿樂)는 헤이안 시대~무로마치 시대의 예능인이다. [42] 伽藍(がらん, 가람)은 절의 큰 건물을 의미한다. [43] 시코로(𩊱)는 일본식 투구에서 목덜미를 드리우는 부분을 뜻한다. [後拾遺-1165] 20권:잡(雜)6 # [45] 이때 후시미 덴노는 연호도 에이닌(永仁)으로 바꿨다. 일본에서 한 왕에 한 연호(일세일원제)를 쓰게 된 것은 메이지 덴노 이후로, 그 이전에는 한 연호만 쓴 덴노가 도리어 더 적다. [46] 해당 문서를 참고하면 원나라의 일본원정에서 바람으로 몽골군이 큰 타격을 입은 것은 각각 1274년/1281년이다. [47] 스가와라노 미치자네를 일컫는다. [48] ごしゅういわかしゅう [49] 이름은 나가토(ながとう) 혹은 나가요시(ながよし)라 읽는다. # [50] 죽은 아버지, 죽은 어머니를 각각 고(考), 비(妣)라 한다. 이를 합쳐서 고비(考妣)라고도 한다. 훈점은 일반적으로 아버지, 어머니를 뜻하는 ちち, はは로 간단하게 달려있다. [51] 화한삼재도회에 도구(器財) 편을 다룬 권이 따로 있는 것은 아니고 도구를 다루는 15~36권을 가리키는 것으로 보인다. 맥락상 신주 관련 도구는 19권 신제불구(神祭佛具)에 실려있을 것으로 보인다. [52] 1888년본에는 뒤와 마찬가지로 招로 되어있으나 1715년본에는 拓으로 되어있다. '훗날 사람들이 招로 잘못 쓴다'라는 맥락에 따르자면 拓이 맞는 것으로 보인다. [53] 五雜 俎로 표기되기도 한다. [夫木-16448] 34권:잡(雜)16 [55] 참고 페이지에는 마지막 구절이 なりけれ로 되어있으나 원문의 자형이 り로 판단되어 り로 적는다. 앞의 こそ가 가카리무스비(係り結び) 다음 문장의 끝을 이연형(已連形)으로 만들기 때문에 고문법상으로도 れ가 되는 것이 옳다. [日本書紀19] # 동북아역사넷에서 해당 부분의 한국어 번역이 제공된다. 10월 기사 여기서 向原는 본래 '무쿠하라'라는 사람의 집인데 음으로 읽으면 '고겐'이다. 앞의 기사에서 백제 성왕이 불상을 보내왔다는 내용이 있는데 이로부터 불교의 전파로 이어지는 전개이다. [57] 위 링크에서는 맨 앞의 글자를 こ로 읽고 있으나 津로 확인되어 つ로 적는다. 津の国(つのくに)는 보통 셋쓰국(摂津国)을 뜻한다. 뒤에 나오는 難波는 난바, 나니와에서도 알 수 있듯 오늘날의 오사카이고 셋쓰국 일대에 해당한다. [58] 장안과 낙양은 한나라 시대의 유명한 두 수도이다. 이 중 장안이 더 서쪽에 있기에 장안을 서도, 낙양을 동도라고 했다. [59] 가섭마등(迦葉摩騰)이라고도 한다. [60] 중국 북제 시대부터 외교 시설로 쓰이던 곳이다. 일본 역시 헤이안 시대에 여기서 이름을 따온 홍려관(鴻臚館, 고로칸)을 운영했다. # 홍려관은 아래 館 항목에서도 언급된다. [61] 백마사(白馬寺) 문서를 참고할 수 있다. # [62] 척투제사(拓鬪提奢)는 사방(四方)을 의미하는 caturdeśa의 음역으로 판단된다. 그런데 훈독에서는 이를 풀어서 "鬪를 拓하고 奢를 提하다"(鬪を拓り、奢を提り)라고 하고 있다. 음역어이니 한자 자체의 의미는 없으니 이는 지나치게 풀이한 것으로 보인다. [63] 두보의 시에서도 초제(招提)라는 표현이 나온다. # 유용문봉선사(遊龍門奉先寺, "용문의 봉선사에서 노닐며")라는 시로 전문은 다음과 같다.
已從招提遊/更宿招提境/陰壑生靈籟/月林散淸影/天闕象緯逼/雲臥衣裳冷/欲覺聞晨鐘
(이미 스님을 쫓아 절에서 노닐다가 / 다시 잠을 자네. 절의 경내에서 / 북쪽 골짜기에 영묘한 소리가(바람이) 일고 / 달빛 숲 속에 맑은 나무 그림자들 / 하늘을 찌르는 산봉우리 별에 닿고 / 구름 속에 누우니 옷이 차가와지네 / 잠결에 들려오는 새벽 종소리 / 나로 하여금 깊이 성찰하게 하네) [64] 원문의 공경(公卿)은 역주서에서 오기인 것으로 처리하고 있다. [65] 조선 시대에, 벼슬아치가 임금을 만날 때에 손에 쥐던 물건. 조복(朝服), 제복(祭服), 공복(公服) 따위에 사용하였으며, 일품부터 사품까지는 상아홀, 오품 이하는 목홀(木笏)을 썼다(표준국어대사전) [66] 본문의 자형은 耳 오른쪽에 力과 유사한 글자이다. [67] '홍통'(弘通)은 "널리 교화하다", "널리 불법을 퍼뜨리다"라는 뜻의 단어이다. [68] 첫번째 나한(羅漢)으로, 이 불상을 만져서 병의 회복을 기원한다고 한다. [69] 명제 시대의 연호이다. 본문에는 泰至로 나오나 보통 泰始라고 하는 듯하다. 오류인지 이표기인지는 확실치 않다. [70] 한국의 사분율산번보궐행사초상집기은 이 책의 주석서이다. [71] 우다야나(Udayana)라고도 한다. 서역 일대의 국가 카우샴비(Kaushambi, 코삼비라고도 함)의 왕이다. 우전 왕의 모양을 새긴 우전 왕상은 최초의 불상으로도 유명하다. # [日本-卷20] #, 번역 [73] 그림에서는 寶에 대하여 약자 宝를 쓰고 있다. [74] 오늘날에는 うつむける가 더 자주 쓰인다. うつぶける와 공존했다. 과거 조동사 き의 연체형 し가 결합한 것이다. [75] 1888년본은 ハウシャク이나 1715년본에는 ハウチャク로 되어있다. 오늘날에도 후자의 독음이 더 자주 등장해 후자를 따른다. ホウタク로도 읽는다. [76] 齋食(재식, 이미이)란 불교에서 식사를 가리키는 말이다. 정진하기 위한 요리를 가리키기도 한다. # [77] 원문은 盋을 쓰고 있다. 鉢과 동자이다. [78] 한국의 탑은 보통 이를 보주(寶珠)라고 하는 듯하다. [79] 1888년본에는 여기에 ヲ로 보이는 가나점이 있다. [新撰和歌六帖5:雑思-1500] 본문의 출전과는 달리 신센와카로쿠조(新撰和歌六帖, しんせんわかろくぢょう)라는 책에 실려있다. # 본 문헌에서 해당 출전은 50권에서 보듯 新六으로 줄이고 있다. [81] 탁음은 적용되지 않았다. [82] 원나라 시기의 사람이다. 본명은 주백기(周伯琦)이며 백온(伯溫)은 자(字)이다. # [夫木-11572] 25권:잡(雜)7 [84] 이 시구와 관련해서 "적을 보고서 화살을 만든다"(軍見て矢をはぐ)라는, "발등에 불 떨어져서야 행동한다"라는 의미의 구절이 있다. # [事物紀源8-倉] (43부: 宮室居處部궁실거처부). 事始見於陶唐之世也 # [86] 이때는 둥글다는 의미로 쓰인 것으로, 오늘날에 해당 의미로는 주로 圓을 쓴다. [87] 전국시대의 조나라(趙), 위나라(魏), 한나라(韓)을 부르는 총칭이라고 한다. # [88] 여자의 태도·행동이 경박하고 상스러움; 또, 그런 여자. 오늘날에는 蓮っ葉라는 표기를 쓴다. [89] 규슈, 시코쿠, 주고쿠 [倭名抄-券十] # [91] 요코미조 세이시의 추리소설 혼진 살인사건 역시 과거에 이러한 혼진이 있었던 곳을 배경으로 하기에 이러한 제목이 붙은 것이다. [92] 앞선 항목과 글자가 동일하다. [93] 이 시와 아래 시 모두 화한삼재도회에는 출전이 누락되어있다. [後撰6-302] # [95] 백인일수의 첫번째 와카이다. [金葉3-173] # [97] 미야모토노 쓰네노부(源経信) #라고도 한다. 이곳 본문에도 자주 언급되는 미야모토노 도시요리(源俊頼)가 이 사람의 삼남이다. [98] 아래에서 보듯 본문에도 거의 동일한 내용이 나온다. [99] 굵은 글씨로는 잘 보이지 않을 수 있다. ⿱𦥯黃으로 학교 횡 자이다. 특이하게도 본문에는 이 글자가 쓰이지 않는다. [100] 태화(太和)라고도 한다. [101] 울음소리가 긴 닭의 한 종류. [102] 요즘에는 堀河百首라고 쓰는 것이 더 일반적이다. [日本-卷25:孝德] 동북아역사넷 한국어 번역 [104] 참고 링크 #. 세타(勢多)관은 오사카(逢坂, おうさか)관이라고도 한다. 본래 이 관 말고 에치젠(越前)의 아라치(愛発, あらち)관이 3관 중 하나였으나 789년 폐지되었다. [105] 단, 아래에 むまや(廄)라고 해서 "말 축사"(마굿간)를 가리키는 항목이 따로 있다. [106] こじょうそろえ [倭名抄10] # 왜명초(倭名抄)에는 理가 아닌 斷으로 되어있다. [108] ゆどの라는 독음도 병기되어있다. [109] 呪(빌 주)와 같은 글자이다. [110] 내전(內典)이란 다른 책들에 비교해 불경을 이르는 말이다. [111] せつゐん(せついん, 雪隠)이라는 독음도 병기되어있다. [112] 본문에는 여기에 レ점이 있으나 다음 글자에 一점이 있는 것으로 보아 二점이 맞는 것으로 추측된다. [113] ま의 독음을 나타내려는 의도로 보아 末의 오기인 것으로 보인다. [114] まるい(마루이)는 둥글다는 뜻이며, ふた(후타)는 뚜껑을 의미한다. [⿸广卆] [⿸广卆] [⿸广卆] [⿸广卆] [⿸广卆] [120] ろうや도 병기되어있다. [121] 순 임금 시기의 법관이다. [122] 웹에서 "⿱艹亅"로 이 글자를 찾으면 이 페이지만 나온다. [夫木-14914] 31권: 잡(雜)13. 원문 [124] 《 설문해자》의 주해서인 《설문해자 계전》(說文解字繫傳)를 썼다. [125] 현재 일반적인 자형인 甍에서 瓦 위에 올라가는 것은 𦭝(⿱艹罒, 거여목 목)과 冖(덮을 멱)이다. [126] 정확히는 門 안에 白이 있다. [127] 맥락상 '썩다'를 의미하는 朽의 의미로 쓴 듯하다. [128] 본래 글자는 厂 안에 村(왼쪽이 禾)이 들어간 글자이다. 입력하기 어려워 최대한 비슷한 글자로 입력하였다. [夫木-14397] 30권: 잡(雜)12. 원문 [130] 현대 일본어에서는 はあり라고 한다. しろあり라고도 한다. [131] 슈카쿠홋신노(守覚法親王)를 뜻한다. 기타인(喜多院)에서 입적해 喜多院入道(기타인뉴도)라 불린다. [132] 한 부재의 구멍에 끼울 수 있도록 다른 부재의 끝을 가늘고 길게 만든 부분(표준국어대사전). 본 권에도 개별 항목으로 실려있다. [133] 불탑의 노반(露盤) 위에 있는 높은 기둥의 장식. 아홉 개의 바퀴 모양의 테로 되어 있다(표준국어대사전). [論語5-18] 子曰、臧文仲居蔡、山節藻梲、何如其知也。(장문중은 채지방에서 나는 큰 거북을 기르며 그 방의 지붕에 산을 조각한 두공과 물풀 무늬를 그린 동자기둥을 썼으니 그의 지혜로움이 어떠했겠는가) 비싼 동물을 키우고 건물에 이런 장식을 한 것이 사치스럽고 우매했음을 지적한 것이다. 원문 관련 블로그 글 [135] 栭는 기둥 위의 장여(ひじき) 혹은 들보 위의 대공(つか)을 뜻한다. # 束(つか)를 한옥에서는 대공(臺工)이라 한다. # [136] 본문에 나온 일본어 '모야'를 한국에서도 현장용어로 쓰곤 한다. [137] 일본어 ぐわんぎゃう는 음독한 것이다. 현대 일본어로는 がんぎょう이다. [138] 각지게 만든 도리는 납도리라 한다. [139] 현대 일본어에서는 彫る(える)로 쓴다. [140] 참고 페이지 # [141] 한옥의 중인방(中引枋)과 위치가 유사하나 역할이 다소 달라 위의 누키와 함께 일본 건축 고유의 요소로 보는 듯하다. 김영훈(2020: 107) [142] 김영훈(2020), 전통적 일본 건축의 유형적 패러다임, 한국생태환경건축학회 논문집, 20(5), 101-114. [143] 가모이(鴨居, かもい)란 문과 인방 사이에 있는 가느다란 나무를 말한다. 위쪽 문틀과 유사해보인다. 아래쪽 문틀인 문지방(敷居, しきい)과 쌍을 이룬다. [144] 웹에는 植으로 되어있는 것이 더 많이 나온다. 여기서는 화한삼재도회의 자형을 따른다. [靈光殿賦] # 《소명문선》(昭明文選) 11권 궁전(宮殿) 편에 실려있다. # [146] 일본어 たるき는 단어 구성부터 'たる'(垂る, 늘어뜨려진)+'き'(나무) 식으로 되어있다. 오늘날에는 이 유래를 반영해 한자 표기도 垂木라고 하는 것이 보통이다. [147] 일본어 こじり는 '칼집의 끝'(さやじり)을 뜻하기도 한다. 길쭉한 서까래의 끝과 칼집의 끝의 모양새는 확실히 닮은 면이 있다. 어원은 木後(こじり)라고 한다. 일본에서는 이 의미로 鐺라고도 쓰나 한국에서는 鐺는 '솥'의 의미밖에 나오지 않는다. [148] 식물성 안료이다. 접착력이 있어 금박을 붙이는 데 쓰기도 한다. # [149] 나라시 호류지의 사진을 참고할 수 있다. # 3~4번째 사진을 보면 서까래 끝이 금빛으로 빛나는 것을 확인할 수 있다. [150] 원문에 一점이 여기에 있으나 문장 구조상 앞 글자 棟에 위치한 것이 맞는 것으로 보인다. [151] 마룻대 위에 ㅅ자 모양으로 판을 덮은 것을 의미하는 듯하다. 참고 사진 한자 표기 장니(障泥)는 마구(馬具) 중 하나로 흙탕물이 튀지 않도록 말 등에 까는 ㅅ자 모양의 깔개이다. # [152] 참고 사진 # [153] 기쓰네코시(狐格子, 여우 격자)라고도 한다. # [154] 한옥에서 박공 밑의 공간은 합각(合閣)이라 하며 이를 넓은 판으로 가린 것을 풍판(風板)이라 했다. [155] 참고 사진 # [156] 세로로 긴 도리 밑을 받쳐주는 작은 부속품이다. 한옥에서는 비슷한 역할을 하는 부속품을 화반(花盤)이라 한다. [157] 한옥에서 상하로 받침대 역할을 하는 부속품을 뜻한다. 일본어로는 束(つか)라 한다. [158] 이를 각각 内削ぎ(우치소기), 外削ぎ(소토소기)라고 하며 각각 수평/수직으로 자른 것이다. 전자는 여신을, 후자는 남신을 모시는 신사를 뜻한다고 한다. # [159] 앞서 신사 항목에서 원나라의 일본원정에서 신의 바람(가미카제)로 원나라군을 무찌른 것을 기려 이세의 신사를 궁으로 개칭했다는 대목이 나온다. [夫木-8739] 20권:잡(雑)2 [161] 현대어 표기는 ほうだて이다. 한자로는 方立라고도 적는다. ほこだち라고도 한다. 관련 사진 자료는 方立라고 쳐야 더 잘 나온다. # 문 혹은 창 양쪽에 설치된 가느다란 세로축 나무 틀로, 문/창을 수납하는 용도라고 한다. [162] 之岐美는 しきみ를 표기한 것이다. "美・井、相通なり" 이 문장은 しきゐ(之岐井)으로도 적을 수 있다는 뜻이다. 현대어 사전에서도 しきみ, しきい가 모두 실려있다. [163] 오늘날 とびら는 扉(사립문 비)로 주로 표기하나 扇(부채 선)에도 '사립문'이라는 의미가 있다. [164] 참고 링크 # [165] 고지가타(こじがた)란 대문에 문지방이 없을 때 문이 막 열리지 못하도록 세워두는 돌이다. 고정이 될 수 있도록 안쪽이 낮고 바깥쪽이 높다. # '고지'란 익선관처럼 생긴 모자에서 위로 툭 튀어나온 부분을 말한다. # [166] 집 전체를 기준으로 문은 입 역할을 한다고 비유한 듯하다. [167] 蹴放す, 즉 발로 차서 연다는 뜻이다. 현대 일본어 사전에는 蹴放し, け放し라는 표기로 실려있다. 본문에 쓰인 蹶은 '넘어질 궐'인데 '발로 차다'라는 뜻도 있다. 한국 기준 1급 한자로 ' 궐기'(蹶起)라는 단어 외에는 볼 일이 별로 없다. 일본에서는 '궐기'도 決起라고 蹶을 決로 바꿔서 쓴다. [168] 원문에 후리가나가 없다. 대신 본래 중국음이 있어야 할 자리에 附り・ろじ口の戸(골목 어귀의 문)이라고 되어있다. [169] 1888년본에는 オ만 부기되어있다. おのづから의 맨 앞 お만 기재한 것이다. 다른 문헌의 훈점에서는 이런 식으로 앞 글자만 적는 훈점이 종종 보이곤 하나 화한삼재도회에서는 (일단 81권에서는) 보기 쉽지 않은 방식의 훈점이다. 대개는 현대 일본어의 오쿠리가나처럼 끝 글자 몇 개를 적어주는 것이 보통이다. [170] 1715년본에서는 カコヰ로 되어있다. [⿱𥫗隔] [⿱𥫗隔] [173] 組格子는 格子의 다른 명칭으로 보인다. # [174] 돌출된 격자창을 말한다. 出格子(でこうし)라고도 한다. # [175] 격자틀이 두껍고 상하좌우로 조밀하게 짜여진 격자창을 말한다. 창고에서 자주 쓰는 듯하다. # [夫木-14979] 31권:잡(雑)13 # [夫木-14166] 31권:잡(雑)13 # [178] 본명은 후지와라노 다다미치이다. [179] 자형이 ひ로도 보이나 자료를 참고하면 さ인 것으로 여겨진다. [散木奇歌集-1308] # 원문 출전 표기와는 달리 긴요와카슈에서는 찾기 어렵다. 이 와카의 앞에 이어지는 쌍으로 여겨지는 いしたたみ・ありけるにはを・きみにまた・しくものなしと・おもひけるかな (탁음 반영 안 됨)은 긴요와카슈 593수로 등재되어있다. # 관련글1 관련글2 [181] 미야모토노 나카마사 와카 모음, 봄 - 古砌菫菜 # 아래 링크와 더불어 웹페이지에는 '石ず' 뒤의 글자가 ゑ로 되어있으나 원문에서 へ 자형으로 되어있어 원문을 따른다. [182] 한자 부분의 독음은 원문에는 없으며 다음 웹페이지를 따랐다. 為忠初度百首(다메타다케 쇼도 햐쿠슈) - 봄 편(110) [183] 為忠初度百首(1134). 원문에는 해조류로 만든 소금을 뜻하는 藻䀋(もしお)가 문헌 명이 들어갈 자리에 들어가 있으나 관련 문헌을 찾기 어렵다. [184] 담을 뜻하는 다른 표현 へい(塀)도 병기되어있다. [185] 다른 독음인 まがき도 부기되어있다. [事物紀源8-藩籬] (43부: 宮室居處部궁실거처부). 藩籬之固室家三代之制也 # [夫木-14979] 31권:잡(雑)13 [188] 위 庭(뜰) 항목과 동일한 시가 인용되었다. [189] 오늘날에는 ついじ라 한다. [新撰和歌六帖2:田舎-799] 宅 항목과 마찬가지로 원문과는 달리 신센와카로쿠조(新撰和歌六帖, しんせんわかろくぢょう)라는 책에 실려있다. # 본 문헌에서 해당 출전은 50권에서 보듯 新六으로 줄이고 있다. [191] 네이버 한자 사전에는 한자 의미가 미상으로 나온다. 단, 楨과 함께 쓰인 것으로 보아 楨幹(정간)을 의도한 것으로 보인다. 아래아한글에는 약간 자형이 다르지만 楨榦으로도 변환이 된다. [192] 탁음은 적용되지 않았다. [193] 楨𠏉을 그대로 읽은 '정간'이라는 말도 한국에서 쓰인다. [194] 좌우로 긴 판이 붙어있고 사이사이에 하얀 흙이 가로로 길게 보이는 식이다. 이를 定規筋라 한다. 이 筋의 개수에 따라 격이 나뉜다고 한다. # [夫木-14342] 31권:잡(雑)13 # [196] 다른 독음인 ひがくし도 부기되어있다. [197] 未처럼도 보이나 맥락상 ま를 표기하기 위한 末인 것으로 보인다. [198] 1888년본에서는 명백히 擔이지만 1712년본에서는 檐으로도 보인다. 맥락상 가옥상의 위치를 나타내기 때문에 처마를 뜻하는 檐이 맞는 것으로 추측된다. [199] 1715년본에서는 欑이다. [200] 한옥에서는 이런 구조의 문을 들어열개문이라 한다. [201] やり는 일본어로 무기 창을 의미한다. 鎗, 鑓 모두 창을 의미하는 글자이다. 단, 여기서는 사실 遣る(やる, 보내다)에서 유래한 것으로 보인다. 오늘날에는 遣り戸라고 자주 쓴다. [202] 다른 명칭인 まいらど(舞良戶)를 찾으면 대략적인 생김새를 알 수 있다. # [203] 오늘날에는 鯱라 쓴다. [204] 원문은 アフノグ이나 ノ가 들어간 형식을 찾기 어렵다. 현대어 후대형은 あおぐ이다. [205] 1888년본에 ヒテ로 되어있는 것은 잘못으로 보인다. [206] の이나 맥락상 を인 것으로 보인다. [207] ヲ이지만 맥락상 ト가 맞는 것으로 보인다. [208] 1888년본에는 一점이 ㅣ자 모양으로 잘못 새겨져있다. [209] 본래 떡갈나무를 의미하는 글자이나 여기서는 견고하다(堅)의 의미로 쓰였다. [210] 오늘날에는 の를 뺀 あいくぎ가 더 일반적이다. [211] 1치는 약 3cm이다. [212] 1888년판에서는 フシガタ로 되어있으나 훈독한다는 맥락상 ノシガタ의 오기로 보인다. [213] 구변-5, # [214] 본명은 양신(楊愼)이다. 승암은 호이다. [215] 한국의 문헌 중에서도 《 훈민정음》 정인지 서에서 '(우리말을 적는 데 중국 글자를 쓰는 것은) 예조의 어긋남이다(枘鑿之鉏鋙)'라고 한 바가 있다. [216] 대개 無目(무메, むめ)라는 단어는 문 위틀의 홈이 없는 길쭉한 나무를 가리키는 듯하다. 이 페이지에서는 ぬめ(누메)가 변형되었다고 소개하고 있다. [217] '온장'이라는 단어는 국어사전에도 실려있지 않은 등 찾기가 어려우나 장부 맞춤 관련하여 찾아보면 그림에서 묘사하는 물건이 온장임을 추측할 수 있다. # [218] 오늘날에는 さやく로 음독하는 것이 더 일반적인 듯하다. [219] 화한삼재도회에는 출전이 적혀있지 않다. [夫木31-14944] # [万葉集16-3816] 호즈미 친왕의 노래 1수(穂積親王御謌一首) # [222] 한자 표기 원문은 家尓有之・櫃尓鏁刺・蔵而師・戀乃奴之・束見懸而이다. [223] 맹꽁이 자물쇠를 의미한다. [224] 일반적인 와카의 음수율은 57577이나 여기서는 원문도 6자이기에 번역도 이를 따르고 있다. 만엽집은 와카의 형식이 갖춰지기 전의 문헌이므로 이런 시들도 종종 나온다. [225] 번역 원문엔 '열쇄'로 되어있으나 오타로 판단하여 수정하였다. [226] 한국어역 만엽집 12 - 만엽집 권 제15・16(2017), 이연숙 역, 박이정, 233쪽.